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『大作戦日誌』20040201-20040229

20040201/001119
『サイエンスロッジマンGO!GO!!』
それはさておき、2月。
2月は日数が少ないので油断ならない。
それでなくとも今年はオリムピック年。2月が29日まで在ると油断させる作戦。
だが、油断に酔いしれる程にドンファンな我々では無い。
油断と風邪予防を目的とし、行動隊『ドーゼオーバーズ』は新年会を開催した。
すなわち、氷点下の烈風吹き荒れし冬の葛城山頂に於ける“鴨鍋会”である。

それぞれの日常それぞれの仕事を持つ我々は、綿密でない行動計画に基づき、
土曜夕刻に各人が様々な交通機関により現地集合となった。

山道の途中に在る神社の水のみならず、山頂付近は氷漬け。
1月には積雪が20cm以上在ったそうだが、
それらが融解と凍結を繰り返した結果、見渡す限り氷の世界。
気分は空想科學氷河期。
 
この葛城山頂にて多透は、昨年12月に単独テント泊を決行。
山頂の寒さを体感しつつ、陽の出を堪能。
その報告もあって、今回の新年会場が決定・・・したのだが、
連日氷点下の山頂で男5人テント泊は辛いというのも現実。
大枚8000円をはたいて、国民宿舎『葛城高原ロッジ』に宿泊決行となった。

12月時点では玄関付近しか体感していなかった為、
勝手に内部を70年代風味に想像していたのだが、さにあらず。
客室壁面&天井は、木目も美しき板張りを施した山小屋風味。
清掃や手入れが行き届いている感が在り、実に心地よい。
石油ファンヒーターとコタツ配備で、屋外の氷点下を感じさせぬ適温満喫。
快適な山風呂は、宿泊客ならば翌朝9時まで夜中も入浴できる。
 
久しぶりの鴨肉だったが、今までウチで食べていたものは煮過ぎだったと知る。
すぐに熱が通るので、素早く食して良しだったのだ。
5人前の量も良く、肉ばかりか野菜類も充分な量。
国民宿舎にありがちなショボさは無い。
秘伝のダシはユズの風味が食欲を加速させるもので、シメに行った雑炊も大満足。
朝食も適量。
この内容と環境で1泊2食8000円は安い。
 
今回集結したメンバーも、いたくお気に入りの御様子。

とにかく、自宅から2時間程で山頂まで到達できて快適環境。
個人的にも今後の利用を画策中。

20040202/001120
『記憶のススキは枯れぬまま』
葛城山頂、風強し。
標高957mなので森林限界と言う訳ではないのだが、
山頂部は樹木で覆われてはいない。文字通りの吹きっさらし。
その為、山頂からは360度の景観が楽しめるのだが。寒風満喫。

ツツジの群生が満開となり山頂を染める春には、
見物客の混雑でロープウェイが2時間待ちの時も在るそうだ。

また、秋にはススキの原も楽しめるらしい。
視界満腹のススキという情景には、個人的に思い出深いものが在る。
幼少時の近所風景とも重なるので、今年の秋こそススキ観賞野望。
近年は、色々と行事が重なって達成できていない身。本年度目標のひとつ。
 
鴨鍋を食した後、心身が休息ダラダラ体勢になる寸前 っ!  意を決して夜景観賞。
天理市街の夜景と、月光。振り返れば、関西国際空港の光。

北海道旅行の際は、零下10度の中でも歩いていると汗まみれになった、が。
明らかにそれより高い気温の中といえども、寒風で顔面がチリチリと痛い。
げに恐ろしきは体感温度。鼻毛も痛い。

国民宿舎玄関には温度計。氷点下6度。
ホット缶紅茶が速攻で冷えてきたのもうなずける。

20040203/001121
『ワンダリングチャンス』
部屋に戻ってテレビジョンGO!GO!!
ニュースでは、関西学院ワンダーフォーゲル部の遭難が報じられていた。
先刻、我々が体感したよりも酷い寒冷と吹雪。その冷気がリアルに想像できる。

後日、無事全員救出されて安堵。それまでの他の遭難報道よりも考える事が出来た。
たとえ素人なりの入り口のみといえども、体感した事に通じる物事は思考深度が異なる。

それで全部を知り得た気になって、知ったかぶったり見失ったりもしたし、
今でも在るのだろうけれど。
机上の空論だけを楽しめる性分でも無し。
体感した物事からこそ、物語を紡いでゆこう。
 
今回の遭難報道でも、第三者は色々と話していた。
身の回りで、“登山”というレベルの行為を経てきた方々とも話題にして会話した。

報道では、不勉強や油断を攻める声が多かった。
それは事実だし、その意見を発する事が事故の抑制にも通じるとも思う。

だが、山岳経験を重ねている方々の多くから聞いた生の声では・・・
「失敗した者だからこそ、自分や他の登山者や後輩にも語る物事は本物になる。
 正当な反省が在ればこそ、他者の失敗を予防させる事が出来る部分も在る」
・・・という様な、“これから”が素直に語られていたのが興味深かった。

そこに行かねば見られない光景が在る以上、誰かが行くだろう。

20040204/001122
『あたしは夕峰を見た』
空には何時だって“何か”が飛んでいる。飛んでいるのだから仕方が無い。
「僕らは宿を抜け出して、みんなで空を見ていると、わりと凄いものを見たんだ」

夜の葛城山頂には、僕らしか居なかった。
別次元の存在が団体で居たのかもしれなかったが、見える人間型は我らのみ。

だが、だからといって我らを見つめる者が・・・
銀盤の如き月面だけだと断定して良いものであろうか? 探せ、熱視線。
 
個人的には2ヶ月ぶりの山頂。そして、1ヶ月前に沖縄へと飛び立った際の空港が放つ光。
かつての旅路と、やがて獲得するであろう旅路、そして寒風に武者ブルい。

「アッ !  あれは何だっ!?」
「おおっ ! 指差し確認された虚空に火星(くぅわせい)よりも毒々しい紅き光点ぐわっ ! 」
「ユーホー !  ユーホー ! 」
「ぃや ! あすこは関空上空 ! 航空管制の灯火ではないのか?」
「それにしては高空過ぎる。飛行機そのものの光では?」
「そうは言っても、静止しているのが怪しい」
「ユーホー !  ユーホー ! 」
「ベントラー ! ベントラー ! ! 」
「俺が、念波で交信してやる ! 」
「ム ! おあつらえ向きな事に100円望遠鏡 ! 」
「確認してはならぬっ ! 未確認なればこそ、アレはUFOとして在り続けられるのじゃよ ! 」
「だが、見る ! ・・・ううっ ! 赤い光の両側に小さいオレンジ光が2つ ! 」
「違う ! あんなものはUFOとちゃう ! 俺がかつて見たUFOは、もっとオレンジと緑 ! ! 」
「ほぅ、ユーホーについて一家言、持っておられるとユー事か」
「100円追加 ! おゃ、宣告より高度が下がっとる」
「だが、航空機に偽装したUFOかも知れぬ」
「ユーホー !  ユーホー ! 」
「四国の山頂で誰かが灯をともしているのでは?」
「国王の命によって、光の速さを測定しているという事か・・・」

【スペースまめ知識】
下町のメシヤ(飯屋)である『宇宙家族』のビッグマスター(店主)によれば、
UFOは「ユッフォ」が正訓らしい。

20040205/001123
『ケネス・アーノルド坊やは人気者』
不可思議である物事は、実は希少なものではない。
当事者が知り得ていない、もしくは知ろうとしていない事も不可思議とされるからだ。

1970年代のオカルトブーム。
そのカケラなりとも体感していれば、
盲信していなくとも思考遊戯として好感傾向を持つ人々は少なくない。

妄信して盲信していなければ、一般的社会生活車の日常において、
そんな物事は計測外領域に置かれる様な優先順位だからだ。
 
1947年6月24日、ケネス・アーノルドは自家用飛行機で未確認飛行物体を目撃。
UF0=宇宙船説の歴史に於ける、有名な分岐点だ。
すなわち、“空飛ぶ円盤”(Flying-Saucer)という言葉の誕生である。

その日、ケネス・アーノルドが目撃した飛行物体は円盤形では無い。
「まるで、皿を水切りさせたような飛び方だった」という証言を、新聞記者が強調した為、
“空飛ぶ円盤”という語彙が確立してしまったのだ。

これは、そういう記事を検索すれば瞬時にヒットする有名なエピソード。
だが世の中には、そのエピソードを知らなかったり時には否定したりしながら、
自分の目撃した“円盤”を信仰する人々は多い。

そしてその一方、『ウルトラセブン』等の思考遊戯快楽を知るが為に、
“エンバン”という響きに郷愁を持つ人々も多い。

妄信者と遊戯者。その境界線は、曖昧だ。
曖昧な境界線では在るが、他者否定が目安になる場合は多い。
「お前は解っていない」「誰も解ってくれない」「俺だけが知っている」・・・
そして、この目安は未確認飛行物体話だけに限らない。

どのような物事に於いても、視点変更による検証を忘れてしまっては損をする。

“エンバン”には表裏が在るのだし。
見えている反対側には、素敵な模様が描かれているかも知れない。

20040206/001124
『宇宙から来たYS-11
なんにつけ・・・
否定派・肯定派と性急に区分する程に、芸が無くなってしまう事を妄信者は知らない。
妄信していればしている程に、敵味方を識別したくなるのだろうけれど。

また、妄信すればする程に、
誤解や誤認による目撃談さえも「実は真実だった」と信じ込みたくなる傾向も見える。
統計学以前の素人考えでも、
誤解や誤認による“スカ”が混じっていた方がリアルに認識されるのは常識なのに。

そもそも、遊戯者にとっては“ガセネタ”の方が芸が在って面白いものだ。
其処には、世界情勢・宗教背景・発言者の世界観・教育レベル等が滲み出て来る。

“空飛ぶ円盤”という語彙の流布経緯でも解る様に、
集団的認識が新たな錯覚を生み出してゆく事は多い。

こういう話を振ると、妄信者ほどにヒステリックに反応する。
しかし、ヒステリックになればなる程に、自分の閉塞的世界観を暴露する事になる。
資本主義社会に限らず、キャッチフレーズや造語の流行こそ社会の重要な構成要素なのに。

されど、つねづね歯痒く思っている要素が在る。

日常に於いてでも空を見回せば旅客機は飛んでいるし、
その機体の大きさと地上からの見かけの大きさを知る人々も多いに関わらず・・・
『未知との遭遇』や『インデペンデンスデイ』や、ジャパニメーションの多くに於いて、
これほどまでに巨大宇宙船が流布しているにも関わらず・・・
目撃されるUFOは“小粒”である事だ。

どっかの国の“うそつき村”の住民が総出で、
「デカいの見た見た ! 」とか言ってくれぬものか?

20040207/001125
『カムバックドラゴン』
それでも、空を見る事は面白い。
何かを見ようとしていなくとも、其処には何かを期待させる程の大空間が在る。

1千メートルに届かない標高の葛城山頂でも、
我々は、夜明けの光が乱舞する群雲に“龍”を空想する事が出来た。

下界遥かな山頂で、地平線広がる荒野で・・・
古来、多くの人々は“龍”を目撃してきた。

その驚き、その高揚をも想像する。
それはとても楽しい思考遊戯だ。
 
せっかくの21世紀。
もっともっと“龍”の目撃談も増えてもらいたいところだ。

中国だったら何処かで、龍の養殖ぐらいしてる筈。

探そうぜ、ドラゴンファーム。

20040208/001126
『ぼくらのとうろう』
葛木山頂宴会から3日後という素早さで、六甲山ハイキング決行。
昨年と同様、行動隊『ドーゼオーバーズ』4名での山越え。
 
午前8時半、JR摂津本山駅から出発。
山の手という感じの街並を抜けて登ってゆくと、半時間程で保久良神社に到達。

まず見えてくるのが石灯籠。
海を展望できる位置である事から、長く灯台としても役立ったそうだ。
灯籠を覗いてみると、電灯化されているものの現役な様子。海抜185mの景観、良し。

保久良神社(ほくらじんじゃ)は、阪神淡路大震災に於いて石鳥居が崩壊した事でも有名。
現在、新造された鳥居の傍らには、崩壊した石鳥居の根元部分が記念碑として在る。

保久良神社の境内には“神鳴石”と呼ばれるものをはじめとする巨岩が祀られている。
元々、六甲山系は花崗岩ムキ出しの禿げ山だった事もあってか、
多くの植樹がなされて緑に溢れる今も巨岩を目撃し易い地。
巨岩好きのメンバー、ギョウジャニンニク氏もホクホクだ。

20040209/001127
『岩クラインのツボ』
磐座(いわくら)という言葉が在る。
磐は堅固の意を持つ文字であり、磐座という表記は神の御座所を示す。
一般的には自然の巨岩を指す場合が多い。

磐境(いわさか)という言葉も在る。
こちらの表記は、 堅固な神域または祭壇を示すものだ。

世界的には勿論の事、日本各地にも磐座・磐境は無数に現存している。
巨岩イコール崇拝対象という単純な図式で、簡単に納得するのは勿体ない。
様々な標高や地形を持つ場所で、太古の人々が巨岩に巡り会ったり巨岩を配置した時間や、
その時の中で念じた思いにこそ思考を馳せてみたい。
 
保久良神社に参拝を済ませて、再び鳥居へと向きを変えれば・・・
鳥居越しに、町と海と空が見える。

その、景観配置の妙。
覗き窓たる“枠”を設ける事で、彩度を上げる光景が在る。

この鳥居をくぐる者は、自分が覗いている鳥居という窓枠を自ら抜けてゆくのだ。
そして、抜ければ其処は登山道の一部。
日常に帰るも良し、山頂に向かうも良し。

20040210/001128
『豚とダイヤモンド』
JR摂津本町駅は、もともと梅の時期のみの期間限定駅だったそうだ。
それが住民の要請も在って常設駅になったとの事だが、それも1935年の昔。
今の駅周辺には、住宅が充分に多く建ち並んでいる。

そんな経緯も在ってか、保久良神社のすぐ横にも梅林が。
2004年2月11日時点では、花も無く枝々が揺れるばかり。

「アッ ! あれは何だっ!?」
未確認生物か!? メキメキと色めき立つ我々の眼前には十数頭ものイノシシ軍団。
我々を察しているにもかかわらず、悠々と落ち葉の中を漁っている。
意を決して4メーターとゆう近接区域まで接近しても動じようともしない。

元々、多数のイノシシ生息が確認されている地。“餌を与えては行けません条例”も有名だ。
大阪府下でも、大阪北部に在ったイノブタ牧場から脱走したイノブタ軍団が南下して、野生化。
信貴山付近でも暴虐の限りを繰り広げている現状が在る。

実際、柵の無い状態で対峙すると彼奴らの屈強さが皮膚感覚で伝わって来る。
肉だ。凄いキン肉だ。1.5mもの柵を軽々と飛び越えて、田畑を荒らしまくるというのも頷ける。
本能に基づいて喰い荒らす為、根こそぎだという事も目視で理解。
鼻先で落ち葉を掘り起こすという単純動作にさえパワァーを感じる。
去年の秋、悪戯サルで有名な箕面に於いて・・・
売店から出てきた60歳女性の持つビニール袋にイノシシが飛びつき、小指の先を噛み切ったとも聞く。
 
関西にトリュフの大群生地でも在れば、イノシシも有効活用できるのだろうか?

キャビア&フォアグラと並ぶ世界三大珍味、トリュフ。
トリュフは、樹木付近の地下30cmほどに出来る食用キノコなので地表からは探索困難至極。
だが、ブタが反応するフェロモンがらみの香りを持つ為、探索には雌ブタが使用される。
ブタに出来てイノシシに出来ない事は色々あるだろうが、なんとかなるかも知れぬ。
実際、ブタの食い意地の為にトリュフを見つけても喰われるので、
犬やハエを活用する方法も在るそうだが・・・そこはイノシシとも戦えるトリュフハンター出動で。

イタリアの白トリュフに対して、フランスの黒トリュフは“黒いダイヤモンド”とも呼ばれると聞く。
一攫千金を狙ってイノシシ調教に出るのなら、今。

最近の天体観測に於いて・・・
地球から50光年彼方に“直径4000kmものダイヤモンド”が発見された。
老衰した恒星の炭素が高重力で圧縮されたと思われるのだが、当然の如く運搬不可能。運ぶな危険。

だが、“黒いダイヤモンド”なら貴公にも可能性が在る。
かつては石炭も同様に呼ばれたが、グルメ&若貴ブームの今 ! 狙うならトリュフ。

目指せ、イノブータン王国。

20040211/001129
『ロッテカタカムナフーセンガム』
まぁ、そんな商品は無いのだけれど。
『ロッテプラモデルフーセンガム』のCMを知っている世代なら、
そのメロディー鼻歌すればチョッピリしあわせな気分に・・・

そんな事を夢想しつつ、六甲山系の金鳥山を越えて六甲山町へ向かう。
金鳥山というのは、“カタカムナ文献”話の舞台となる地。
実際は、ちょっとした丘みたいなもので少々残念。町からも近いし。

20年前ぐらいに『ムー』誌か何かで知ったのだが、いわゆる“謎の古文書”の話だ。
楢崎皐月(ならさきこうげつ)氏が、昭和25年頃・・・
金鳥山にて、力タカムナ神社の宮司である平十字(ひらとうじ)と名のる人物と遭遇。
丸と十字を基本とした古代文字で記された超古代科学の書の書写を許可される・・・
 
現在も信者さんは大勢居られるそうだが、
詳しい事を知らないし知ろうとしていない素人の身の勝手な感覚では・・・
口伝や書写などの乏しい物証では“押し”が弱いなぁ、と。

オタクフィールドに接していると、アニメや漫画の世界で既に、
世界や日本の神話はネタとして消費されつくしている感が在りまくりな訳で。
超古代文明なんてのも主軸ネタどころか修飾語のカケラ程度になってるのが現状。

日本史研究に於いても、“謎の古文書”“古代文字”というネタは、
平安時代以降だけでも結構な数の偽作が出てるそうで。
石器発掘ねつ造事件も記憶に新しい今、
なかなかこういうネタは“楽しめ”なくなってるなぁというのが感想。

“見に行けない時代”だからこそ、仮説の蓄積と検証の継続が当然なのが考古学。
まぁ、学問でも社会生活でも、
「すわっ ! 真実っ ! ! 」と鵜呑みにする人は生きにくい世の中だけど。

あと、なんか検
索してみると、
カタカムナという名前だけ使ったエロゲーも近いうちに出るそうで。
こわいこわい。

20040212/001130
『展望恢々素にして漏らさず』
風吹岩に到達し、順調に六甲山頂へ向かう。
風吹岩は去年も訪れた展望ポイントで、芦屋ロックガーデンも視認できた。

六甲山頂付近では、湯を沸かしてラーメン摂取。
メンバー全員、去年に比べて筋肉強化は出来ている筈なものの体重増加傾向。

結局、登坂運動では体重絞り込みの必要を痛感。上に運んでこそ解る自分の重み。
個人的には、腹筋運動の回数を増やしたが継続維持してこその話。夏までにはッ !
 
小学校低学年と思われる集団が、我々と変わらぬペースで山越え完遂。
尋ねると、空手教室の集団だった。
ハイキングを制するのは、年齢でも屁理屈でも無く持久力だ。

山道の途中、我々の前方を歩いておられた推定60代御夫婦の様子に違和感。
接近して見ると、山道横の斜面に滑落した小学生男子発見 !
「よそ見していて転げ落ちた」との事。前見て歩こう山道。
枯葉が結構積層していたので、怪我も無し。
我々も軽く手を伸ばして引き上げる事となったが、特に緊迫感の無い救出シーン。

標高に関わらず、道を外れれば危険アリ。
山道も人の道も、それが面白い。

我ら、“よそ見していた”で済まなくなってしまった年頃ゆえに。
人の道で、よそ見した先には愚劣な背徳なども多々在るが、
そんな程度のものに酔える歳でも酔っていい歳でも無し。

山を越えて温泉にゆこう。

20040213/001131
『急げ、ペラミッドパワー』
登山道の途中では、段々畑の痕跡の様なものを目撃。

「すわっ ! 六甲山はピラミッドや ! ! 」と、もはや色めき立てないお年頃。
チョッピリ寂しいかどうかはともかく、思考短絡を自覚できてこそ成長。

少々の標高が在る地で遺跡遺構が発見されると、
すぐに「ニッポンにもピラミッドがっ ! 」とか「超古代文明のソレ ! 」とか、
カンタンに思考短絡してしまう人々もまだまだ多々現存する。

ちょっと考えれば、
そこそこ標高が在る場所でも古来から人は住んできた事は容易に実感できる。
多透程度の行動範囲でも、高野山や島々で高地まで届く町や集落を多く目にした。
特に、瀬戸内海沿岸では古来より高地集落が多々見られる地である事は実証されている。

空中都市マチュピチュは、標高2300m〜2800mまでにも及ぶ場所に散在するらしいし。
日本でも、天皇陵は皆さんデカいし。
高度は権威の象徴として通じ易いから、高地遺跡は通常論理でも不思議すぎる事はなく。

其処に感じるべきは、ヒトを超えた存在や漠然とした超文明の空想では無い。
我々と変わらぬヒトの、生と死と努力をこそ想像するべきだ。

古代人をナメてはイカン。
超文明など無くても、
巨大建造物を成したり大航海や大開拓に挑んできた事をこそ知覚せねば。

常識から逸脱した安易な論理に依存する事は、自身の自信の無さの裏返しを露呈する。


20040214/001132
『スパ・キンキン』
海側から六甲山頂越えで、有馬温泉へ向かうルートは幾つも在る。
勿論、有馬側から登る事も出来るが、
有馬側には途中の平地が少ないので下りにあてたほうが心身に良し。
ご褒美の温泉も在るし。

だいたい、ゆるりと山越えして5時間程だった。

 
有馬温泉街は、宿泊するには結構高額な感。節約旅行ばかりしてきた身には気後れ。
だが、1000円以下で日帰り入浴できるのは幾つか在る様だ。
『金の湯』『銀の湯』と旧ヘルスセンターは間違いなく出来る模様。
『金の湯』は改装後2年目とかで奇麗。
べつに金箔だらけの内装とかではなく、赤錆色の湯が在る。今年もココ。

我々が入ってから数日後に、50万人目の入浴者として20代女性がニュースに。

温泉街は、去年と変わらず混雑している。細い坂道は、今回も車で渋滞。
有馬電鉄で、ゆらりと帰還。

20040215/001133
『帰ってきた王さん』
いろいろと鼓舞したい目的や、“ただ単純に楽しみにしていた”事もあって、
『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』を観に行く。

毎度ながら、ニュージーランドの広大原野感は凄い。
勿論、異世界を表現するに際して画像加工は在る訳だけれど。
それでも、“ナマ”っぽい部分にこそ“マナ”を感じる。

完結編であるからこそ、風景の内部に在る登場人物に焦点は在る訳だけれど。
パンフレットや広告で使用されている・・・
ガンダルフが城塞都市に向かうロングショットの“絵”などには実に鳥肌が立つ。
 
前2作でも感じた事なれど、広大な風景の内部に於ける点景たる人々は既に物語だ。
広大の中で強大な敵に立ち向かう。それに惹かれない術は自分には無い。

例えば、マイクル・クライトン原作もの映画。
『アンドロメダ病原体』の昔から『ジュラシック・パーク』や今日に至るまで、
物語構造には基本共通項が在る。

“危機的状況とその拡大”(すんごい事が起こってしまいましたな導入部からラストまでの連続)
“集められた精鋭集団”(これがメインキャラクター集団)
“限定空間と制限時間”(圧迫感と緊張感の持続)

いわゆる、“凄い危機に特殊チームが立ち向かう ! 残された時間はあと僅か ! ! ”が基本。
これは実に解り易く、それ故に観客は楽しみ易い。
なんだかんだ言っても、高尚すぎるものよりも単純明快娯楽を求める気質には合うし商売になる。

まぁ、ラーメン屋で寿司の事ばかり考えても無駄な様に、
それぞれの題材で楽しめたら良いのが物語。
だから物語構造の違いだけで優劣を論じるのも詮無い事。

それでも・・・
『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズの場合は・・・
それぞれの登場人物に戦いを完遂すべき動機は在るものの、
360度全方位に広大な原野という“逃げ道”が用意されている状況で“逃げなかった”物語。

エンターテイメントや“ヒーローもの”みたいに、
逃げ道の無い危機的限定状況だけが連発しまくる日常の中に居る訳では無い身。
制限時間が在っても、それば自分の責任や義務に起因するものがほとんどだ。仕事とか。
結局は、飯も食えば布団で眠りもする。
責任を放棄して何もしないという“逃げ道”も、実は、在るというのが日常だ。

だからこそ、“逃げなかった”登場人物が心地よいのだろう。

で、そういう訳か、
気に入った物語に関しては“キャラクター”と言うより、
“登場人物”と呼びたい自分にも気付く。

20040216/001134
『船頭多くして稀に種子に至る』
『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズぐらいの大作ともなると、
メイキング本も面白くなるのが当然の事。

個人制作でも集団制作でも、創作行為が苦労を伴うのは当然至極。

個人で創作するぶんには、そんな事は覚悟の上なので苦労話は多くの場合蛇足。
苦労話から学べるものも多いが、
自画自賛に起因帰結する苦労話だと第三者的には鬱陶しいだけ。反面教師にもならない。

だが、集団制作の場合は不確定要素が指数関数的に増加してゆくのが当然至極。
そういう中での制作語では、自分が痛くない他人の本気苦労話が大量発生し、
それが作品として結実してゆくのだから面白くない筈は無い。まさに、物語だ。
 
ある意味で残念で、ある意味で嬉しかった事に、
映画を楽しんでいる間中ずっと自分の創りたい物語も平行思考していた事が在る。

観ている物語を単純に楽しめなかったのは残念だが、
生きている以上どうせ何かを自分に取り込まなければならない。それが大人だから。

優れた作品に対峙すると、自分の内部に創られ続けている物語に進化加速が生じる。
無数の要素が連接し合致し、別々に思考していたエピソードや登場人物の狭間が消失する。
膨大な歯車が構成要素を駆動させながら全部を前進させる。

だが、そんな程度なら誰にも出来る。
思考だけなら、優劣さえも自画自賛だ。

思考を具体化して他者に評価されてこそ、創作活動。
自慰行為だけで引きこもるのなど誰にでも出来る。

“諦めなかった”人々が“逃げなかった”物語を見せてくれたのだ。
その意気を取り込んだと思うのなら取り込みたいと思ったのなら、
具体的な発露を為さずして何の人生である事か。

20040217/001135
『溶岩ベンはー』
それはそうと、『王の帰還』で印象的だった事を更にメモ。

いわゆる“泣き”シーンの静寂の中で、屁をした人が居た。しかも2回。ぷー。プー。
まぁ、立体音響だと思え、ば・・・本末転倒が。

いろんなものが喚起される“凄い絵”たる画面が連続してくれたのは、回想しても儲けもの。
それなのに、ラスト前の溶岩シーンで合成まるだしな光源誤差が在ったのは痛恨。
“そう見えた”だけなのかも知れないが、
あそこまで他が出来ているのだから“嘘にすら見えない”程に魅せ続けて欲しかった。

あと、流石に3時間半もの長期戦になると、途中でトイレ出動される方々が続出。
心理連鎖もあったのだろうが、皆だいたい同じ頃合いだったのが興味深い。
合戦シーンの最中に出撃し帰還される方が大半だったので、
なんとはなしにシルエットだけ視界隅で半認識していると立体映画みたいな楽しみ。

それでも、当事者にとっては限界点ギリギリまでの耐久レースだった方々も居られる筈。
“カネ払ったからには楽しみたい主義”の方は苦悩したであろう。

『ベン・ハー』劇場公開時みたいに途中休憩が設けるのも一興。
しかし、毎回観客入れ替えが一般化している昨今、待ちフロアが必要になる問題も在るか。

まぁ、『ベン・ハー』はキリストがらみのエピソードを削除して、
“熱血復讐譚”映画にすれば90分上映も可能だろう。

キリスト教な方々の心情的には、納得出来ないのかも知れないが、
元々の映画は、素人目にも2つの物語に遊離部分が多かった気がするので。なんとかなる筈。
現代なら“それはそれで”と、深く考えずとも納得できる多様化がよくも悪くも在るし。

小学生時にTV放映された時、太鼓たたいて「戦闘速度っ ! 」というのは流行ったものだ。
あのガレー船と戦車戦シーンが在れば『ベン・ハー』な気もする。

20040218/001136
『ドラマティック・トラップ』
『ベン・ハー』に限らず、
2つのエピソードが平行する物語構造について考える度に思い出す作品が在る。

『ドクター・トラッパー サンフランシスコ病院物語』・・・
80年代前半あたりに関西では深夜枠にて放送されていたアメリカTVドラマ。

タイトルだけ聞くと、
“罠大好き女医”とか“医者を罠にかける看護婦軍団”とかを連想しがち。
が、実は、ヒゲ面の渋味あふれるオヤジなトラッパー医師が主人公。
円熟の中にもユーモアを忘れないナイスオヤジだ。

でも、トラッパーはオヤジなのでドラマ引き締め役にまわる事が多い。
番組の能動的牽引役をしていたのが、青年外科医ガンゾ・ゲイツ ! !
名前は渋いが熱血二枚目。「ガンゾ君っ ! 」とトラッパーに呼ばれたりする。
飾り気が無く、病院の駐車場に停めたキャンピングカーに住むナイスガイだ。

あと、名前は忘れたが金髪美人看護婦とかがレギュラー、で。

『特別狙撃隊SWAT』が『S.W.A.T.』になった様に、リメイク映画化がされた訳も無く。
士郎正宗氏の紹介も在った『特捜班C.I.5』みたいにオタクフィールドでの認知度も無く。
『事件記者コルチャック』みたいなカルト性も無いのだけれど。

それでも、『Dr.トラッパー サンフランシスコ病院物語』は妙に個人的高感度高し。

どんなドラマでも、探せば自分なりの好感ポイントひとつぐらいは見つかるものだが。
それでも、今に至っても記憶に残っているのは、物語構成の妙味。

メインストーリーに対するサブストーリーという感覚では無く、
2つのストーリーが同時進行してゆく。しかも毎回。
そして、2つのストーリーは微妙に対比構造を持つ。しかも毎回。
そして、ドラマの進行と共に2つの流れは対比されつつ収束してゆき・・・
ラスト寸前、2つの流れが“瞬間の接点”を生んで番組は終わる。しかも毎回。

現代に於いては『ER』に見られる様に、同時多発ストーリーも一般的。
当時に於いても、複合ストーリーは珍しい手法では無かったのだけれど。

その、2つのストーリーが対比されつつ進行して煌めく様な“瞬間の接点”のラスト。
そういう基本構造を毎回毎回良質なバランスで繰り出し続けてくれたドラマを、
不勉強なせいかも知れないが他に知らない。

なにせ、その“瞬間の接点”は絶妙だったのだ。
精緻な時計仕掛けが、遠く離れていた歯車を瞬時に噛み合わせる刹那を見る如き快楽。

それが毎回毎回・・・
制作者側に相当な覚悟と実力が無ければ、いくら夢想していても実現できない“技”だ。

元々、物語創りが好きだった身だが、あの番組は更に創作回路を増強してくれたと思う。
そういう意味では、見事に“罠”に掛かったと言えるだろう。

嗚呼、ああいう“瞬間”を創り記す事が出来たなら・・・
この人生の甲斐のひとつが叶うというものだ。

20040219/001137
『大ちゃん数え歌』
見に来ていただいている方々には感謝感激しつつ、
それでも神経質に意識しすぎないでおこうおこうとしているアクセスカウンター。

アクセス解析機能というのも、
なんだか来訪してくださる方々に失礼な気がして未使用。
公示している以上、誰が来たか“解析”なんてのは無粋というものだろう、と。

日常の眼前で数えてゆかなければならない物事は確実に在るのだし、
数字に一喜一憂するよりも、まずは送り手としての具体的行動こそが重要だ、と。

まぁ、それらは小心の裏返しでも確実に在るのだけれど。

が、数日前・・・イキナリに9万台に突入しているという驚愕状況。
突然3倍とはっ !

【仮説1】突然、何かの間違いでプラス6万アクセスを計測。
【仮説2】通常の3倍の速度で計測キャンペーン中
【仮説3】ラッキーデー
【仮説4】消費税導入の影響
【仮説5】2000年問題
【仮説6】「あたし・・・酔っぱらっちゃった・・・」

で、無料カウンターを借りてるサイトに行ってみる、と。
単に「計測方法が少々変更になった」とかで、
今まで見えてなかったリロード計測分が加算された模様。ありがたや。ありがたや。

嬉しい事ではあるのだけれど、中身の充実が可及的速やかに必要な事も痛感。
なにはともあれ、自作画像は増やそうと画策。

楽描き用にタブレットPC導入も検討してたけれど、
道具で状況改善を夢想してしまうのも悪いクセ。
もっと紙と黒鉛を使おう。

20040220/001138
『テツノツノ』
春なのに、春だけど、元旦の旅記録の続き。

西表島の夕刻。バス&徒歩でやってきた
『ミトレア果樹園キャンプ場』18:30出発。
借りたマウンテンバイクは、古びているが快調。
ハンドル両端に、前方に突き出すツノの如くバーエンドバーが装着されている。
これを持つと前傾姿勢で乗る事になるので、より疲労度が軽減されるという理論。
今まで未経験だったが、これがすこぶる効果的。

バーエンドバーを持っていると、当然にブレーキからは手が微妙に遠ざかる。
その為の不安も在ったが、すぐに慣れた。
前傾姿勢で、重心がより安定している感覚も在る。なるほど、物理学だ。

島ゆえに長い長い坂道のアップダウンも多い。幾つ峠を越えたか解らない。
それでも、小豆島で同様の峠越えをした時よりも、疲労度が半減した感じすらする。
自分の自転車にも装着決定。


出発直後。キャンプ場から船浦港までショートカット可能な坂道は、急激なダウンヒル。
知らない坂道の夕暮れ。道の両側には薮が背丈よりも高く茂り、視界は道に集中する。
危なっかしい。だが、自己責任に於いて冒険の始まりに相応しい。

巨大な弧を描いた海岸線に出る。その距離を時間に対して、人間は長い長い橋を掛けた。
その、船浦大橋を軽快に走る。他に、走る者は居ない。
見た事も無かった海で、日が暮れてゆく。曇り空の中、大きな空に夜が染み込んでゆく。
旅先の夕暮れは良い。たとえどんな光でも。

直線。ハンドルに付けたツノを握る。

こんな加速が新年早々できるとは、幸運だ。

20040221/001139
『紙でできた林檎』
沖縄本島に関するガイドブックは、探し易い。
だが、それらの本の中味に於ける離島情報は、ごく僅かなものに過ぎない事が大半。
西表島などの八重山諸島を中心とした本自体が、数少ない。

今まで色々と旅を重ねて実感した事だが、かさばるガイドブックは面倒なだけだ。
予習には良くても、実際の旅路で参照する回数は僅かでしかない情報が多すぎる。

観光ポイントへ運んでもらう事を繰り返す旅路ならば、グルメ情報も役立つだろう。
だが、自力移動を楽しむには、
“おおまかな現在地”“各地点間の距離”“エスケープルート”等々こそが欲しい。
結果、旅の中で役立つのは地元観光協会が印刷してくれているイラスト地図だったりする。

略地図でも良いから地図が豊富で、現地交通機関の時刻表などローカル情報に詳しい本。
そんな風味の沖縄方面ガイドブックを色々と物色してみた結果・・・
発売元「株式会社 林檎プロモーション」な季刊雑誌を発見。
 
『沖縄・離島情報』というダイレクト感あふれる名前。約250ページ。本体価格457+税。
メインページはモノクロ。内容充実。旅の供にする本としてコストパフォーマンス最適。

今回滞在した西表島・波照間島ともに、
この本が無かったら辿り着きたい場所に辿り着けていなかった可能性も高い。
西表島の夜、自転車で真っ暗な道を走り抜ける事が出来たのも、この地図が励みになった。

ザックやポーチに放り込んだり乱雑に扱い通しでポロボロになったが、
それは、それだけ参照回数が多かったという事実を証明する。

趣味雑誌の多くでは目を通すだけで興味が充足してしまう事が多々在る。
結果、安易な得心で具体的な行動が失せてしまう事が多々在る。

“先”の為に役立つべきモノ・・・その本分を実際に活用できた記憶は気持ち良い。

お礼と次への夢想を兼ねて、先日出た最新号も購入。

20040222/001140
『夜飛ぶ声』
真っ暗な道は面白い。
不合理で非能率的で不可解で楽しい。

『沖縄・離島情報』誌の記事によると、西表島の道路では独特の注意が必要だ。
舗装された広い道だが、スピードの出し過ぎは禁物。カーブやアップダウンも多い。
雨で流れ出た土がタイヤを滑らせる事も在る。
実際、身近な所で“西表島で車が横転した”という本人を知ってもいる。幸い無傷だったそうだが。

また、西表島では道路の横はすぐに原生林という場所も多い。
その為、道路を横切る動物や昆虫も多々出現する。

姿が見えないイリオモテヤマネコなれど、冬場の夜に事故が多いという。
“ヤマネコ注意”の道路標識は、そこかしこに在る。
勿論、ヤマネコからヒトを守る目的ではなく、ヒトからヤマネコを守る為のものだ。

他にも、クイナ・カンムリワシ・セマルハコガメ等の希少動物が徘徊する事も多いとの事。
現地で旅行者の女性から聞いた話では、牧場から脱走した牛と激突する事故も在ったという。

せっかく緩やかな時間が流れている島。余裕を持って移動するのが吉。

実際、疲れる登り坂が多々在るので、自転車では無謀な走りが自然と控えめになる。
ゴムベルトで頭部に装着出来るライトで照らされた先以外、闇は闇のままだ。
8個もの高輝度LEDが仕込まれているおかげで、視界良好。

元旦で曇り空の夜といえども、気温は20度近い。結構、汗ばんでくる。
借りたマウンテンバイクが18段変速だったのは、幸運。
自分の6段変速小径車だったら自転車を押して登っていただろう登りの連続も、降りずに。

コオロギの声が聞こえてくる。カエルも鳴いている。原生林の闇からは暗い湿度を感じる。

影色だけの森から不意に、甲高く「ヒキャーッ ! ヒキャーッ ! 」という声が連発する。
距離感が掴みにくい。知らない遠くの闇空から噴出した様な声だ。

意表は突かれた。が、恐怖が無かったのは、知識が在ったからだ。
特別天然記念物にして、天空を舞うもの。
カンムリワシ・・・あんなに騒々しい奴だったとは。

20040223/001141
『乙参交差点』
先にも書いたとおり、
西表島の道路では、脇に原生林が広がっている場所も多い。
夜の闇を挟みながらも、動植物の濃い気配が染み伝わってくる。
幸いにして、道を横切る獣の影は無かったが。“ハブ注意”の標識は数多く在る。

極まれに、幾つかの峠の向こうで光を感じる。車のヘッドライトだ。
光の速度と到達の遥かさを感じつつ、対向車は瞬時に通り過ぎる。
島の夜は早く来る。往復の自転車行で、すれ違った車は10台程でしかなかった。

幸いにして、激突されたり追いはぎされたりも無かった。

真っ暗な道は面白い。
不合理で非能率的で不可解で楽しい。

額に付けたライトで前方を照らしながら、自転車という自力移動で夜の中を前進する。
まるで何か、通過儀礼の様だ。

気を抜けば危険が、すぐ隣に潜んでいる事は認識できている。
それなのに不思議と、恐怖は無い。

これは、周囲に人間が居ないせいかも知れない。
この暗闇の中では、動物よりも人間こそが恐怖の対象となり易い。

普段は、人間の創る社会の中で人間と接する仕事をし、それに意義を感じている。
しかし、人間社会に居る限り、
人間に無節操で無知で幼稚な期待や希望のみを抱くのは危険。
そんな事をすれば、同時に無礼でさえ在る。
不合理や理不尽を認識してこそ、仁義も認識できるというものだ。

だからこそ・・・
行けども行けども集落どころか一軒家も無く、自販機どころか街灯も無い道を行く時、
そこに人間が居ない事の安心を人的恐怖が無い安心を感じてしまうのか。

理屈の上では理解したつもりであっても、実際に当該状況を体感すると感動すら覚える。
見渡す限りに誰も居ない、両側に暗い森を抱くまっすぐな道が彼方まで続いているのだ。

だが・・・半時間も走り続けた後の一瞬。その“一瞬”は来た。

暗闇の中でこそ、淡い灯火ですら網膜を射る。
長い登り坂を越えて、遠くまで続く直線を走っていた時。
ゆるやかに、しかし確実に小さな灯火が見えた。
移動している。街灯や工事灯では無い。
自動車や自転車の移動速度では、無い。あれは・・・人間の歩く速度。

民家が近いのか?道路補修工事が所々で行われているので、その関係者か?
少なくとも、今ここまで進んで来た道には数キロに渡って居住空間は無かったが。

魑魅魍魎や狐狸の類では無い。懐中電灯を持った、おっさんだった。
おっさん型移動機械を駆使する懐中電灯型宇宙人だった可能性は在るのだが。謎は謎。

運動の為に夜間歩行をしているという風でも無い。深い闇の路上で、その歩みは緩やかだ。

すれ違うのは、一瞬。 視線の交差も、一瞬。
軽く会釈をしてはみたのだが、有効光量を考えると見えてはもらえなかっただろう。
立ち止まって挨拶をしてみるかどうか、寸前まで迷ってはいた。

だが・・・突然、「クローン戦争の始まりぢゃッ ! 」とか叫ばれたりしたら、
翌朝まで失神してしまうかも知れぬと、苦悩。勇気なき回避。我らは無言。邂逅は刹那。

結局、すれ違った後の数キロにも道路沿いに民家は無し。

・・・なるほど。
世界には、まだまだ謎に満ちたおっさんが居るという事か・・・

おっさんは何処から来て何処へゆくのか。そして地球の運命は?

20040224/001142
『暗い中でもつながります』
西表温泉に、そうして真っ暗な道を進む。
途中、この日が元日で在る事を不意に思い出す。ならば、入浴は可能なのだろうか?
通話可能か実験したかった事も在って、携帯電話を取り出してみる。
旅行用にと買ったもののせいか、普段はろくに使ってもいない身。限りなく素人側。

なるほど、つながるものだ。
日帰り入浴は、可能。電話応対は好印象。
晩飯を食っていなかったが、食事は「本日は予約がいっぱい」との事。
予約? ・・・なるほど、勝手な先入観で健康ランド的なものを空想していたが。
食事は、予約制のコース料理。温泉も在るが、ホテルとしての機能が大きい施設の模様。

道路が在るから電話が繋がるだろう・・・という先入観が、通用しない場所は国内でも多い。
山中だと、なおさらだ。
それを認識しようとせず“携帯電話が繋がらなかったから”遭難する人も居るそうだが。
そんな人は、携帯電話が在ろうが無かろうが、いずれ遭難していただろう。

普段ろくに携帯電話を使っていないせいか、使いこなせてない者のやっかみか、
どうにも“つかいすぎ”な人々が目につく。

電車の中に入った瞬間、大勢が一斉に携帯電話を開く姿は異様だと思う。
形状からして、位牌でも握ってる様だ。

しかし、即席の位牌になる事例も在るのだから洒落にならない。
知人の駅員さんや救急隊員に聞いても、通話中の事故は続々増加中。

自転車通勤していると、運転中にながら通話をしているヤカラの何と多く見かける事か。
自己責任以前に、自分の危険行為にも無自覚なヤカラになにを言っても無駄だ。

メールだけではなく、
ゲームなどのアプリケーションが配信される様になって更に無自覚者は増えるだろう。

そういうヤカラにかぎって、自分の時間を無駄にしていないと思っているのだろうか?
自分の時間だけではなく、他者の時間まで壊してから悔やんでも遅いのだが。

運転中の“ながら携帯”までも、道交法で罰則化せねばならない社会常識の情けなさ。
“歩きタバコ禁止条例”と同レベルかそれ以下のカッコ悪さだ。

広く一般の認識と実践を計る際、罰則化は論理的かつ効率的だ。
だが、罰を容易せねばならぬ社会を成熟した社会とは呼びたくない。

20040225/001143
子供の頃は未だ白黒TVが在った
携帯電話に限らず、流布拡散がなされた道具は容易に収縮収束できない。

こういう文脈で出易い“そんな行為も道具も無くても済んだ時代が在った”という、
幼稚な郷愁だけに終始する屁理屈は役に立たない。

いつの時代も振り返れば“道具”の浸潤は在った筈だ。
発達し変転し続けている道具の現実から、目を背けても無為。

より便利でより簡単な道具が成り代わらなければ、淘汰はされない。
増えて、変わり続けてゆく事が現実。

自分が過ごして来た僅かな人生が重なる時代でも、様々な道具の洗礼が在った。

家庭用TVゲーム・ビデオデッキ・パソコン・・・・
CD・LD・DVD・パソコン通信・インターネット・携帯電話・・・

個を刺激し、趣味を成立させ、
そして引きこもりなどの埋没行為までも助長する物事は増加を止めはしない。

だが、ここ30数年ほどの多様化を体験した世代のタシナミとしても、
自分の“道具に振り回され易さ”は自覚してゆかねばならない。

「便利だから」「面白いから」という表層的かつ安易な理由だけで飛びつき、
そしてそのレベルから抜け出す事も無い・・・そんな事が自他に許される歳でも無し。

20040226/001145
『E-Zone』
“携帯電話依存症”の症状かつチェック項目には、次の様なものがあるそうだ。
「手元に無いと安心できない」「電源を切る事が出来ない」

「短時間のうちにメールチェックを繰り返す」「自分からはメールする事が少ない」
「着信音の幻聴を聞く」等々・・・

依存していないと思っている者にしてみれば笑い話な症状。
しかし、
視点を広げればこれは“受け身”に埋没しがちな道具全般にも当てはめる事が出来る症状。

道具は道具で在り、行為によって生み出される結果をより効率的に獲得する為の補佐だ。
しかし、持っているだけで満足できるフェティッシュな魅力を内在する道具は多い。
道具によっては「使わなければならない」という強迫観念を生じさせるものも在る。
女性より男性の方が、“揃える事”“並べる事”に満足してしまいがちだという説も在る。

破綻しない程度に人生の彩りになれば良いが、手段と目的を取り違えて依存してしまう場合も在る。

人間で在る以上、誰もが必ず何かに依存している。
無自覚なままに依存する道具を、無自覚なまま更に増加させてゆくのは怖い事だ。

文化や道具は商売になる。資本主義を活性化させてゆく。それは当たり前の事だ。
だからと言って、安易に飛びつくばかりで消費側に埋没している事に無自覚なのは負け戦。
エサをめぐんでもらうばかりに慣れきってしまっては、気持ちが折れた時に立ち直れない。

世代的にもそうなのだろうが、個人的にも道具に振り回され続けてきた身。
今になってやっと解ってきた“使うのは自分”というレベルでこそ、
道具を道具として楽しみたいものだ。

自分が動かなくても世界は動いてゆく。
世界を歩いてゆく為の道具は必要だし、世界を楽しんでゆく道具も必要。
道具だけ見つめ過ぎて、世界を見失いたくはないものだ。

20040227/001146
『ホテル・イリオモテルリャ』
途中、道路工事中だったのかどうなのか今となっては不明な脇道に入り込む。
「ほほぅ、流石にコレは面妖な」
整地されていない地道り向こうに、煌煌と建物の明かりは見える。
されど、この道を行けば暗黒の森に突入する気配濃厚。
素直に転進。更に10分ほど走ると、やっと目的地の看板。

なるほど。
健康ランド風味で周囲には土産物店林立という妄想は全くもってハズレだった。
原生林に囲まれた造成地に立つ、立派ホテル。夕食がコース予約だけな訳だ。
『ネイチャーホテル パイマヌヤリゾート』の複合施設としての温泉。

汗だく。着替え在中。準備万端。水着在中。タオル在中。

元旦の午後7時半。なんと、出発してから1時間しか経ってない。
もっと長時間旅だと思っていたのだか。損した感じ。
暗闇は、時間感覚を狂わせるという事か。相対性理論。ブラックマターおそるべし。

日本最南端の温泉『西表島温泉』に突入。
有人島最南端の波照間島には温泉は無し。
これより先の島でも、掘ったりすれば湧くのかも知れないが、
現時点で営業中な日本最南端温泉である事は間違いないだろう。

屋内浴場自体はさほど広くはないが、ちょうど空いている時間と日付だったせいか貸切。
心地よく露天風呂も満喫。大人1200円。
タオルレンタル付き。日帰り入浴は12:00から22:00まで。

しかし、『西表島温泉』には“真・露天風呂”とでも言うべきものが在る。
水着着用で、廊下を数メートル前進。ネットで下調べしていたので、水着用意済み。
空いている時間なら「全裸で ! 」というのも可能な程の宵闇だが、してしまうと犯罪。

いざ、屋外。眼前には広いプール。ほぅ、これが露天風呂・・・・・冷たいでゴザル。
ぐるりと見回したが、他には庭が広がるばかり。はて?
さては、罠? 全ては、最南端型遊星人の見せた夢まぼろしの如くなり?

だが、次の瞬間。背後に女人気配。庭の方角から歩いて来た模様。
競泳用水着、鮮烈。
西表島に対して失礼ながら「なんでこんな所に?」とまで思ってしまう程の美女。
夜が魅せた魔法やも知れぬが、それもまた良し。
去年の北海道旅で、推定二十歳女性2名に露天風呂にて突然眼前脱衣された事と比べても、
や、これはまたこれで。

「すいません、露天風呂はどちらですか?」
「あ、ここを進んだ所ですよ」
「いゃぁ、プールしか無いのかと動揺してたところです」
「うふふ・・・それでは、ごゆっくり」

流石、元旦から南の島でホテルに泊まる美女。“うふふ”が実に自然体。おそるべし。

露天風呂満喫にて、ほっこり幸せ。
我が精神の温泉は、単純泉。
あの日あの時、右ストレートを打たれていたらマトモに食らっていた・・・

20040228/001147
『ライトサーベルダンス』
なるほど。往復合計2時間と思えば、夜間走行も結構長く楽しめたというものだ。
夜の中、同じ道を帰る。
似た様な坂道が不規則に連なっている印象しか無かった筈が、
意外に往路の記憶が残っていた。
峠の向こう、長い直線が在るのか次の坂が在るのか、淡く解る。

されど、解る道だからといって油断は出来ない。
自転車がパンクするだけでも、膨大な疲労を背負う事になる。

路肩は原生林から這い出る草に覆われ、アスファルトはヒビ割れ続けている。
自転車は軽車両であるという道路交通法に基づき、車道をゆく。

後続も、対向車も見えない。
曇った夜空が僅かな明度で、森の影よりも白い。
そのシルエットの変位と、ライトで照らした路面が視覚的移動の標。

十数分ごとに1台づつ程度の頻度。帰路では、3台ほどの車とすれ違う。
車が前方で不意に止まり、銃を持った男達が立ちはだかる事も無い。
車のライトは、遠くから来て遠くへと去る。ただ、それだけだ。

自分の頭部に付けたライトが、路面を照らしている。
不意に、
その照らされた路面は、自分が走り行くであろう未来の路面で在る事に気付く。

照らされているのか、照らしているのか。いずれにせよ、首を動かせば光は逸れる。

20040229/001148
『無灯火層』
自転車通勤をしていると、無灯火で夜の道を走るヤカラが実に多い事に気付く。
近年では、携帯電話を見つめながらフラフラと自転車を漕いでいる者さえも多い。

車に乗っている人なら常々承知だと思うが、自転車は車から視認しにくいものだ。
夜間であれば尚更。対向車のライトが干渉すると、姿は実に見え難くなる。

【タクシードライバー談】
「こっちは真面目に仕事してんのに、前見てない奴にぶつかってこられたらたまらん。
 実際、同業者でもそんな目にあったの居てるし」

【大手保険外交員談】
「あ、あぁいうのは自業自得なので保険料出せませんよ」

【救急隊員談】
「人の迷惑を考えてない奴が勝手に自滅しても、俺らはプロとして助けに行く。
 でも、事故に他人を巻き込まんといてほしい」

人と接する仕事をしているので、様々な業種から同様の事を聞く。
実際、自転車にぶつかってこられて骨折させられ入院した知人は4人居る。

世間では、事故件数も続々と増加中だ。
自分では賠償能力も無く、その事にも無自覚なヤカラが公道を走っている。

夜の危険にさえ無頓着なヤカラは、いったい何を考えて道をゆくのだろう?

街灯などで自分が光を見ているからといって、
無灯火の自分が見られていない事に気付いていないのか?
同じ道を走る車・・・すなわち他の誰かが放つ光に埋没したいのか?
誰にも見られずに世間の片隅で生きていたいのか?

携帯電話画面を見つめずに運転していても、世間の事を解っているつもりなのか?
それでも、“常に前向きな気持ちを忘れず”に“まっすぐに生きて”いたいのだろうか?

自分なら、突発的な危険にも素早く対応できて回避できる自信が在るのか?
“誰にも迷惑なんてかけてない”と思っているのか?

それとも・・・やはり何も考えていないのか?

自分自身で照らし出さないと、何も見えなくなる道は確実に在る。
むしろ、この世界には、灯火の無い道の方が遥かに多い。

前を見もせずに、自己を認めて欲しいと渇望しても無駄。

光と自己責任で、自分の進む道を照らし行かねばならないのは太古より変わらぬ理。


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