『生きていればいいことあるさ』、『人生捨てたもんじゃないよ』
オグリキャップは私達にそう教えてくれた。
あるものは自殺しようと思ったが、オグリの走りを見て思い立ち
あるものは失敗を恐れずチャレンジしようと勇気をあたえられた。

ヒーローは時代の欲望や幻想を集約したところに生まれる。
力道山しかり長嶋茂雄しかり。。。。
オグリの時代は、バブルの時代、競馬ブームの時代。
そんな時代を彼は人々の色んな思いを背負って走った。
彼もスーパーヒーローだった。


私は彼の出たレースの馬券は殆ど単勝100円買い
レースを離れて応援できた馬は、この馬とタマモクロス
しかいない。もう一度こういう馬にあってみたい。
それとリアルタイムでオグリと接したことは本当に幸せだった。


激闘の足跡を今再び。。。。





突き抜けた3馬身!! 15年の時を超え現れた怪物2世
1988年3月6日 阪神 GV 芝1600メートル ペガサスS

地方・東海で12戦10勝の実績を引っさげて、中央に初見参した”笠松の怪物”。
彼を見たときに人々は、ハイセイコーを思い出したに違いない。
しかし、ハイセイコーと違って彼オグリキャップはクラシックの舞台に立つことは許されなかった。
それが人気の爆発的人気になった要因の1つにもなったのだろう。
レースは4連勝中のラガーブラックに1番人気を譲ったものの、役者の違いを見せつけ道中7番
〜8番手を追走し、直線で追い出すと、一瞬で突き抜けて3馬身差の圧勝。
中央においてのオグリ伝説の扉が開いた。



初の道悪後の皐月賞1、2着にも完勝!!大物や
1998年3月27日 阪神 GV 芝2000メートル 毎日杯

鮮烈な中央デビューから3週間。2000メートル、57キロ、道悪という3重苦にも
単勝2.2倍の支持を受けた。前半は折り合いに専念して最高方に待機し、
4コーナーでも8番手。道悪に苦しみながらもじわじわ追い上げ、粘る
ファンドリデクターをきっちりクビ差とらえてゴールした。中央2勝目。
下した相手は4着ヤエノムテキ、7着ディクターランド。後の皐月賞1、2着馬だ!




南井との因縁
1988年5月8日 京都 GV 芝2000メートル 京都4歳特別

幻の皐月賞馬は、単枠指定、単勝1.3倍の支持を受けていた。
鞍上はこの日NKH杯でサッカーボーイに騎乗する主戦河内に変わり、後に出会う
ことになる南井克巳。今回も持ったまま後方から好位に進出し、4コーナーで軽く
仕掛けるとあっというまに馬場の真中を抜け出し、5馬身ちぎった。


持ったまま7馬身・・・・強すぎる
1988年6月4日 東京 GU 芝1600メートル NZT4歳S

関東における、オグリ初のレース。ダービーの半分にも満たない観衆の前で
安田記念を上回るタイムで2着リンドホシに7馬身差の快勝。



初の古馬対決にちょっぴり必死を見せる
1988年7月10日 中京 GU 芝2000メートル 高松宮杯


秋の天皇賞を見据えて2000メートルで古馬との初対決。粘るランドヒリュウに
外から襲いかかり残り100メートルの時点で勝負あり。最後は1馬身4分の1の
差をつけレースレコードで快勝。ハイセイコーの持つ中央入り後の重賞4連勝を
              抜く重賞5連勝を達成した。                 



敵はタマモクロスのみ。重賞6連勝
1988年10月9日 東京 GU 芝1800メートル 毎日王冠

休み明け16キロ増も全く関係なく1.7倍の圧倒的1番人気。
レース前にレジェンドテイオーがシリウスシンボリに蹴られ発走除外に
なり不穏な空気も流れるも、関係なかった。いつもどおり後方から
追走し、残り300を過ぎたあたりからスパート。歴戦の古馬をなで斬った。



芦毛対決第1章。自分より強い存在を知る
1988年10月30日 東京 GT 芝2000メートル 天皇賞・秋


春に天皇賞・春、宝塚記念を連勝した最強古馬タマモクロスと注目
の世紀の初対決は、ひと叩きされたオグリが1番人気。
スタートして観衆はどよめいた。なんといつもは後方から自慢の剛脚
を見せるタマモクロスがなんと2番手。南井の作戦だった。
直線で逃げるレジェンドテイオーをかわすタマモ。それを5馬身ほど
後ろにいたオグリが襲い掛かるが追いつかず。永遠の1馬身4分の1
に思えた。。。中央初黒星



芦毛対決第2章。またしても1馬身4分1。やつには勝てないのか?
1988年11月27日 東京 GT 芝2400メートル ジャパンカップ


初の2400メートルという距離に不安を残しながらも、タマモ、凱旋門賞馬トニービン
に続く3番人気。前走の雪辱に燃えるあせりもあったのか河内は思いきって先行策
をとったが、裏目に出てスローペースに引っかかる。中間の不利もこたえる苦しい展開。
懸命な追い上げも空しく、1着はペイザバトラー、2着はタマモ。次走でタマモは引退。
リベンジするのはあと1回きり。切り札が用意された。


芦毛対決第3章。ついにタマモに勝つ。そして時代はオグリに託された
1988年12月25日 中山 GT 芝2500メートル 有馬記念

河内はサッカーボーイに騎乗。切り札は当時No1ジョッキーといわれていた岡部幸雄。
岡部は1回きりならとオグリの背中に乗るのを承諾した。リベンジの舞台はととのった。
カイバが落ちて不調のタマモと違いオグリは絶好調。岡部の絶妙なペース判断にも
後押しされ直線へ。最後方から追走してきたタマモが直線入り口で並びかけると
岡部はGOサイン。前半の貯金もあり一旦並ばれるもまた引き離しゴールへ。
3度目の対決でついにタマモ超えを果たした。




鞍上に南井を乗せて、怪物がターフへ帰ってきた
1989年9月17日 中山 GV 芝2200メートル オールカマー

グリにとって約9ヶ月ぶりの、そして5歳になってからの初レース。鞍上には
ライバル、タマモクロスの手綱をとっていた南井がいた。
ランニングフリー、南関東の女傑ロジータもいたが、オグリは単勝1.4倍の
圧倒的な支持を受けた。レースも見事な横綱相撲でコースレコードで快勝。


これぞ名勝負!まさに競馬史に残るレースだ
1989年10月8日 東京 GU 芝1800メートル 毎日王冠


馬券はとれなくても手に汗にぎり忘れられない勝負がある。これがまさにそうだ。
春の天皇賞、宝塚記念を勝ったイナリワンとの初対決に注目が集まった。
レースはレジェンドテイオーの逃げではじまり、オグリは4コーナー手前から徐々に
進出。それを柴田イナリワンがピッタリマーク。直線残り400を過ぎてから2頭の
馬体はぴったり合い叩きあいを開始。そのままずっと火の出るような叩きあいのまま
2頭はゴールへ。写真判定の末ハナ差でオグリに軍配があがった。
西ではスパークリークが勝ち、役者は揃った。




同期に初めて敗れる。その名はスーパークリーク
1989年10月29日 東京 GT 芝2000メートル 天皇賞・秋


スローペースを7番手で追走から徐々に進出し、好位4番手で直線に向くが、
坂下でヤエノムテキに前をカットされ痛恨のロス。その差は4馬身。
懸命に前を追い、メジロアルダンはかわしたが、クリークには首差届かずの
惜敗。レース後オグリは悔しさに打ち震えていたという。




南井が泣いた!届かないと思ったところからまさかの差しきり
1989年11月19日 京都 GT 芝1600メートル マイルCS


この後は連闘でジャパンカップへ行くことが決定済。負けることはゆるされなかった。
相手は武豊バンブーメモリーただ1頭。久々のマイルの流れに戸惑ったのか一瞬
動きが鈍ったところをバンブーにかわされ3馬身リードを奪われる。
が、南井のムチにこたえたオグリが1歩ずつ内から忍び寄りゴール寸前体が合わさった
瞬間にゴール。写真判定の末ハナ差で勝利。南井の涙は責任を果たした安堵感と
オグリの頑張りに感動したからなのだろう


駆け抜けた2分22秒2の世界レコード。お前は何故そんなにすごいんだ
1989年11月26日 東京 GT 芝2400メートル ジャパンカップ


淀での激闘から1週間、今度は府中に怪物はいた。信じられないことだ。
レースはイブンベイが殺人的なハイペースで逃げ、オグリは好位4番手で進む。
直線バテたイブンベイをホーリックスがかわす、それを見てオグリも追い出す。
残り200メートルから完全な一騎打ち。南井の嵐のようなムチの連打にこたえ
追い詰めるが、クビ差迫ったところがゴールだった。2頭の馬が出した世界
レコード。この記録は永遠に破られないだろう。
。。



南井との最後のコンビ。疲れていたのか。。。怪物も
1989年12月24日 中山 GT 芝2500メートル 有馬記念


この日のオグリはおかしかった。クリスマス決戦の中山、彼女と二人怪物の勝利を祈った。
なにしろ大好きなタマモクロスに後継者を譲られたのだから。しかし南井の気合のムチで
引っかかりハイペースで逃げていたダイナカーペンターを深追いしてしまう。
直線先頭に立ったがここまでが精一杯で後続からきた馬に続々抜かれ、5着。
武ではないと走らないと酷評された柴田イナリワンが意地を見せ優勝した。




鞍上は天才。新たなオグリ伝説がはじまるかに思えたが。。。。
1990年5月13日 東京 GT 芝1600メートル 安田記念

9月の米国遠征を見据え安田記念から始動。鞍上はなんと武豊。
久々もまったく不安なく単勝1.4倍の圧倒的な支持をえる。
好スタートを切り、3番手のポジションから楽々抜け出し、1分32秒4の
コースレーコードで楽勝。完全復活したかに見えたが。



負けるはずはなかった。。。それなのに
1990年6月10日阪神 GT 芝2200メートル 宝塚記念


単勝1.4倍の支持を受け誰もが負けるはずはないと思っていたレース。
武豊がスーパークリークへの騎乗が決まっており、岡とのコンビだが
なにも心配はなかった。そつなくスタートを切り、3〜4番手を抜群の
手応えで走っていたが、4コーナーで急に行き脚が鈍り、直線では
まるで余力がなく離される一方オサイチジョージに3馬身半つけられた
2着。からくもヤエノムテキの追撃を封じた。騎乗ミスと言うことで
落ちついたが、脚部不安で海外遠征も幻となった。


ついに届かなかった盾。生涯初の着外に沈む
1990年10月28日東京 GT 芝2000メートル 天皇賞・秋

鉄人・増沢末夫をパートナーに盾取りに挑んだがスタート草々増沢の
意気込みが空回りし掛かってしまう。4コーナーを回り先頭に並びかけたが
そこでバッタリ脚がとまり、馬群に沈んでいった。1度も先着をゆるさなかった
ヤエノムテキに離されること5馬身の6着。怪物神話が薄れてきた。


もう終わってしまったのか?これ以上惨めな姿はみたくない
1990年11月25日 東京 GT 芝2400メートル ジャパンカップ


本調子でないオグリに世界の強豪を迎え撃つ気力はなかった。今回も騎手は増沢。
前回の反省を活かしたのか今回は抑える作戦。しかしレースは超スローペース。
直線に入っても後方のまま。バテた馬をかわすのが精一杯の11着。
展開の読み違いもあるが、オグリに闘う気力はなかったのか。
翌日スポーツ紙には『引退』の2文字が踊った。しかしファンは伝説はまだ
終わらないと信じていた。。。そして



熱く美しい奇跡を僕らに残し。。。そして伝説になった
1990年12月23日 中山 GT 芝2500メートル 有馬記念

オグリのラストラン。彼女と二人で見守った。
専門家の多くはオグリキャップに勝ち目はないだろうと予想した。
この秋の低迷を見れば的を得た話しだろう。ファン投票1位ながら人気は4番目。
生きのいい4歳勢のホワイトストーンが1番人気、メジロライアンが2番人気。
唯一の材料は鞍上に天才武豊を迎えたこと。オグリはゲー入りする前に武者震い
していたという。気合が戻ったんだきっと。。レースは超スローペース。
各馬引っ掛かる中、オグリはピタリと折り合い中団を追走。
3コーナーからまくり、直線では2番手、そのままオサイチジョージを捕らえ
先頭に立つ。最後は必死にメジロライアンの追撃を4分の3馬身封じ込み
先頭でゴール。怪物が伝説になった瞬間だった。
馬券をとったものも、とらなかったものもみんなが『オグリ」、『オグリ』と
叫んでいた。みんな幸せそうだった。奇跡っていうのは起こるものなんだと。
彼より強い馬は現れても、彼ほど人々を勇気つけ感動させる馬は2度と出ない








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