『大作戦日誌』20050201-20050228

20050201/001367
『かねての夢のどっちかを』
TVアニメ版『ドラえもん』リニューアルに向けて、
原作ファンとしてはコミックス全45巻読破をもって祝う。

てんとう虫コミックスに未収録作品が存在するのは、有名な話。

単行本を編纂する際、
藤子先生によって未選択だったり、ページ数の都合だったり。

コロコロコミック誌や学年誌に掲載時に読んだものの、
単行本未収録が惜しい短編は数多く在る。

長年のファンなら、
それぞれ個人的に“あの話を ! ”な一編を持つ人も多いだろう。

しかし、遂に、2005年3月・・・
未収録作品群を編集した単行本『ドラえもん+(プラス)』シリーズが開始 !

なんと、第1巻目から、我がココロの一編が収録されていたという個人的幸運。

『ぼくを止めるのび太』・・・
僅か10ページながら、大好きな時間ネタが異常なまとまりを持つ好編。

モデラーのココロをくすぐるアレの作用もあって、
20数年前に同級生のカワサキ君宅で読ませてもらってからずっと記憶に残留。

なるほど。こんな日も来るものだなぁ。

20050202/001368
『青い猫フルスロットル』
ここはひとつ、TVアニメ版『ドラえもん』への個人的要望として・・・
原作風味の絵柄での制作もしてもらいたいトコロ。

藤子アニメが放映される度、丸みが強調される傾向が在るからだ。

原作寄りのファンとしては、あのカリッとした気持ちいい描線が動くのを見たい。

単純化・記号化は、漫画作品であるから当然であるけれど、
無数の作品群の中でも、藤子作品の描線には実に高度なポップアート性を感じる。

3月25日の劇場版『のび太のワンニャン時空伝』TV放映後、
4月からのリニューアル版映像が少しだけ公開解禁。

遠目には解らない差異の様に見えて・・・
腕の描線が、丸み優先の円弧ではなく原作風味の直線系になって・・・いる様にも見える。

ここはひとつ、時々は特別版とか称して、
1970年当時の“妙に鼻の下が長くて重心の低いドラえもん”の絵柄再現にも挑んでいただきたく !

20050203/001369
『自分だけロードムービー』
久米島の最南端へ向かう道。
海沿いを、自転車で走れるのは幸運だ。

牛小屋の、その前を走る。

“ずっと先”へ続いている道。
とても長い坂道。

道の傍らに広がる静かな清海では、誰かが夕飯の食材を獲っている。

自分のゆく道よりも長く長く遠くへ伸びている雲を見る。
その傍らを、走ってゆく。

どうしようもなく1秒1秒が初めてだ。
1ミリ前方は、予測にすぎない未知。

それは・・・
文字や絵で物語を創りあげてゆく快楽とも似ている。

この悦びの渇望が優先事項になっている以上、
“次”は、
常に移動を伴う“自分だけ物語”が基本になってしまうのではないのか?

・・・いや、それは、物語を紡ぐ時間に対する言い訳に過ぎない。

両方を欲しがっている以上、両方を紡いでこそなんぼ。

20050204/001370
『ここからは歩けます』
長い坂道を、ずうっと登る。
勾配は、キツくない。長さが心地よい。

登りきると、「ぁあ、此処からは歩きだな」と自然に解る。
自転車を、置く。

誰の声も、聞こえない。
隣の岬に、台風のなごり。
 

誰かが造ってくれた階段を登る。
いい感じに、まっすぐ。

展望台は、その上だ。


20050205/001371
『鶏口たるとも鯨を見よ』
久米島の最南端。
“鳥の口”という地名。

舞い降りる蝶にも例えられる、久米島の形状。
その流れで、島を鳥の頭部に見立てたのかと思ってもいた。
だが、その場に立ってみると・・・
鳥の頭部に見える巨岩が、海から突き出ていて納得する。
 
“クジラの見える丘”と名付けられた、展望台。
丘の天辺に、柵とベンチ。
ただ、あっけらかんと気持ち良く存在する。

細い道が、柵で終点になっている様に見えて・・・
しかしそれでもその向こうには彼方への広がりが在る。

勿論、安全上の設置ではあるが。
観念的には、単なる便宜的な境界が存在するせいで、
より“彼方”が認識されてしまう。

20050206/001372
快気圏突破せよ
風には、道が在る。
ずっと潮風に吹かれている場所でも、
数歩をゆくだけで、海の匂いが濃縮された“圏”が在る。

風はずっと吹いているのだが、静か。
それは単純に沈黙が存在する静けさではなく、
空の底で意識が奇妙に静寂という事だ。

贅沢という感覚圏は、なんかとんでもない所だけではなく、
道の果てる場所とか、道のそこいらへんとかに在る。


20050207/001373
『ふかふかちんちん』

展望台への坂道を登りきると、子供を5人連れた女性がクジラを探していた。

早速、自分でも注視してみる。
だが、その位置でクジラを視認した事が無いので感覚が掴めない。
どうしようもなく彼方まで広がる空間に、
どれぐらいの見かけの大きさでクジラが来るのか?
勿論、それは彼我の距離にもよるし、個体の大きさにもよる。
すなわち、不可知。

考察の出発点として公認可能の確実な知識や事実以上の実在・・・
例えば、究極的真理や神などを人間は知覚不可能だとする主張を不可知論と言う。
不可知論の立場においても・・・
「超存在は不可知なれど存在する」というものと、
「その有無すら不可知である」というものに分派される。

なんのことはない。
この眼前の海に、必ず居る筈のクジラですら不可知ではないか。
 

しばらくすると、展望台には自分ひとりとなる。

若いカップルが来訪し、写真をそれぞれ撮った後に帰ろうとする。
「シャッター、押しましょうか?」

念のため、2回、撮る。

ああ、これは確実な事だ。たぶん。


20050208/001374
代用檸檬
梶井基次郎の如く、
「いずれは何処かに檸檬を据えつけてやろうか?」と、
はじめに思ったのは幾つの頃の事だったか?

そうもこうもしていられないので。
コンビニで、ばくだんを買った。

たかだか数百円も在れば地雷が造れるこの世界。
コンビニで色々と買うぐらいオチャノコサイサイだ。

島の端っこの展望台で、自分だけになった。
太陽がとろけてゆくのを見ながら、ばくだんを食った。
 

20050209/001375
『東シナ海にそよげ耳毛』
広大が在るという事は、黄昏の反対側には未だ青空。
 
住宅街の狭間で観る夕陽と、解放された水平線に観る夕陽。

貴賎を語るのは無粋。
在るものは夕陽そのものの差異では無く、自分の立ち位置の差異であるからだ。

太陽は、自分の見ていない所でも、誰かにとって美しい。


場所によって美しさを見いだせないのならば、欠落しているのは自己なのだ。


20050210/001376
『海に陽を観るとゆう事』
だが、それでも差異を感じてしまう事象は、
その夕陽が抱きかかえてゆく時間の速度だ。

自分の立ち位置に対して、周囲が広大で在れば在る程に、
その時間劇場は多弁になる。

 
唐突に太陽の扉が閉じるのではなく、
何か巨大な歯車が無形の夕景をギャリギャリと動かしてゆく様だ。

耳の中に、夕陽のひとすじを流し込む。

20050211/001377
『鼻に夕陽のたとえもあるさ』

知覚しておきたい空間要素が多弁多彩すぎて、思考を加速せざるをえない。
空間を言語化するよりも早く、世界は変転する。

それは実は、平常でも同様で在り、当たり前の事なのだけれど。
広大を注視し、それを認識したいという欲求が、とにかく飽和しながら加速する。
そんな思考とは、まぁったく関係無く、太陽は動く。

自分が微細な点に過ぎない空間で、矮小なまま命の終局を考えるのは易い。
まぁ、それは当たり前の事なのだけれど。
踏ん張ってこそ、花。


20050212/001378
日常サーフィン
またまた更新にカナリ間が空いてしまいました。
が、誰しもが同じ時間軸の上。
日常のナンヤカンヤは留まる事を知らず。

「大丈夫か俺!? ぅわっ!? がんばれ俺。
 がんばれ俺。がんばれ俺。がんばれ俺。がんばれ俺。がんばれ俺。
 ん、頑張った。ハイ ! 次っ ! ! 」のリフレイン。

男、三十代。
クソするのも面倒くさくなる程に疲れ寝る事が出来るのは幸福か?
単なるトシか? 充実か?

20050213/001379
エナシ
更新できないよりは、画像ナシでも何か記してゆこうという方針に。

20045214/001380
銀シャリ・コード
いっそ、
ギリシャ神話以前のドキドキ原形質がイッパイ詰まった、
ステキな神話体系が発見されましたというのはどうか?

人呼んで、ギシャリ神話。

20050215/001381
キレ味、壮快
1日で2リットルぐらいだから、まぁ、そんなに“無茶”な量ではない。

近頃新発売のペットボトル茶『若武者』を飲む。

薬効というより、タイミングの問題だろうけれど・・・
なんか、やたらと宿便が出ていった様、な。

やるなぁ、若武者。

20050216/001382
糧金
1日で2リットルぐらいだから、まぁ、そんなに“無茶”な量ではない。

対比実験は必要だ。
検証してこそ科学的。

今日は、『カテキン茶』にしてみた。

もともと、あんまし好きな味ではなかったので、
何かステキな変化がカムオンするかと期待したが・・・
なんもおこらない。

20050217/001383
腸活動期
1日で2リットルぐらいだから、まぁ、そんなに“無茶”な量ではない。

今日は、近頃新発売のペットボトル茶『一(はじめ)』を飲んでみた。

やたらと屁が出た。

ドラえもんが感動強制機ジーンマイクを出していたら、
名台詞「おおっ なんという感動的なおなら!」を言われた筈。

20050218/001384
早く産まれて早く生きる
知人と話をしていて、こんな事を言われる。

「私は八ヶ月の時に出てきた早産でしてね、
 小さい頃から体が弱いんですよ」

義務や責任以前の瞬発力で、とりあえずツッコミをいれておいた。

「んなこと言うてて・・・
 80歳越えても、元気に将棋指してますがな ! 」

20050219/001385
ドミノ倒しは並べてから
まぁ、その人は自覚的に言うてはるから、それはそれとして。

世の中には“後遺症”という言葉に縛られている人も多い。

「20年前にギックリ腰したから・・・」とか、
「30年前に病気で寝込んだから・・・」とか、
今現在に保ち得ている健康度に目を向けず、過去の怪我や病気を気に病むのはどうか?

“後遺症”という言葉で多く誤解されているのだが、
昔の怪我や病気の影響が何十年もした後で突然に出てくるなんて事は稀少。

本当の後遺症は“ある日突然”ではなく、“ずっと”続いているものだ。

よほどの大怪我や難病ならばともかく、
今現在に日常生活を送れている者が“ある日突然に後遺症が ! ”を気に病んでも仕方が無い。

それはドラマの見すぎ。

20050220/001386
『見れば居る筈』
怪我や病気から延々と続く、ほんまもんの後遺症に悩んでいる人は多い。

大きな傷痕や出血が在るわけでなくとも、見た目が普通でも。
しびれや麻痺などの神経症状や、肉体障害、体調不良、PTSDに悩んでいる人々は実に多い。

周囲へのコミュニケーションを少し広げてゆくだけで、そういう実感が実に在る。

幼い頃から、周囲に疾病と戦う人が複数いてくれたのは、幸か?不幸か?

20050221/001387
それは必要な探し物か?
だからこそ、
今現在に保ち得ている健康度を認識し、自信を継続させてゆく事を・・・
そういう事を自分で楽しめていけたらと思う。

大小に関わらず、怪我や病気は心身にとって事件。
それらが後々に影響を及ぼしてくるかもしれないと、心配する気持ちは解る。

だが、精神的逃避のイイワケ探しで、
過去に治癒した怪我や病気を引き合いに出して、それに依存するのはどうなのか?

そりゃあ、マータイさんでなくとも「モッタイナイ」と言われるだけだ。

20050222/001388
遠い日記
先に書いた80代の男性。

たまたま一緒に居た平成17年5月27日の昼前。
フィリピンで日本兵発見のニュースが流れる。

「もぅ、敬礼はせえへん。
 けど、名前ぐらいは覚えといたろ・・・」

20050223/001389
『』

20050224/001340
『』

20050225/001341

20050226/001342
『』
 


20050227/001343
『』



20050228/001344
『』










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