『大作戦日誌』20040301-20040331

20040301/001149
『じんじんちょう』
ここ数年、だいたい3日おきぐらいな感じで、未亡人宅に話しに行っている。83歳。
その道すがら、沈丁花が満開になっている事に不意に気付く。

花よりも先に、香りが存在を示す。
毎年の事ながら、地味な花なのに香りは芳醇。
そのせいか、毎年の事ながら不意にそれは来る。

 
この香りは、覚えている。
これもまた“個人的追憶装置”のひとつ。
嗅覚は、五感の中で真っ先に飽和して慣れてしまうのに・・・記憶に残る。

両親の結婚が早かった為、小さい頃は貧乏長屋に住んでいた。
庭と言う程の庭も無く囲いすらも無かったが、それぞれの玄関前には植え込みが在った。
お母んが植えたウチの前を含め、ジンチョウゲは結構植えられていた記憶が在る。
 
先日、NHK-BSで小椋圭さんのライブが放映されていた。
沈丁花の香りには、氏の歌を聴いた時の郷愁感覚と何か同軸の様なものが在る。

しかし、こういう感覚は個々にこそ帰属するものだ。
どう扱うかは、自己責任。
それでも、花言葉は“希望”・・・

毎年、深呼吸する。
気合い、入る。・・・入れ。

20040202/001150
『ポケットに入りきれないから』
色々あって、ビデオで観る。

『劇場版ポケットモンスターアドバンスジェネレーション七夜の願い星ジラーチ』

ポケモン映画を初めて観る。TVのんも“見かけた”程度で、ほとんど観た事は無いが。

単純な線で構成されているのに、艶の在るキャラクターデザインだと思う。

ポケモン自体は、モンスターというより妖精さんだが。人語を解するし。
それでも、ちゃんと怪獣映画要素が来るのが良い。
巨大感が在って自分に危害が及ばないものは実写にせよアニメにせよ心地よい。

あと、ピカチュウは、全力攻撃する時に「む゛ぅーーーーーーーーっ ! 」と、
全力で巨大な歯磨きチューブを絞り出すかの如くな全力感あふれる声を出すと知る。
演技というより声ヂカラと呼びたい。

念のためすぎる事ですが、画像はポケモンとは関係ございません。

20040303/001151
『幻想の女海賊』
『パイレーツ・オブ・カリビアン』

怪物含有度ではポケモンに負けているが、比べるのが間違いだ。
でも、ガイコツの動きはハリーハウゼンさんの方が上。
個人的好みのレベルだろうが、素早ければ良いものでは無い事を知る。
『スパイキッズ2』で、
CGガイコツを故意にカクカク動作させていたのは、敬意とか以前に味が在ったし。

“アル中海賊大活躍”というネタは良いし楽しめた部分も在ったが、少々長い。
実写版『ONE PIECE』としては役不足すぎるが、比べるのが間違いだ。
なんでもかんでも比べれば良いというものでもなし。

“実質的主人公がアル中”
“ヒロインがやさぐれていく・・・というか女なりのズル強さに目覚めてゆく”
“雑魚扱いの兵士は惨殺されまくり”
“そのくせ上官は「よくも俺の部下を ! 」とか言わないのだが、
 それはそういう人格だと見る事も出来る”
“黒人女が目立たない”
“海のモンスターが出てこない”
・・・などなど、ディズニーっぽくない要素も在るには在りながら、
総体としては実にディズニー風味。
ヒロインが最終的に“規範”側に残るという事とか。

海賊すなわちアウトローが物語で成り立つのも、
規範たる体制側が在ってこそなのだけれど。

続編が在るのなら、あのヒロインが規範の中に再び戻るラストではもの足りぬ。
もっとも・・・
規範外で身を滅ぼす男という生き物に対して、
規範外を楽しみつつも安住の地はしっかり確保する女という生き物の違い。
そういう違いを理屈で解ろうとしつつも、女の生命力は持てない男だからこそ、
“外”へ出る女を観たいという心理なのかも知れない。
    
念のためにも程が在る事ですが、画像はディズニーとは関係ございません。


20040304/001152
『女には六角形の部分があるのよと彼女は言った』
『六角大王Super4』という3Dモデリングソフトを購入。
1万円以下で買えるわりに、多透の様な素人でも即日使えるコストパフォーマンス。
なんとなく操作しているだけでも、なんとなく使い方が解る。
これは自分の性能では無く、ソフトの性能のおかげそのものだ。

もっと細かい事が出来る凄いソフトは在るのだろうけれど、そこまでの腕はまだ無し。
貼付けている画像が変なのは多透のせいで、ソフトのせいではない。
髪の毛がぞんざいなのも、使いこなせていないからに他ならない。楽しく精進せねば。

購入動機は・・・
「自分のデッサン力不足を痛感したので色んな角度から見易いデッサン人形入手」という、
不純なもの。

『六角大王Super4』には“人体作成機能”というものが在る。
自分の絵を正面図にして、肩や手の先などの基準点を入力していけば、
立体データにしてくれるという凄いもの。
もちろん写真からの作成も可。邪心は無理っぽいが。
  
人体作成機能で作った3Dデータには、規定の骨格が入っている。
その為、ポーズライブラリからポーズを選択すれば瞬時にボーズ変更が可能。

もっとも、体型によっては手足のポリゴンが重なってしまうので微調整必須。
このあたり、凝り出すと大変そうだ。

なんにせよ、昔に夢見ていた事が続々と実現されてゆくのだなぁ。他人によって。

20040305/001153
『さわれない上着・さわれる海』
簡単なジャケットなんぞを作ってみるものの・・・・4時間程もかかる。

やはり、“描く事”の勉強としては自分の手で描くのが最適か?正道こそ近道。
どちらでも楽しいからそれはそれで良いのだけれど。

そうは言っても、3Dデータ作成はパズルの如き面白さが在る。
手段と目的を取り違えず、道具を道具として使わなければ。
 
そして、面白いものが在るからといってそればかり見てはいられない。
集中は大切だが、オタク的矮小性は人生の損失。
好きなものばかり見渡していては、本当に好きなものを見失う。

平日の日中は仕事をし、夜は小説創作や楽描き。
休日は行動範囲を広げ、見聞のみならず思考をも広げる。
この、当たり前に面白く面倒で実現しにくいのだけれど挑む価値の在る事をしよう。

とりあえず、この3月連休。
天候さえ無事ならば、紀伊半島先端でキャンプ&カヌーに挑戦。

20040306/001154
『ケモノバース』
1年の毛は元旦に在り。
かつて、世界の全貌が不明瞭だった時代には・・・
1年分の毛を元旦に生やす民族が居る国も想像された、筈。

されど、毛というものは随意的に促成栽培困難。
多くの場合、勝手に生えて勝手に抜けてゆく。

人体の毛で、最後まで白髪になりにくいのはスネ毛だという。
高齢な方々と接する事も多いので密かにチェックしているが、本当風味。
103歳の方のスネ毛で、白よりも白く透明っぽかった事が在ったのを覚えている。

2004年の元旦は、そうして色々と移動した。

早朝から電車に乗り、大阪から那覇まで飛行機。那覇から石垣島まで飛行機。
石垣島でバス。連絡船で西表島。送迎バスで港。遊覧船で仲間川。徒歩散策。
バスで島半周。自転車で夜間往復2時間。キャンプ場泊。

約16時間程での慌ただしい移動だったが、記憶鮮明なのは自力移動区間だ。
移動距離だけを延ばしても、自分で伸ばす事が出来る部分は別問題なのか。

色が収斂し白に至り透明と化す事も清廉。だがそれだけが、正道ではない。
だから、傷や汚れが在っても伸ばせるものは伸ばしていきたいものだ。
先延ばしはナシで。

20040307/001155
『クラスでひとりぐらいは試験でアミーバと書く』
2004年1月2日。5時半起床。6時出発。ニワトリが鳴いている。
暗い坂を自転車でゆく。昨晩とは反対方向、島を反時計回りに進む。
小雨が降ってくる。どうという事は無い。閉じこもる程ではない。
朝陽は無理と解ってはいたが、星砂海岸へ向かう。

ミトレヤキャンプ場から星砂海岸まで自転車で半時間程。
この間、海岸近くの一部以外はキツい登り坂なし。

砂に掌を触れて見ると、確かに星砂が在る。
現状維持の為、採取は禁止。
死んだ有孔虫の殻だそうだが、殻以外の本体はアメーバとの事。
有殻アメーバと書くと、なんだか系統樹の中でも中途半端な位置に居そうな雰囲気だ。

一般的に星砂と呼ばれるのはバキュロジプシナ(Baculogypsina)という名前との事。
太陽の砂と呼ばれるカルカリナ(Calcarina)も発見。

ちいさきものでも・・・
その名を認識した途端に、周囲に存在するその膨大な数をも認識される事が在る。

この認識こそが、面白い。
虚構の物事しか数えない日々に、何の価値が在るものか。

20040308/001156
『海に立つ人』
画像データの損失でロクな写真が無いのはいつもの事だが、風情の在る海岸。

近くの集積場に膨大な量のゴミ袋が在った。大規模な清掃イベントが在った模様。
その成果か、海岸は奇麗だ。


まだ、薄闇の時間。曇空のまま、だんだん白くなってゆく。誰も居ない。
波打ち際から100mほど離れて、岩礁というか小島が在る。
多くの海岸で、この様な小島を見かけても遠すぎるものが大半だ。
比較的近くても、潮流が激しくて接近しにくい場所も多い。
だが、この星砂海岸ではその夢も叶いそうだ。

空が明るくなり、海の透明度が見えてくる。
遠浅部分はかなり遠くまで在り、干潮ならば徒歩でもかなり島へ接近できそうだ。

事実、ずっと向こうの海面に立つ釣り人も居られた。
海面すれすれにも見える岩礁の上。歩いて行ったのか、船で行ったのか。
いずれにせよ、視界が開けた海面彼方に立つ人影を見るのは面白い体験だ。

結局、1時間程ゆっくりする。
その間、海岸に姿を見せたのは3人。女性ふたり連れと犬散歩の男性のみ。

次の目的地へと、向かう。

20040309/001157
『ウラウチングスタート』
星砂海岸から、自転車で更に30分程。西表島北西部に至る。
島中心部から流れ出る、浦内川の河口。この川こそが、沖縄県最大の川。

河口に架かる浦内橋の脇道に入れば、『
浦内川観光』の建物が在る。
文字通り、浦内川を観光する際の基点。
 
遊覧船で上流まで行き、滝を見学して遊覧船で帰還するコースが一般的。
だが、今回選択したのは・・・帰路をカヌーで川下りするもの。
総時間7時間程の内、カヌーは3〜4時間。
遊覧船代・保険料・昼食弁当・カヌーレンタル料・ガイド料込みで8400円。
今回の旅では、宿代よりも高い。が、充分にその価値は在った。

9時からのオリエンテーションを受ける為、ツアー参加者が揃うまで待機。
少々早く着いたのだが、バス利用ではこの時間に間に合わない。
浦内川観光をメインにする旅なら、近場に宿泊するのがベストだろう。

事務所の2階には、ヤシガニ等の標本が豊富に揃った展示室が在る。
参加者が揃うまで、ここを見学させてもらった。かなり展示内容は充実。

展示室の窓から見える、遊覧船の桟橋。カヌーも並んでいる。
丸太で組まれた足場や、南国の植物が異国感を充填させる。
『地獄の黙示録』冒頭に出てくるベトナムの風景を連想してしまう程だ。

小雨が降っている。気にならないのは、気温の暖かさのせいだ。
この風景の中では、雨に濡れる事さえ面白い。
初めて乗る事になるカヌーという移動体への期待が、更に充填される。

20040310/001158
『カワミチの不思議』
川の旅が始まる。
まずは、遊覧船。昨日の仲間川観光から未だ24時間も経っていない。

感覚は同様でありながら、景観の違いを探してもみる。
高揚のせいか、原生林がより深く見える。マングローブの森。其処に道は無い。
近づくだけなら容易でも、根の群れに阻まれて進行は困難だろう。
川の流れこそが、障害物の少ない“道”となる状況が面白い。

西表島縦断には、この浦内川に沿ってのルート取りが適切なのかも知れない。
無論、川沿いだから進行方角を見失い難いといだけ。其処に道らしい道など無い。
警察と営林所への届け出は勿論、経験と運と技術に基づいた勇気が在ってこそ、だ。

そういう物事が、気負う事無く染みて来る。

マングローブの表情は多彩。品種の違いを見つめているうちに、船も移動する。
この緩やかな移動感は、川をゆく船ならでは、か。

カヌーに乗って、更にそれを実感したのだが。
緩やかな自己移動の中で、遠景と近景の視差が在り、視野の端にすら無限遠の移動と空間が在る。

その日の移動中はずっと“まるで映画のようだ”とも感じていた。
何処か、現実感が希薄な領域を孕んだままに川をゆく。

むしろ、こうして追憶している記憶内部の方にこそ、現実感が在る。

20040311/001159
『ホットテイル西表』
水面は薄茶色。土と水の匂いはするが、汚さは感じない。

普段、あまり海や川や湖を見た事が無い人だと、
“清らかな水にこそ清らかな魚が棲む”という観念を持っている事が多い。

しかし、アマゾン川や黄河を引き合いに出さずとも、澄んでいない水には豊富な栄養が在る。

“富栄養化”が問題になるのは、
生活排水などによる窒素やリンが増えたり、
農薬・環境ホルモンなどの人工化学物質による不揮発性溶存有機物が増える事だ。

勿論、清流にしか棲まない魚も多くいるが、
自然な流れの中で運ばれた土砂によって色づいた川水は、多くの生命を育んでいる。

人間の美意識だけが自然の優劣を裁ける訳ではない、その良い事例だと体感する。

事実、この浦内川流域に棲息する魚種数は約360種。世界的にもトップクラスな多様性との事。
現在に至っても、続々と新種が発見されてもいるそうだ。

絶滅危惧種とされる魚も多いそうだが、単に感傷的に残念がるのでは芸が無い。
その様な種が生き残る程に、古来から現代に至るまでも安定した生命領域だった事こそを認識する。

現在、この浦内川河口部はリゾートホテル開発で揺れている。
自転車で移動した道端にも、多くの建設反対看板を見かけた。

進化闘争の中で滅んでゆく種が生じるのは、自然の摂理。
滅ぶものは滅び、残るものは残り、進化するものは進化する。
そこに感傷が入る隙など本来は、無い。

だが、生態系に大規模長期間の影響を与える術を持ってしまったヒトだからこそ、留意は必要。
既に地域にとけ込んだ民宿も多い現在、

環境維持法規への対応に関して“いまいち”との声も多い建設計画に、疑問と疑念は禁じ得ない。


20040312/001160
『リバーアイズスルーイット』
浦内川を遡り、軍艦岩とよばれる場所で遊覧船から上陸する。
ここが山道の入り口。
    
「ならば、ここまで道は無いのか?」と疑問がわいたが、
それは今までの風景を思い直して納得ができた。
下流になるにつれて、マングローブ森を有する湿地帯は幅を増す。
“川沿いの道”という概念が、役に立たない。
目に見える幅以上に水は広がっており、ヒトの歩行行為を拒む。

雄大なるものは、人が認識しようがしまいが当然の如く広がっている。
認識する前に、気付かなければならないのはヒトの側だ。

風景は、その内包する物事が膨大である程に平易に見えるのだと改めて思う。

広大な砂浜で、ちいさな貝殻に気付き難い様に。
人込みの交差点で、各人の人生が思考から除外される様に。
荒野で、向こう向きに咲いているサボテンの花が見え難い様に。

運ばれる旅では、表層印象しか捉えられない場合が多い。
自力移動で、薄衣の向こうが見えてくる如き感覚。その面白さ。
     

20040313/001161
『彼女が水面に投げた石より水しぶきに視線はゆく』
「こんな所まで来ていいのんか?」という疑問と高揚。

入り込みにくい場所まで、船で運んでもらえる有り難さ。
その嬉しさを感じつつ、
ヒトが入り込んでよいのだろうかという後ろめたさ。それ故の高揚。
 

“観光”というシステムには、そういう愉しみが元来から在る。
単に安全で安定した場所では、気付き難いが。
楽にアクセス可能な場所でも、“発見”当初は交通の便が整っていた場所ばかりでは無い。
今、楽に辿り着けるからといって、“発見”時の高揚を感知しないのは勿体ない。

人間は、想像力というものをせっかく持っているのだから。

だからこそ、ただ漠然と風景の中を流されてゆくのではなく、
自分が辿り着いた光景を“発見”する愉しみは忘れたくないものだ。


20040314/001162
『虚構は発見されて虚構になる』
伊勢湾の沖、鳥羽と伊良湖岬の間に浮かぶ神島を昔に訪ねた時・・・
島の外周遊歩道を抜けると、
不意に視界が広がって学校のグラウンドに辿り着いた時の感覚。

住宅街を散歩していて、不意に農地の広がりに巡り会った時の感覚。

幼い頃に知らない町で感じた“発見快楽”を、ずっと探している気がする。

様々なメディアの表現能力が、発達し続けている現在・・・
文字通り“疑似体験”する手段は増加をやめない。

TVゲームでは、容易に主観視点で非日常の中を移動する疑似体験ができる。
その中で“発見快楽”を獲得する事が主題にさえなっている。
TVゲーム黎明期を体験し、その発達を体感してきた世代として、その面白さは解る。
悪役に仕立てて悦に浸る事は出来ないし、全否定など出来る筈もない。
これからも楽しんではいきたい。

疑似体験の面白さを知っているからこそ、それに埋没したくない強迫観念すら在る。
それはTVゲームに限らず、虚構全体に対しても言える事だ。

しかし・・・
物語を創作したい、すなわち“虚構”を創造したいという目標が在る以上・・・
既成の疑似体験に、頼り続ける訳にはいかないのも現実。

自分の創る物語・・・すなわち、自分の虚構と呼べるものぐらい、
自分の実体験から紡ぎ出せるものでありたい。

20040315/001163
『ニセ忍者をあばけ ! 』
浦内川観光では、軍艦岩まで遊覧船で送ってもらった後に遊歩道を歩く事が出来る。
遊歩道は奇麗に整備されてはいるが、山道は山道だ。
大規模な人数を迎え入れる観光地に在る様な、舗装された遊歩道では無い。

其処には、亜熱帯植物の森を抜けてゆく愉しみが在る。
南国の風が樹々の狭間を渡り行くのが、皮膚で感知できる。
森が覆う、無数の生物。その気配が、自然に解る。

自分に特別な感覚が在るなんて、思わない。
そんなものは、自分で移動し自分の耳目を澄ませば、普通に解るものだ。

遊歩道には、心地よい長さが在った。
遊覧船が一度に運べる人数には限りが在るし、道は曲がりくねり見通しが効かない。
自己移動速度を加減すれば、
家族連れ等の小集団と同行する事なく、視界範囲を無人にできる。容易に。

それでも、曲がりくねった山道で進行方向が変わると、不意に先行者の姿が見える事も。
そんな状況下、バカップルにも遭遇。
如何にフォローしようともしきれない大声で「ガッチャマンの歌」を歌いながら進軍。
それがまた如何にフォローしようともしきれない程の下手っぴだという辛さ。
しかも、歌詞間違ってるし。覚えてないのか、おんなじ部分延々とリフレインするし。

あれか? まだ読んでないけど『ケータイを持ったサル』という奴か?

その2人が、あの空間で何を見て何を感じていたのか知らないし、知りたくも無いが。
自己認識できる空間が矮小な者は、無自覚に精神的騒音をも撒き散らすという例を痛感。
新年早々、反面教師と遭遇するとは。

心地よい事に埋没していると、本当に心地よい感覚を見失うのだなぁ。

20040316/001164
『滝を見れば滝に見られる』
上流に在る2つの滝には、浦内川の遊歩道を伝って歩いて行ける。

遊歩道の勾配は特にキツくなく、ルート設定の上手さに感心。
ヒトが楽に歩行可能な山道は、勝手に生成されるものでは無い。
発見・整備・管理が為されているからこそ、在る。

画像データ破損の為、スケール感が無い画像で申し訳ない。

されどその地に立ち、滝手前の展望台から見渡せば、
西表島が内包する豊富な水量を実感出来る事は事実。

カヌーに乗らない、一般的なツアーの所要時間は約2時間半。
遊歩道出発点の軍艦岩まで、遊覧船で約30分。
つまり、徒歩で散策できる時間は約90分。
滝を見渡す事が出来る展望台までは、一般人がゆっくり歩いて片道約30分。
展望台から徒歩10分でマリュウドの滝。更に徒歩10分でカンピレーの滝。
急いで歩けば、それだけ現場でゆっくりできる理屈だが、少々気ぜわしい。

だがカヌー込みのツアーだと、現地での散策時間が約2時間とれる。
カヌーの時間も含めると1日仕事になるのだが、西表を楽に満喫するにはオススメ。

もう少し長く居たいという感情を抱く人は多い筈だが、
ヒトが長居をすれば地も水も汚れていく現実も在る。

恋も観光も、ちょっと足りないぐらいが良いというやつか?

そのほうが、“次”に繋がってゆくし。

20040317/001165
『タキキオクの奥』
マリュウドの滝・カンピレーの滝の両方ともに、水辺まで行く事が出来る。
夏場なら、民宿のツアーなどで水泳も可能との事。
実にそそられる。

過去の映像資産を再放送する深夜TV枠『NHKアーカイヴス』にて、
東北を舞台にしたTVドラマ版『ユタと不思議な仲間たち』を観た事が在る。
その記憶を更に鮮明にしているのは、その背景たる山の深さ。
特に、川幅いっぱいの岩盤から水幕の如くに溢れ出る滝でのシーンは実に美しい。

当然、自分でもそういった場所に立つ事を望んでもいた。
されど、連休が取り難い身。みちのくは遠し。

それでも、行きたい気持ちが在ればいつかは行ける筈。行く筈だと時期を待ってはいた。

そんな風に、見る事と立つ事を望んでいた風景が、突然に眼前に広がった。

マリュウドの滝・カンピレーの滝双方ともに、膨大な落差は無く階段状の滝。
しかし、それ故に川幅の広がりを実感しつつ、水のエネルギーに触れる事が出来る。
 
押し迫りながらも悠々と在る、両側の山肌。その緑。その空。その水。

自分が旅の中で此処に至らなくとも、此処は在る。
されど、自分が此処に至らなければ、自分が此処を発見する事は無かった。

良き空間に巡り会うと、その当たり前さえもエネルギーになる。

20040318/001166
『未だ立った大陸はひとつ』
西表島を含む八重山諸島は、約1500万年前に隆起していた大陸の一部だそうだ。

飛行機から見た海原の記憶に、陸の色を当てはめてもみる。
だが、中国大陸とも陸続きだった時期、その俯瞰は想像し難い。
これは、自分の内部に大陸の経験値が少ない為だろう。辿り着かねば。

現在の様に島となったのは、約5万年前との事。
浦内川流域を形成している地質は、砂岩が大半の様だ。

早朝に行った星砂海岸でも、
砂岩と泥岩が独特な曲面を持つ岩群が印象的だった。

砂岩層といえば、紀伊半島や和泉層群で馴染み深い。
日本列島の連なりを考えれば当たり前ではあるが、
自身の移動記憶が在るからこそ、更に大地の連なりを実感できる。

大陸ほどの認識スケールには未だ未だ到達していなくとも、まずは列島の距離感を掴みたい。

20040319/001167
『アナホレール・サガン』
砂岩の表情は、面白い。
ヒトとは異なるスケールの時間連接の中で、
僅かずつ僅かずつ時には突然に削られて研磨や変形を積み重ねて来た結果としての、今。

浦内川に立ち、幾つもの“甌穴”を見る。
甌穴とは、川底の窪みに入った砂や小石が水の流れにより同じ場所で回転し、遂には丸い穴を掘ったもの。
甌穴と書いて“おうけつ”と読む。“おけつ”ではない。
個人的には“かめあな”という呼び方が馴染み深い。

長い長い時をかけて削られ続けている穴が、穴の群れが、眼前に在る。千年か、万年か。

穴と呼べない程の、僅かな窪み。
30cm程のものになると、深さも30cm程度になる。
直径1m以上のものも結構、在る。地形と時間によっては更に大きいものも在る筈。
水面上に出ているもの以外にも、よく見てみれば水中にも多数の穴が在る。
大小を問わず数を推量すれば、見渡せる範囲だけでも数千は在るのではないかと思う。

どの穴も、深さより直径が大きいのが面白い。永きに渡る回転と遠心力との結果が視覚で解る。
穴と穴が削られながら繋がったものも在る。
そうして、瀬や渕や流れの中に突き出る岩端と化してゆく穴も在るのだろう。

若い穴ほど、内面の岩肌は荒い。大きな穴ほど、磨かれた如くに曲面が優雅になる。
砂岩であるから、触れてみるとサンドペーパーの如き手触り。
 
水面上に出ている穴でも、水が流れ込む事が無いとは限らない。
川の水位は、実に多彩だ。川岸の岩に刻まれた水流痕跡を見ればよく解る。

水が溜まっている穴の中には、稚魚が幾匹か泳いでいる事がある。
細かい分類は不勉強の為に解らないが、ハゼの仲間の様だ。

甌穴は、稚魚にとって成長までの良きシェルターになっているのかも知れない。
無論、いつかは出なければならない時が来るし、流れが外へと誘うかも知れない。
『山椒魚』の様に、引きこもる訳にはいかない。川面は解放されているのだから。

甌穴は、今も見えない速度で広がっている。
こうして視線を送っている瞬間にも、認識出来ない程の変化は常に生じている。
それは、ヒトとても同じ事だが。

20040320/001168
『スモーク・オン・魚多』
今回、西表島と波照間島に旅して気付いた事に・・・
ポイ捨てされてタバコの吸い殻を殆ど見かけなかった事がある。

マナーが浸透しているのか? 広がり持つ風景の為に見つけ難いのか?
個人的印象では、ポイ捨ても歩きタバコも外部からの来訪者側にこそ多い様だ。
島という空間は、島自体の大きさを体感把握し易い。
それだからこそ、
“自分達の庭先”という意識が自然と浸透しているのかも知れない。
      
浦内川の遊歩道でも、歩きタバコを平然としている観光客が居た。
陸路ではなく川を遡上して到達した自分自身が居るというのに、
その自らの時間を即座に忘却しているのだろうか?
今自分が見ている空間が、
燃えて消失してしまう可能性は一片も考えないのだろうか?
非常時には、即座に消防車が駆けつけてくれるとでも思っているのだろうか?

問題は、火災のみに留まらない。
喫煙者の大半が、
ポイ捨てしたフィルターが風化するまで年単位の時間が必要な事を知らない。
思考しようとさえ、していない。

浦内川観光の受付では、
喫煙習慣を持つ観光客に対して、携帯灰皿の所持を確認してくれている。
持参していない者には、販売もしている。ヤマネコの絵が印刷された渋いヤツだ。
“動植物や環境に留意しつつ学びながら風景を感じる”とする、
エコツアーの看板を掲げるだけの事は在る。
だが、観光客の実際を見れば・・・
“ここから先、全面禁煙”にしてもらいたいところだが。
      
これは、あれか?
喫煙者ドクターが多かった為も在って、
近年まで医師会からの禁煙アピールが少なかった様なものか?
観光協会にも喫煙者が居る為に“完全禁煙”に踏み出せないとしたら情けない。
今や日本医師会も「タバコを控えましょう」ではなく、
「タバコを止めましょう」とCMで明言している時代。
西表島においても、西表温泉を有するホテルでは喫煙場所は在るものの、
“環境への配慮の為、客室は全室禁煙”を実践しているというのに。

浦内川観光はツアー内容のみならず職員諸氏の応対も丁寧で好印象。
ただ、この喫煙ルールだけが気になった。

20040321/001169
『船とボイン』
いよいよ、カヌーに乗る。当然、初回体験。
興味は以前から在ったので、取るに足らない知識だけは入れていたつもりだった。
が、実践を伴わない知識など、情報以前のカケラに過ぎない。
スポーツの多くでは、その理屈が該当する。今回も、勿論そう。

この日におけるカヌーツアー参加者は、7人。
初老夫婦・その息子夫婦らしき2人・20代女性ふたり連れ、そして多透。
浦内川観光のガイドさん1名が付き添ってくれるので、総勢8名での川下り。

ガイドさんと多透は1人乗り、他の方々は2人乗りのカヌーになる。
ガイドさんとカップリングされるのではないか?と、
寸前までドキドキしていたが、ひと安心。やはり最初は独立独歩。
  

今回のカヌーは、ポリエチレン製のゴツイ奴。
船体幅がゴツいのでスピードは出し難いが、そのぶん安定感重視の設計。
微妙に内部浸水させて、更に安定度を高めているそうだ。なるほど物理学。
上の画像は、遊覧船ですれ違った個人艇。
今回乗せてもらったものは、上面が解放されているタイプ。

1人乗りという事で、最初に乗り方の見本をさせてもらえた。注視の中、乗船。
ひっくり返らずに乗れたが、進行方向が定まらない。面白い。

パドルは、1本の両側に水かきが装着されたもの。
これも、こだわりだしたら高価なものが幾らでも在りそうな道具だ。
それよりなにより、思った方向へ進むのが先決。
 
一昨年の夏、瀬戸内海の白木島にて初めてボートを漕いだ。
その時の2本オールよりは、操作し易い感じ。
最初の10分程を右往左往していれば、なんとか感覚が掴めてくる。

漕いだ反作用により、漕いだ方と反対側に曲がる。こりゃ面白い。

20040322/001170
『足袋ゆけば南の水に』
濡れても良い服装にて参加という事だったので、レインコートの上下を装備。
コンパクト収納できるので、旅支度の標準装備。毎度毎度、役に立つ奴。

ライフジャケットとシューズは貸してもらえる。
シューズはマリンシューズやビーチシューズ等と呼称されるゴム底のもの。
小学校の上履きを思い出すが、遥かに柔軟性に富む。まさに、地下足袋感覚。

足袋というと、祖母の家に大量に在った記憶残存。物持ちの良い世代な人だった。
フック状の留め金部分が、幼少時の目には妙にシステマチックに見えた。
留め金ではなく、足袋本体の形状などに固執していたらば、
ストッキングマニアとかの道が開けていたのかも知れない。どうか?

よく漫画やドラマで戯画化される“パンツを頭部に装着する変態”というアレ。
あの行為は、どうにも理解できないと長年思っているのだが。どうか?
何故に頭に? 母胎回帰?
 
なにはともあれ、地下足袋風味のシューズは快適。
これを履いて遊歩道を歩き滝見物にも行ったのだが、濡れた砂岩の上でも滑り難い。
年に数人、滝近くの砂岩で滑って骨折する観光客が居るとの事。亡くなった方も居るそう。
救急車など来れない地。誰かに担がれ、船で河口へ戻るしかない。

適切な道具は、自分の為のみならず。

20040323/001171
『切り札もまた手札』
「あんた、よぅそんなに何でもかんでも面白がれるなぁ。ほんまにもぅ ! 」と、
昔別れた彼女に大阪弁かつ「ほんまにもぅ ! 」付きで蹴られた事も、確か春の事。

そうは言われても、面白がれない人生も辛かろう。

僕らの国には不幸も多いが、平穏も多い。
真摯である事は美徳だけれど、しかめっつらだけで日々をゆけば色々と見失う。

他人だけが、自分を面白がらせてくれる訳でもない。
自分で面白がれない人間が、他の誰かを面白がらせる事が出来る可能性は低い。
他人の不幸や矮小のみを面白がる様な輩だけを、面白がらせたいのなら別だが。

衣食住を自己責任で確保できたなら、新しい手札を増やしても良かろう。
持ち札だけでは、自分を食い潰す。
   
浦内川カヌーツアーでは、河口までの約8kmを緩やかに3時間以上かけて川をゆく。
その間、カヌーで支流に入ったり、上陸しての散歩も楽しませてもらえる。

陸路からでは到達困難な場所に、カヌーで辿り着き、其処を歩く。
これが面白くなくて、何だというのか。

20040324/001172
『しじみみる船』
関西圏では縁遠い、亜熱帯植物の森。
湿地帯。水面上に踏ん張るマングローブの樹々。そうする理由は地盤が緩い為だ。
土に支えてもらえないから、自分で踏ん張るしかない。

支流の奥、滝を見る。開放的な滝も良いが、森の奥に隠れた滝もまた魅力。

泥の山が幾つも在る。
幾つもの穴が開いており、穴の周囲には比較的新しく乾き始めた泥が積もる。
シャコエビの巣だ。ここで見られるものはオキナワアナジャコとの事。

ガイドさんが、20cm程もある貝を手渡してくれる。この巨大さで、実はシジミ貝だという。
シレナシジミという名。シジミ貝としては世界最大種だそうだ。
そんなものが、この手の中に !  と、見渡せば・・・足下にゴロゴロ居る。
掌に余る程の大きさ。金属色に輝く外殻は、野趣の中に何処か人工感を含む様な魅力色彩。
光沢のせいか、ずっしりとした重量感も在る。が、中味は小さいとの事。
昔は食用にもしたそうだが・・・
食料の安定供給が為された現代では「無理に食べる程でもない」味なのだそうだ。

遊覧船に乗っていた時には、視界に在りながら見えていなかった物事。
面白い。

20040325/001173
『船は出てゆく煙は残る時も在る』
水の匂いが、在る。
浦内川では、河口から10数キロ近い上流まで汽水域となる。
広い河口から海水が入り込み、淡水と入り交じる。
潮の匂いを嗅ぎ取ろうとしたが、あまりに巨大な空間として混在する為に困難。

水と土と植物の匂いが、飽和する程に入り交じっている。
土と植物の狭間に在る、枯葉の匂いも混在している。

こういった空間で喫煙する者は、嗅げる筈の匂いを自ら拒否している。
自然臭は、心地よいものばかりでは無い。けれど、自らの中毒性に埋没して何になる。

数年前、毎日新聞の記者によるコラムに喫煙関連のものが在った。大意は次の通り。

『山登りが好きだ。山上の景観を楽しみつつ吸うタバコは格別だ。その為にも登りたい。
 だが、どうにも冷たい視線を送ってくださる方々が居る。
 私はポイ捨てをしない。ちゃんと携帯灰皿を持っている。それもちゃんと見て欲しい ! 』

自分が美徳と思っている物事に酔うあまり、大局を見失っている典型例。

非喫煙者が匂いに敏感すぎるのでは無く、喫煙者が嗅覚を麻痺させているからだ。
タバコの煙は、実に遠くまで到達する。
野外では無風状態など、そうそう無い。タバコ臭は軽く20mは届く。
 
人間は、本能的と言える程に自己正当化を行う。自己保存能力の現れだ。
克己にも繋がる要素でもあるが、それは客観視能力が伴えばこそ。

弱さの正当化が為される程、他者を否定する事での自己正当化が顕著になる。
依存症を持つ他者を否定する事で、「自分はまだマシだ」とする思考回路は定番。

喫煙者への風当たりは、今後も更に世論として強くなってゆくだろう。
自らが発している臭気範囲すら認識しようとしない者が多いのだから、尚更だ。

人間は、自らに関連しない不快臭気を悪臭と総括する。
喫煙者とて、糞尿の匂いは知覚できる人が多いだろう。

貴方が喫煙者であろうと無かろうと、20m以上も糞尿臭をまき散らす者を信用できるだろうか?

20040326/001174
『透明かれは』
汽水域が広大な浦内川では、流れの曲がり方や川岸からの距離で塩分濃度が異なるそうだ。
動植物は、各自に適した塩分濃度に応じて棲み分けをしているとの事。

マングローブの葉には、黄変しているものが在る。
これは、温度変化による紅葉では無い。
木の全体が塩分によって枯死せぬ様に、葉が塩分を吸収した結果との事。
塩分で枯れた葉は、水面に落ちる。そして川を肥やしたり貝の食物になる。

動植物が織りなす調律は、静かなものが多い。
人工物に囲まれている空間ですら、微細で繊細にそれは続いている。

当たり前すぎて見えていないものも在れば、学習しようともせずに見えていないものも在る。

結局、学習し知覚し確認しようとしなければ、何も解らない。
「科学では解らないものが在る」と声高に叫ぶ者ほど、科学を学ぼうともしていない様に。

水面に浮かぶ、黄変した枯葉。
それを見る自分の内部にも、新陳代謝が在る。見えない枯葉を、自分も出している。

20040327/001175
『低水飛行船』
浦内川の流れは、実に緩やかだ。
水面に浮いた葉が、ろくに動いて見えない程に。
そういう川だからこそ、自分の様な初心者でも安定してカヌーに乗れたのだろう。
水深30cm程度の場所も多いが、カヌーが乗り上げてしまう様な浅瀬はルートに無い。

そんな浅い水深でさえ進行してゆけるカヌーは、乗り物として結構特異な存在なのかも知れない。
川遊びをした方なら実感済だろうが、水の流れという存在は強大な圧力を持っている。

川釣りを通年に渡って勢力的にされている知人は、
真冬でも腰近くまで水に浸かりながら竿をふるっている。
しかし、それは充分な筋力・経験・観察力・判断力が身に付いているからこそ、だ。

川の特性を知らず、知ろうともせずに、流れの強い場所に踏み込んでしまう無謀をすれば、
足首程度の水深でも容易に足払いをくらう。

しかし、船という浮力空間道具を利用すれば、その水流を容易に推進力へ転換できる。
単純なれど、それ故に明快な事実。

浅瀬を浮かびながら進んでゆけるというのも、独特の快感が在る。

太古・・・おそらくは当時の人類圏の各所で・・・
同時発生的に“発明”されたのであろう、黎明期の船を空想する。

20040328/001176
『ミズカガミ』
浦内川カヌーツアーでは、支流に入っての散歩もさせてもらえる。

膝まで水に浸かり、薄暗いマングローブの森を歩く。
流れが強ければ動けない深さだが、流れ無き水空間。
心地よささえ感じる、水の感触。水は水。空気は気。
動植物を育む泥色が在る。種子が在る。成長が在る。
静かに凪いだ水面が緑を映す、奇妙な鏡面水が在る。

案内してもらえたからこそ辿り着いている場所だというのに、
こういう場所での孤独を望む意識が、自分の内部でザワつく。

これは、旅を重ねていると馴染みの感覚だ。

空間を支配したいという思考角度では無く、
他者の知覚が及ばない空間で自己を知覚し、
一個の生物として在る事を認識したい欲望。

独り旅を「寂しいでしょ?」と問う人も多いが、
旅人の半数は、この感覚を求めて移動する筈だ。

世界の中に、自分という“個”を置く。
それが、寂しいだけの筈があるものか?

20040329/001177
『無冠の鳥類』
カンムリワシが、マングローブの梢にとまっていた。
特別天然記念物にしては、大胆な奴だ。
希少種として特殊鳥類に指定されているわりに、西表島では姿を見かけやすいそうだ。
結構な確率で、電信柱にとまっている姿を見つけられる事も在るという。

今回目撃した個体の印象は、“思ったよりも小さく白っぽい”というもの。

石垣島と西表島にしか棲息しおらず、個体数も200羽程度。
その状況で、幼鳥がどれだけ存在しているのか知らないが、
もしかすると稀少な幼鳥に巡り会えたのかも知れず。

以前に書いた通り、浦内川には絶滅危惧種の魚類も多く生息している。

『レッドデータブック』における絶滅危惧種の定義を、個体数の部分だけ引用すると・・・
【絶滅危惧II類】個体群の成熟個体数が10,000未満であると推定されるもの
【絶滅危惧IB類】個体群の成熟個体数が2,500未満であると推定されるもの
【絶滅危惧IA類】個体群の成熟個体数が250未満であると推定されるもの

色々と補項条件は在るとはいえ、個体数のみを見るだけでもシビアな数字。

進化の中で淘汰が在るのは、当然の事。
そこに擬人化や感情移入をしすぎれば、かえって論点を見失う部分は、在る。

感情論を持ち出すのなら、「かわいそうかわいそう」よりも・・・
「俺が未だ見てないのに、勝手に絶滅させるな ! 」の方が正直で気持ちいい。

20040330/001178
『水どおりの視点標高』
幾度か、この日誌でも書いてきた自己目標のひとつに“視点の多角化”が在る。

人と接する仕事をする身として、
「部分的な言動だけで、その人の人格すべてを安易に否定しない」という心がけは重要。
日常において、簡単に表層印象だけで判断してしまえば自分自身を狭量にするだけ。

されど、記憶は固執し易く、視点も硬縮し易く、善悪さえも相対的だ。

だからこそ、視点の多角化させてゆく事こそが大人になってゆく事だとも思う。

探し物をする時、同じ視線位置だけでは発見できない状況が多々在る。
床や地面に視線の高さを移す事で、見つかる物事も多い。

カヌーに乗って面白かったのは、なんといっても水面近くの視線位置で移動できる事だ。
水鳥の視点であり、羽虫の視点であり、舞う枯葉の視点でもある。

飛ぶ夢を性欲と関連づけるのは定番だが、ならば、飛ぶ事は性的快楽に通じるのか?

カヌーに座した姿勢なれど、水面近くを飛んでいる如き視点移動を続けながら思う。

20040331/001179
『また来る時は別の水なれど』
何時の間にか河口が近づく。この日の、船旅の終わり。

2000mmを超えるという、年間降雨量。
それは、西表島の亜熱帯林と河川の豊かな水量を維持形成している。
豊富な水は、人跡未踏の地にも無数の川や湿地や洞窟を育て続けている。

この浦内川流域には、
悲しい歴史を持つ炭坑も在れば、今も昔も続く当たり前の人間の生活も在る。

水が在り、流れてゆく。
自然環境を含めた空間構成の全てに、訪れて良かったという縁を感ずる。

ただ漠然と見ただけの視界にも、ヒトの手が未だ触れない部分が在る。
実は、世界には、そういう場所の方が多いのだが。

そういう場所を、船で通り過ぎさせてもらっている時間。
それが心地よくない筈も無し。

桟橋に到着し、道具を返却する。
レンタカーで宿へ帰る人達。民宿まで送ってもらう人達。
ただ独り、桟橋横のシャワーを借りて、着替える。

自転車の場所まで戻ると、川風の中に、やっと潮の香りが淡く在る。
自転車で、更に河口まで走り、残りの距離を少しだけ縮めてみる。



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