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『大作戦日誌』20030701-20030731

20030701/000936
『夏への理』
夏至だったので、歩きに行った。

土曜から起きていると日曜の朝が来たので始発列車に乗ってみる。
山を越えて県境を越えて、奈良まで鉄の箱に運ばれる。

6時半には天理駅に着いていた。初めてではない筈だが記憶が無い。
近鉄と路線が合わさっている為に大きい駅なのかと思ったら、
実は団体専用のホームが存在するからだそうだ。
流石は天理教の聖地。駅の内部に「ようこそ おかえり」の横断幕。

レンタサイクルという選択肢も脳内に浮かんだが、店が開くのは午前8時。
1時間半も待つよりは、その時間を歩こう。
「歩きに行きたい」なんて思うだけでなく、実際に歩く為に来た筈だ。
 
アーケードの屋根を歩くハトの足音を聞いたり、
店の間に在る路地をゆく三毛猫に挨拶しつつ、駅前商店街を抜ける。
すると、天理教教会本部前を通る事になる。

周辺には教団関係者が宿泊する施設が建ち並んでいる。
視点を遠方に向けると、宿泊施設の大きさと数の多さに驚く。
知人の信者さんに聞くと、各地方専用の宿舎が存在し各々が管理されているそうだ。
道の傍には巨大な学生食堂を思わせる入り口と“第六食堂”の看板も。
なるほど、団体専用ホームが必要な訳だ。

本殿は威風堂々。巨大な木造建築は信心の在る無しに関わらず心地よい。
広大な前庭には玉砂利が敷かれ、しかも奇麗に管理されている。
玉砂利の敷地前には自転車乗り入れ禁止・禁煙などの看板が在る。
しかし、それ以前に、タバコのポイ捨てやゴミの無い事実に大感心。
 
如何に修行の一環として清掃作業が在るとはいえ、
“掃除されているから奇麗”以前に“捨てる者が居ない”土地柄が伝わってくる。

ポイ捨てなどする者は結局のところ無自覚なのだ。
誰かの清掃に依存している事実に、己の姿に無自覚なのだ。

己の不作法に留意するのみではなく、他者の不作法を補い助けるのみではなく、
それらを含めて自身を律していく。
その機構として“信仰”はやはり有効なのだと知る。

ならば“法律”はどうなのか?
ならば“道徳”はどうなのか?

この文化の中で有効に作用しているのか?
 
思案しながら、その町を抜けてゆく。

20030702/000937
『超魔術神社にウシを見た!』
まさに“宗教都市”という感を受けつつ、天理教施設群を歩き過ぎる。
奈良県らしい田園風景が視野の中で拡大してゆく。

天理駅を出発してから徒歩約30分。
道標を見つけて左折すれば、木々に囲まれた道が在る。
まだ蝉の声には早く、静けさの中で時折に鳥が鳴く。

辿り着いたのは、石上神宮(いそのかみじんぐう)の参道。
鬱蒼とした木々に囲まれた神苑には人影も無く、朝の静かさだけが在る。

境内に在る池のほとりで佇む。
この池には、なんと!“馬の顔をした魚”が棲むのだという・・・

やはり、
我々の周囲にミステリーゾーンは21世紀になりとても息づいているのだ。

感銘を受けた直後、突如として異様な“声”に驚かされる。
神鶏である。

だが、その甲高い“声”の主を探そうと視線を巡らせた先に、は!

 ニワトリが!

 そして、ウシまでもが!

人智を超えたハイテクニックで凍結され、硬質化していたのだ!!

20030703/000934
『平城スーパーハイウェイ構想』
2003年、夏至。
“山辺の道”と呼ばれる古道。

古代・・・『藤原京』と『平城京』を結ぶ主要幹線だった道に立つ。
ふたつの都を地図で確認してみると、石上神宮はほぼ中間点。
現代・・・古道の雰囲気を今に残す道としては此所からが始まりとなる。

表記は“山辺の道”“山之辺の道”“山の辺の道”と色々見かける。
自分としては“山野辺の道”が字面として好みだが、
どうやら公式には“山辺の道”らしい。
 
道に極端な高低差はあまり無く、登山という感は無い。
一部に石畳の坂などが在るが自転車でも適宜降りて押せば良い程度。
クロスカントリーな自転車好きには楽勝なルートだろう。

山越えしてゆく山道というよりも、農村を縫ってゆく感覚。
地道も在るがアスファルトの舗装路も多い。
年月を経てひび割れたコンクリートの道も味わい深い。

民家の集落を抜け、田畑が連なる広さの中を抜けてゆく。
『となりのトトロ』を観ていて背景美術が気になる人や、
田園風景を歩くという行為自体を楽しめる人には心地よいだろう。
 
道標を設けてくれているので迷う事は無い。
今回はJRが無料配布してくれているハイキングマップが大いに役立った。
解説やトイレ位置も記載された力作だ。制作者に感謝。

20030704/000935
『噂の忍者ソラーとマツ』
『古事記』におけるヤマトタケルの有名な歌。

「大和は 国の真秀ろば たたなづく 青垣 山籠れる 大和し麗し」

この解説板の立つ位置は、ちょうど少し登り坂になる場所で実に適材適所。
折り重なる山々が本当に“青々とした垣根”に見える。
現代語感覚で垣根と言い切ってしまうには巨大だが、
その連なりの中に在る大和の国を美しいとする感覚は今も実感できる。

川端康成の書が刻まれたこの歌碑が、桜井市桧原井寺池にも在るそうだ。
 
山辺の道には幾つもの歌碑や解説板が点在する。
柿本人麻呂(通称:カッキー)やら、芭蕉はんやら、有名人ぞろい。

芭蕉はんは、
とある有名霊能者に降霊された際「松尾です」と律儀に名乗ったそうだが、
忍者説を信じた気になっている我が身としては「松尾、策士!」の感。

6月に、サンTVにおける昼の時代劇再放送枠で『隠密・奥の細道』やってたし。

実際、芭蕉はんの歌碑は普通の道から“一段高い所”に立っていたりする。
戦闘に際して高位を取るのは王道。流石は忍者。

アメリカンニンジャの位で表記すると蝶の秘宝ペンダントを授与されるぐらいだ。

20030705/000936
『スキン・ザ・バンブー』
今年の夏至における天候は、やや曇り。
天気予報では雨にはならないという意見だったが次第に小雨模様に。
折り畳み傘は装備していたものの、使用する程でもなかったので歩行続行。
能動的散歩だからこそ、雨の中を歩く楽しみも在る。
 
そうは言っても、梅雨。
山越えして飛鳥まで歩くという選択肢も在ったが、
山辺の道として定番の天理から桜井までを歩く事にする。
約18kmという事だが、平地が大半なので辛い距離ではない。

土曜の夜における自己定番として眠っていなかったままの散歩。
だが、1時間ほど歩くと心身共に“歩く”姿勢になるのが解る。

これは多透だけが持っている特別な感覚という訳ではなく、
アスリートなら更に高次元で体感しているそうだ。

所要時間は体調によって異なるのだが、
心身の暖気が完了して行動に加速がつく一瞬が在る。
スイッチが入る瞬間そのものを感ずる事も在り、それは奇妙に面白い。
 
今回は偶然なのかどうか不明なれど、
“タケノコの皮かぶったまま2mまで成長してしまった竹”を発見した瞬間、に。

20030706/000937
『4世紀から来たバタフライ』
山辺の道では行く先々で寺社仏閣や古墳や遺跡に遭遇する。
その為、あまり飽きる事なく歩きぬく事が出来た。

山辺の道自体から少し外れたものも含めると1日では辛い程の遺跡数。
三角縁神獣鏡で有名な黒塚古墳など、魅力的な場所も。

研究家による説明会つきの遺跡めぐりハイキング企画も催されるそうで、
大きいものになると3桁人数の参加者が集結するそうだ。

今回の行程では、何故か同方向への散歩者は皆無。
ほんの時折、反対方向からの散歩者に遭遇したただけだった。
その為、行く先々では静寂の場が持つ独特の神妙な雰囲気を楽しめた。
 
集落の周囲に水堀を巡らせた環濠集落のなごり。
夫の待つ畑に小型トラックを運転して向かう老婦人。
人影が無いからこそ何かが伝わってくる神社の静寂。
塀も無くただ平地の中に島の如く在る墓地。
時の流れから孤立した様な緑の小山として在る古墳。

崇神陵と山辺の道を挟んで在る櫛山古墳は多透の様な素人目にも面白い。
双方中円墳という、全国でも珍しい形状の古墳なのだ。

あまり例が無いのは何故か? そこには特別な思惑が込められているのか?
当時の文化意識からは突出し過ぎてしまい、継続されなかった形状なのか?
それとも何か特殊で特別なものを表しているというのか?

円墳や方墳が塚の発展形という説はうなずける。
円や四角は領域区分を示しやすいし、単純だからこそ強い記号性を持つ。
また、前方後円墳が壷や貝や子宮を模しているという説も理解しやすい。
 
ならば、双方中円墳は何を模しているのか?
さては、蝶ネクタイか?

20030707/000938
『新メカ登場!タナバッタン』
七夕の天候を思う度に、「やはり旧暦の日程でするべきでは?」と。

先日『下水道科学館』に行った際、無料配布パンフに七夕解説を発見。
・・・なるほど。
交野市では、天野川という地名から天の川が連想される為か、
七夕伝説由来と思われる地名が多数在るそうな。
天野川には逢合橋・織女を祀る織物神社・かささぎ橋・牛石・等々・・・
  
まぁ、これだけの情報のみで、
「すわ!七夕伝説発祥の地は交野市ッ!」と色めき立つほど純朴でも無し。
そもそも、中国大陸にも朝鮮半島にもバリエーションは在る訳だし。

遠い昔に「地元の有力者が七夕好きだった!」とか「村おこし!」とか、
「地元の権力者が織女の浮世絵に本気で恋を!」とかルーツ思案。

20030708/000939
『棚からバタ餅』
自分としては、天の羽衣伝説と融合している中国版がスケール感が在って好み。

牛飼いの牛郎が“牛のお告げ”により羽衣を隠して天界の織女と結婚。
怒った天界西王母が銀のカンザシで線を画すと大河となる。
神兵神将も登場するので、『宇宙人説アレンジ』が好きな人にも良いかも。
 
日本版は天界がどうこうよりも権力者や両親がボスキャラ。
日本版・海外版ともに2人が結婚後むつまじく暮らすのは共通なれど、
日本版は“いちゃつきすぎて仕事をしないから”怒られたという形。
“働かざるもの食うべからず”という教条性組み込み済なのが国民性か。

元来、こういった民話は権力者や時代の趨勢でエピソードが付加連発が普通。
元々は悲恋話だったものに教条部分が組み込まれたのかも知れず。

あと1万年もすれば惑星間悲恋に変わってるかも知れず。

20030709/000940
『キロメートル原器』
JRの駅で無料配布している山辺の道マップには、
天理・桜井間ウォーキングモデルコース“歩行約5時間 18.2km”との記述が。
「見学時間等は含まれておりません」との注釈も。

観光ガイドブック等では「それはハッスル健脚さんの数値では?!」とか、
「故意に数値加算して行動者プライドを盛り上げているのんでは?」とかが。
されど、今回の数値は結構そのまんま。流石JR西日本。営業キロのテクニシャン。

途中の旧跡でボーッとさせてもらったものの、
座って休むこと無く歩き続けて本当に所要時間は約5時間。
座らなかったのは、徹夜明けだったので眠り込んでしまうのを防止する為。

そんな感じで、さほど辛くない数字。
眼前の急勾配に集中力を注ぎ込まねばならないという事もなく、
いろんな事を考えたり考えなかったりしながらの散歩には道程も時間も好都合。

座り込んで考えても解らなかった事が、ほんの数時間の歩行中に不意に解る。
 
現場百回?!

20030710/000941
『輪の数は三』
  
上の画像は額田女王の歌碑と彼方の三輪山。
山辺の道におけるベスト景観ポイントで、ガイドブックの定番。

大神(おおみわ)神社は流石に壮麗。
日本最古の神社のひとつ。本殿は無く、三輪山そのものを御神体とする。

全国から参拝者も多く、山辺の道における独りが嘘の様に団体さん多数。
大きな無料休憩所も在り、上らなかったが2階部分には座敷も在る様だ。
椅子が並んだ1階(斜面なので見た目は地階)も広くて良いが、
タバコ臭すぎたので早々に退散。

大神神社という名の字面からして、
『サクラ大戦』のコスプレさんでも居るのではとドキドキしたが心配無用。
目の前の現実を楽しまずに虚構に喰われてはなりませぬなりませぬ。

20030711/000942
『セクシー渡河作戦』
座り込む事なく歩き通せた今回の山辺の道行程でも、
雨に降られていたので軽い疲労感は在り。

“雨の降りしきる竹藪で只独り・・・”という、
字面はともかく実践すると蒸し暑ぅぅい事このうえない状況も堪能満腹。

ゴールに相応しい大神(おおみわ)神社からJR三輪駅までは徒歩すぐ。
なので、桜井駅そこから帰路に着こうかと思案していたら、
偶然にも“反対方向から同じ地図を見て進んできた御夫婦”と遭遇。
その御夫婦に道を尋ねられた事もあって、不可思議なヤル気充填!

こぅ、些細な出来事が“肉体を空転せしめる程のヤル気”を加速する症状。
旅先でも遭遇する事の多い超常現象なのでアテンションプリーズだ。

結局、大神神社からJR桜井駅まで徒歩50分追加。
  
雨の中を無意味なまでに傘ささずにゆく我の前に川が出現。
“仏教伝来之地碑”が川辺に立つこの川こそ、
日本汚い川ランキングで常にトップクラスを維持する大和川。

だが、無節操なヤル気に満ちた心身が、迂回を拒否!
無節操に傾斜60度のコンクリ堤防を降りるという行動を決定。
無謀!雨のぬめり!重力の井戸!
ずるりぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!と6m程ズリ落ち三昧。

少し離れた橋を、ハイキング団体が渡ってゆく。
その視線を遠く遠くに浴びながら、何喰わぬ顔でハッスル渡河作戦。
コンクリ伝いに飛び歩けば楽勝。大和の地にて稲葉の白ウサギ気分。
そそくさーッと対岸に渡り、
河原でボール遊びする少女達の視線を気にしながら濡れたケツを乾かす。
乾燥の早い綿バンで正解。
ジーンズは濡れに弱いしムレるので、日本の歩き旅に実は不向きでゴザル。

がんばれ三十路。

桜井駅前には、“仏教伝来の地”“相撲発祥の地”の2大看板。
オタク要素から離れていた半日ではあったが、
ここに来て『BOOKOFF』桜井店を発見してしまったり。

せっかくだからと雨宿りしつつ、本日の記念も兼ねて本を買う。
手持ちの前半部のみが大判でサイズ不揃いな本棚が気持ち悪かった、
安彦良和『古事記巻之一・ナムジ』これにて文庫版に統一完了。

20030712/000943
『実は出雲へ渡ってナムジンになったのだ』
桜井を挟んで天理と反対側のコースとして香久山方面も面白そう。
そのうち散歩に行く野望補填開始。少し足をのばせば酒船石も在るし。
神武天皇陵も見てみたい。

安彦良和氏の描く・・・
『古事記巻之一・ナムジ』中央公論社 文庫版 全4巻
『古事記巻之二・神武』中央公論社 文庫版 全4巻
この2作品を去年に読んでいたので色々と興味がつのる。

読破したのは夏の終わりに出雲へ旅してからの事。
事前に読んでいたら更に感慨深かっただろうと思う事しきり。
それでも、出雲から近畿そして瀬戸内から九州と、
自分にとっては思い出深い地名が続々と出てくるのは愉快々々。

物語に支配されて旅を決めるのではないし、旅をする事は自身の物語を獲得する事。
それでも、その地の歴史やそれを描いた物語を知っていれば、視点は多角化できる。
それはたぶん幸せな事だ。
 
安彦氏作品より先に読んだ原田常治氏の『古代日本正史』は、
書評を見て興味を持ったため図書館にて。
正直、素人多透には把握できなかった部分が多く、
せっかくの面白い論理展開を受け止めきれなかった感があった。

しかし、安彦氏の筆力・画力で提示された物語には奇妙な求心力が在り、酔えた。
『古代日本正史』と同軸でありながら独自の切り口をも含む展開は、構成力秀逸。
仮説の真偽以前に漫画作品として面白い。

“反骨の主人公”“達観したライバル”“気丈な少女”・・・
漫画処女作の『アリオン』の頃からも定番の安彦テイストを含みつつ、
語られてゆく2世紀後半の倭国は奇妙な説得力を持っている。

1992年に『ナムジ』は第19回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。
この賞がどれほどの権威と難関を持っているのかは知らないが、
漫画家協会たるもの、挑戦的作品を無視する訳にはゆかぬ筈。目出度し。

20030713/000944
『機動古事記オオナムジガンダム』
『神武』の安彦良和氏あとがきによると、
古事記シリーズには未だ未だ続編予定が在るそうで。
【3】崇神期・【4】景行期・【5】神功期・・・の構想が在るとの事。

個人的には、現在連載中の『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』よりも、
こちらの方を希望。

商業作品というものは作者の希望や行動のみで世に広く出るものではなく、
数多くの人間が様々に関わってこそ。
なので、今受け入られているものの“機運”を否定するものではないけれど。
  
初期作品たる『ヴィナス戦記』でも顕在していた安彦氏独特の物語風味。
それは、作劇上で主人公の実質的敗北や挫折をも厭わない歴史感覚だとも思う。
キャラクターから一歩のみならず数歩も引いた、
歴史という観点からの描写を忘れないどころか・・・描いてしまう。

そういう構成が性に合わない人には、
“知った結末”のガンダムの方が安心できるのかも知れない。

目の前に表出している情報だけしか受け取らず悦ぶ程度の読解力で、
オタク者の全てが満足しているなんて思いたくもないけれど。

それに、“太陽神に勝利したアリオンを天空から包む日差し”と同様、
ガンダムでも主人公とは“別枠”で拘縮化してゆく政治機構が在る訳だし。

『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』の最終回には、アムロの行方描写に、
安彦氏ならではのプラスアルファをイロイロ希望予測してみたり。

20030714/000945
『古事記のように恋したい?』
古事記シリーズの流れを持つ続編として、『蚤の王』がある。全1巻。
描かれるのは“野見宿禰 VS 当麻蹴速”の相撲起源バトルな時代。

『ナムジ』『神武』同様、“あの人をこう描く!?”という意表快楽。

安彦良和氏の“時代もの”と呼ぶ事が出来る作品群には他にも多数在る。
『虹色のトロツキー』『ジャンヌ』『我が名はネロ』『イエス』『安東』等々。
実は著作の大半がそうだと言っても良いぐらいだ。

そこに感じるのは、資料の中から物語を紡ぎ出す構成力。
歴史としての大局観に留意しつつも物語としての流れも忘れない。
だから“歴史もの”というよりは“時代もの”と呼びたい感触だ。

個人的には正直、
『虹色のトロツキー』など、読んでいて興が乗らなかった作品も在る。
しかしそれは、
自分に“満州国の在った時代”への認識や知識が不足している事に起因する。
日常的に“その時代”を生きてこられた年齢の方々と接しているにも関わらず、だ。
それに気付き、実際に満州国で生活された方々との対話を深めてみる事で、
やっと見えてきた物語の妙味も在った。
無論、自分の内部における歴史情報・歴史観の多角視点化にも向上感と不足感をも得た。
 
作品を享受するという事は対話するような意義を持つ。
それは作者との対話で在り、物語との対話で在り、作品世界との対話でも在る。

対話が可能な作品かどうかという視点は良作定義のひとつとなる筈。
だが、自らの対話能力を棚上げして何かをけなしているだけでは収穫は無い。

ほんの少し視点や行動範囲や人間関係を拡張する事で、
膨大な物語と対話できる事を忘れないでいたいものだ。
 
それには、
単に道を歩く事を夢想するだけではなく、
現実に歩いていても目を伏せて歩くだけではなく、
行動という妙味の中に空間と時間を楽しんでゆく事が必要な筈だ。

20030715/000946
『海獣ムキムキ大行進』
画像は『二見シーパラダイス』の海獣さん。

夫婦岩の二見ケ浦に在る水族館。
同じ伊勢でも『志摩水族館』と少しカラーが異なる。
熱帯植物が生い茂る館内は、そこはかとなく昭和の香り。
 
“アッカンベー”で有名なミナミゾウアザラシを初め、鳥類からペンギンも協力登場、
そしてセイウチまでもが登場するの海獣ショーが良い感じ。
海棲哺乳類はなんであんなにデカくなるのんか?!
  
いろいろ集合してしまった“海獣広場”の密集感はケダモノ好きには堪えられない魅力。

もぉ、セイウチが移動してるだけでシアワセなキモチになる。
歯が凄い!腹が凄い!ヒゲが凄い! 飼いたくないけど。
デカさ満喫。体重1トンは伊達じゃない!

20030716/000947
『フォーミュラー天の磐船』
『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』が載る月刊誌『ガンダムエース』も、
言わば同人誌ネタの商業化作品集積体だ。

単なる“ままごと”の範疇から脱出できた時、商業作品は成り立つ筈だった。
もはや今日のオタクフィールドでは同人作品・商業作品の境界曖昧。

架空史・架空戦記・外伝・サブストーリー・・・

そこには“あのキャラをこう使う!?”“あの同時期にコレが!?”という、
思考遊戯的快楽要素が散りばめられる。
 
だが、ガンダムものに限らず、
その立脚点に架空要素が多ければ多い程に当然の如く土台は危うさを持つ。

“現実世界における史実”“既に起こっている事実”という揺るぎないもの。
それに基づいた物語でなければ面白くないなどという事は無論、無い。

ノンフィクションと名乗った存在の中でさえ、制作者の恣意は当然に在る。

だが、心地よい架空要素だけで満たされた物語に安住すれば、
脆弱化するのはむしろ受け手の側だ。

現在に至るまで延々と提示され続ける共通情報・共通幻想に依存し過ぎれば、
受ける側に安住してしまう。

物語は商業的に破綻すれば時の中に消えるだけだが、
自己精神の脆弱化を招けば対峙しなければならないのは他ならぬ自分自身。

・・・と、つらつらと書き並べたところで気が付いたが、
“三十路どっぷり濃厚ガンダム無融通マニアと直接応対した際の不安”という、
1行のほうが解り易いような気がしてきた。

20030717/000948
『ぼくらのモンモーウォーク』
私事だが、二十代のある時期に小説を読まなくなった時期が在った。

小説など読まなくとも、他の様々なメディアで余暇は楽しめる。
だが、その頃に自己分析して慄然としたのは、
“自らの言葉で思考構築する能力”の低下ぶりだ。

その現象が普遍的なもので“だから小説を読まなければならない”等とは言わない。
 
だが、自分個人における実感としては、
“表層的な記号情報を享受するだけでも事足りる”アニメや漫画のみでは欠乏する。

そうなってしまえば、対人仕事を日常にしている身として由々しき事態だ。
人と接する事は、その人が過ごしてきた時間すなわち人生と接する事でも在る。

自分で自分の言葉を紡ぎ出し、
自分の言葉で応対しないと失礼になる状況なんて幾らでも在る。

20030718/000949
『逆シャーのグー』
当たり前の事だが、
人間社会の中で人と対峙する時は自己にも他者にも試されている。

何か物事を示された時、それに対してどれだけ多角的に思考できる能力を持つか?
誰もが自分の事はさておき、他者のポテンシャルには興味と注意がゆく。
そうして無意識のうちにも即座に自分と比較して、
上位ならばやっかんだり下位ならば安心したりもする。

簡単な質問を提示して、相手が言葉の表層だけしか考えない人間かどうかを計る。
これは交渉術のうちでも初歩の初歩。

でも、他者を値踏みしているつもりでも更に上手から値踏みされてる場合も在る。
自分が上手をとっているという虚勢で安易にプライドを保つ事も。

そんな事を考え過ぎていると、
対社会不安を生じて引きこもってしまう人の心理も解る気がする。
 
だが、
人間社会の中で人と対峙する時は自己にも他者にも試されている。
これは実に当たり前の事だ。

人間の心理にそういう機構が在るからこそ社会が円滑に動く要素も在る。
自己にも他者にも試されているからこそ、成長も出来る当たり前が在る。

20030719/000950
『紙魚セイバー』
でも、楽なのはいいよ。楽なのはいい。楽だから。
コンプレックスと向き合うよりも考えないほうが楽に決まってる。

先日も、オタク街道まっただ中の三十路知人と遭遇して実感。

いつもの如くふらりと寄った大型古書店にて、多透の手には文庫本が5冊ほど。

『どぅね? なんか最近おもろい本あった?』
「や、最近どころか何年も小説は読んどらんですよ」

丁度、角川とか富士見とか電撃とかのヤングアダルト小説棚の前だったの、で。

『このへんでも読んでみたら結構掘り出し物あるで。この人とかアレとか』
「ぃやぁ〜 国産はどぅも偏見あってダメなんですよぅ」
 
ふぬーむ。
実は、同様の状況で同様の質問をして同様の応対をされたのは既に3人目。

どぅなんだろう?
・・・・・実は、試されてるのは多透のほう?!

でも、素直な疑問が脳裏に。

実際に肉眼視した訳じゃないけど、キミ自身のクチからそう聞いただけやけど。
・・・キミが、押し入れイッパイに溜め込んでるっていうエロ同人誌・・・

それって、純国産とちゃうのん?

20030720/000951
『未来警察青春課』
そうは言っても多透とて根はオタク気質浸透済み。

昼休みに誰も居ない職場で昼飯時にインターネットラジオを聞く際、
色々と選局してみもするのだが、『Japan-A-Radio』が多くなったり。

この選局だと、J-POP&アニソン&アニメBGM。

『BOOK OFF』の有線なんかで小耳に挟んだだけだった歌を補完できたりと、
なんとはなしにJ-POP現状の流れが自分の耳に届く時間。三十路のあがき?

宇多田ヒカルが出て来た頃からの“うわずり声”歌唱が根強く残っているのは、
あれはあれでなんとはなしに上手く聞こえる気がするからか?等と思案してみたり。

それと、ここ10年・・・特にここ数年で何やら一気に・・・
一般歌の内部に“アニソン風味”含有率が増加し続けている印象。

そんな中で、聞こえてきた英語歌が、
「Teen Titans Thema」 で、歌うはPuffyのふたり。

これがまたアニソン乗りまんまの歌で、
「あぁ、コレはソレ狙いをあえて込めてのナニか?」と三十路らしいスレた感受。

でも、結構好みのノリだったので調べてみる、と。
Cartoon Networkでやってる米国アニメ『Teen Titans』の主題歌そのもの。

アメコミの世界では落ち目のヒーローがチームを組まされるのはお約束。
で、パラレルワールドも結構定番。

『Teen Titans』はバットマン相棒のロビンが近未来で十代チームでゴー!
アニメになるぐらいの人気は在って「良かったな、ロビン」の印象。

Cartoon Networkのページには『Teen Titans』格闘ゲームのコーナーも在り。
歌も初めの辺りだけ聞けるが、実はこの後の方がカッコいい。
 
【注】画像は『Teen Titans』ではありません。

20030721/000952
『猿会話 とっさのひと言』
金縛りになるのは実害なければ構わないにせよ、
カバ縛りになるのは勘弁だという御仁は多いだろう。

インターネットラジオ『Japan-A-Radio』を聞いていると色々思う。

普段、映像付き音楽が中心となってしまって、
自分があまり音楽のみを聞く時間が少なくなっていた事実に気付いたり。

歌もBGMも『天地無用』曲が多いのに気付いたり。
このシリーズは何故かアメリカ人オタクに根強い人気という噂がリアルに迫る。
選局は海外で行われているのか?

アニメBGMは“わかりやすい”“使いやすい”が存在意義のひとつだと思うが、
それ故に耳にとって心地よい旋律研究が熟成しているのか素人耳にも良作が多い。

『.hack』シリーズは深夜アニメ枠で何度か見たものの、
「そなにゲームにのめり込まんでも・・・」と、とっかかりで冷めてしまった。
しかし、その音楽は日本人好みの音が凄く研究された結果だと思う。
 
インターネットラジオ『Japan-A-Radio』では時々、英語なDJが出現。
彼は彼なりのキメ台詞をクチにするのだが、コレにもイロイロと感ずるものが。

見えない彼方のマイクの前で顔面だけはニコやかにシャウトする彼の心情は?
直球本気? ビジネスライク? ハワイアン?

当該呼称の原産国家に棲む当該精神民族としての存在意義を問われるキメ台詞。

「アロぅハ! オタクーす!!」

20030722/000953
『ファイナルモンタギュー』
TV放映やレンタルビデオ、時々は映画館。
月に何本かは映画を観る生活は続いている。

近所のツタヤで旧作100円レンタル期間があったので色々借りる。

CG映画『ファイナルファンタジー』も、
「この機会と金額やったら・・・」と借りてみたりする冒険心。

なんとか最後まで観たものの・・・激烈に疲れる。
映画館で観た方々の疲労感はいかばかりか?

ゲーム中に流れるCG動画よりも更に感情移入度が低い状態で、
人造画像人間を延々と見せられる事にまず疲労。

シナリオにもとにかく疲労。
今回の映画製作で出来たものを素材として、
画像編集と新規脚本で5万6000倍は面白くなるかも知れない。
自分がそれを出来ると思っている素人は多いだろうし、業界人も多いだろう。
その行為が本当に意義在るものかどうか解らない人も多いだろう。
そして現在に至るまで、その行動を実行した者は居ないのだ。
 
日進月歩する分野で制作時点の技術を現在の基準で観るのはナニ。
だが、CG人体で個人的に違和感を感じるポイントである“肘のシワ”が、
大金はたいて作った映画でも残っているのは残念だった。

ヒロインのソバカスまで再現した“絵”は奇麗だと思う。
生命感は無いが。

“ヒト”が同族として社会的に認識する“人間”という生き物の、
その同族ゆえに感じる生身としての美しさを再認識。

前夜に大快作『女番長・野良猫ロック』を観ていたせいも大きいが。

20030723/000954
『ファイナルモントレー』
“怪物の夢”は、夢占いや夢判断的にはどうだか知らない。
自分としては、夢の解釈自体にあまり意義を見いだせない。

それでも、夢の中で怪物との遭遇を望む思考片を、自分の中に認識している。
 
夢を解釈し、現実における自分の苦悩や問題を分析する結果よりも欲しい情報。
それは“自分が夢に観る怪物のデザイン”だ。

現実を生きる為の指針は、自己責任で決意してゆけばいい。

それよりも、まず、“その姿”を観たい。
自分内部に在る恐怖を煮詰めて固めた煮凝りとも言える、“その怪物の姿”を。
 
霧の中を手探りで進むように、そんな夢を観る事が出来ても・・・
既存のものに似ただけのありふれた姿だと、実に損をした気分になる。

20030724/000955
『ファイナルじょっぱりー』
映画『ファイナルファンタジー』で、モンスターデザインは解り易す過ぎる印象。
自分でも色々とデザイン思案している身なので、逆に勉強になった。
 
ヒトガタを歪ませて怪物化デザインする場合、バリエーションは多々在るが、
その方法論は“簡略化”“複雑化”のふたつに大別できる。

“簡略化”は、欠損や細部の省略により無気味さを演出。
“複雑化”は、多肢化や他生物との合成などによる異様さの演出。

他生物を素体に怪物化デザインする場合も、基本は同様だろう。

映画内で出てくるデザインで気になったのは、
竜や昆虫を安易に連想させる種類のものではなく、人間大に近いヤツ。

肩幅をゴツく、腰を細く、脚も細く、片手に武装が融合し、
シルエットでは頭部が判別しにくく、顔が水牛の頭蓋骨っぽい・・・

多透としても“手長足長”のデザインは好きだし、自分でも思案描き多数。
しかし・・・CGで立体的に描画された今回の映画内デザインは、
実にありきたりのものに見えてしまった。

これは、デザイナーのセンスにも由来する印象も大きいのだろうが、
それ以前の問題として“既に定番化してしまっている”という痛感を自覚。

四肢を持つ怪奇生物デザインの難しさ。

楽描き段階で個性を感じていても、立体視した途端に既視感を生ずる。

もはや、基本バリエーションは出尽くしてしまったのか?
「まだ在る筈だ!」と思う人は多透だけではあるまい。
しかし、実際に描き出して見なければ、それは盲信に過ぎないのだ。

20030725/000956
『ひなせ・あいらん』
はやくも7月は数える程となり、
ミック・ジャガーは60歳となりとてもナイス顔面。

だが、画像は2003年春期18きっぷで行った日生(ひなせ)の港。
 
姫路と岡山の丁度中間ぐらい位置する古くからの漁師町。
瀬戸内海といえども海流の関係で冬に冷え込む地域も在るそうだが、
岡山県日生は年間を通して温暖な気候に恵まれているとの事。

訪れた日も、春先だというのに上着不要な初夏の陽気。

今年の自分内な旅テーマは“日本一”にして富士山へ行こうと画策。
が、3連休の無い今年の暦では時空間的に無理と判断。
ならばと、幾つかの島へ渡る事を夢見てみたり。

去年の夏、“しまなみ街道自転車走破”で島旅の魅力を再実感。

“大阪から日帰り可能な島”を調べてみると意外な程に多く在る。
今回は、青春18きっぷ利用で動きやすそうな日生諸島を選んでみた。

ここならば、島々を渡る連絡船を利用する事により、
1日で複数の島を巡る事が可能なのだ。
 
島へ旅する事の魅力は、渡ってみると全身に染みてくる。

実際に住んで日々を生活してゆくには色々な長所も短所も在るだろう。
しかし、旅する身には、その空間そのままを味わい楽しむ事が出来る。

島は、周囲を海に囲まれ、そして繋がっている。その現実こそが島だ。

其処には閉塞と解放が同時に在る。

それはどんな町にでも内在している事では在るのだろうけれど、
島へ旅する身には改めて皮膚に意識に染みて来る。

20030726/000957
『天空へ示す地表文字』
新快速利用で大阪から姫路まで約1時間。
そこから相生経由で播州赤穂まで約40分。
選択した電車にもよるのだろうが赤穂で半時間程の時間待ちが在ったので、
駅前のパン屋さんで赤穂あんぱんを3個食す。朝なので焼き立てホフホフ。

赤穂から日生までは15分程度。駅のすぐ前はもう海だ。
だが、駅前から出ているのは小豆島ゆきの船。
日生(ひなせ)諸島ゆき連絡船乗り場は、徒歩十数分程度の所に在る。

歩いてゆけば、山の斜面に“ひなせ”文字。
なるほど此所は確かに日生なのだと納得させられる一瞬。
 
超古代文明との関連は不明。古代超文明との関連もまた不明。

20030727/000958
『ヘルメット・ガール』
駅を背に、海を前にして右に向かう。
徒歩十数分程度というのは、見えない目的地に対して心理的に微妙な距離。
土地カンの無い場所では「本当にこの道で良いのか?」疑念と同行する事となる。

対応策は色々と在るが、いちばんオススメなのは「人間に尋ねる」だ。

地図を探り、地形を探り、探索してゆく楽しみは捨て難いものが在るが、
それは、誰も居ない道をゆく時に使えばいい。
せっかく旅に出て、旅先で誰とも話さないよりも、せめて道を聞こう。
意外と、その一瞬こそが記憶に残ったりしている。
 
そんなこんなで、
日常的習慣な自然さで通りすがりに「こんにちは」をくれた自転車女子中学生。
挨拶が挨拶として素直に出る土地柄は心地よい。
クラブ活動に向かうのであろう彼女に尋ねると、目的地はすぐそこ。

20030728/000959
『瀬戸内のブリッジド・ビルドー』
瀬戸内海に浮かぶ 大小13の島々である日生諸島。
その中で人々が住む4つの島々へ渡してもらえる。

連絡船の切符売場は、道路横の雑貨屋さん。
タバコ屋のカウンターも店内の棚も木製。時の重みで奇麗なツヤが出ている。
地方の漁港によく在る、昭和初期から変わらない風格の店だ。

島々への起点が、ゆるやかな時間を感じさせる空間である事に何か安心する。
 
連絡船の運賃は、日生港から一番遠い大多府島まで25分610円。
格安な値段は市バスを思わせる。利用者は結構多い。

続々と運び乗せられる宅配便や郵便物。
そしてそれらをそれぞれの港で担当の人が素早く受け取る。
それは全国各地の島々で、必ずといって良いほど見られる日常風景。
その一瞬を目にする度に“島を訪れた”という実感が増してゆく。
 
動き出した船上から、建設中の橋が見えた。
島と島を結ぶ橋だ。
対岸がすぐに見える距離でありながらも、厳然と在る海峡。
地形を克服し、人も物も流れも繋げてゆく。
その構想と実現が潮風に押されるように素直に伝わってくる。

完成は近い。

20030729/000960
『アンダルシアのロケット』
7月27日 日曜

自転車レースなアニメ映画『茄子・アンダルシアの夏』を前日に観賞済。
5月に『志摩スペイン村』に行っていた事も相乗し、スペイン熱大上昇。

そのせいでまったくもって不必要なまでに鼻息が荒くなっていたものの、
所用やココ数日間の疲労回復の為にゆるやかな日曜日という選択肢をとる。

スペインは遠い。
青春18きっぷも1日分だけ残っているが、それで行ける訳ではない。
頑張れJR。亜細亜横断弾丸超特急とか造ってくれ。透明チューブ付き。
   
それでも青空の色は冴え。
平成に入って1番記録だという冷夏の風は実に爽やか。

とりあえず“カタチから入ろう”と思い、ハンモックを出動させる。

こんな日もあろうかと買っておいたのだが、なかなか出番がなかったブツだ。
ベランダの手すりに古タオルを巻き、そこにロープを固定する。
至福。

ようやく手に入れた文庫本を、ハンモックで読む。バスタオルの枕で。
いける!このカタチはいける! 傍らに凍らせた茶のペットボトルで。

川端裕人氏の『夏のロケット』読破。美味。
あさりよしとお氏の『なつのロケット』と合わせ技で更に良し。

こんな物語が書ければっ! 書かねばっ!!

1週間前に敦賀まで泳ぎに行ったばかりなのに、広い所に行きたくなる。
広大な中に自分を置きたくなる。

行くかっ?

日焼けた皮膚が薄くはがれる。

行くぞ。

20030730/000961
『ボウリング・フォー・脳天島』
日生諸島で、まず訪れたのは頭島。

いつもながら、
海に迫る山の斜面に軒を連ねる家々を繋ぐ坂道を登ると、島に来た実感。
坂道の上に郵便局を発見。
だが、そこに向かったのであろう男性の姿を見て以降、人影を見かけなくなる。
郵便局星人だったのかも知れない。ポスト型宇宙船。切手型宇宙食は3日もつ。
 
更に、歩いているとボウリングのピンを発見。しかもデカい。
見えにくいが、画像中央部に在るのがソレ。
昭和の頃に看板として活躍していた様な巨大版。
だが、島のその場所に在るのはボウリング場という訳ではなく、民宿さん。

嗚呼・・・この島にあのピンが来るまでには、
如何な血湧き肉踊るスリル策謀&サスペンスロマンスカーチェイスが?

20030731/000962
『そして、壁画は残った』
住宅の間を抜けて、果樹園と墓地の間を登ってゆく。勾配はさして辛くない。
島を一周できる鋪装遊歩道を進み、頭島を見渡せる『たぬき山展望台』に登る。
 
晴天時には四国や淡路島まで見渡せるそうだ。
見える島の図示が在るので自己位置を対極的に確認する楽しみ。小豆島発見。

当日は海面温度上昇の為に“もや”が掛かって遠方までの解像度は並。
見通せないからといって意気が沈む訳ではない。
島や海上、そして岸から遠く離れた堤防上などで“もや”は定番。
それもまた実に海らしい景観であるから、
そんな時は絵葉書的な見通しよりも“広がり”そのものを楽しむのが吉。

展望台の内部通路は、再塗装されて未だ幾年もは経っていない感。
この展望台は、かつては来島記念に“落書き歓迎”な場所だったそうだ。
しかし、心ない不作法な落書きが目に余る状態になった為、現在は禁止。

誰かの心遣いを愚劣に踏みにじる事で自分の矮小な虚栄心を得ようとする輩は、
自分の無思考が如何に多人数多角的に迷惑を波及させるか想像すら不能なのだろう。

ディストピア的管理社会は勘弁だが、
自覚できない輩に道徳を説く苦労にキレた思想家がファシズムに走る思考経緯は解る。
富野由悠季監督作品で、
“権力を持った悲観論者 VS 世界を見渡す未満の少年”図式に慣れたオカゲか?

もはや、総数60億を超えたヒトの存在する世界。
“もや”が掛かるのは当たり前だが、広がりを観る事をしない者にはなりたくないものだ。
 
謎の壁画発見。不思議に安堵するその絵柄には何やら不可思議なチカラを感じる。
護符の様なものか? 旅人は汚さず荒らさずが粋だという事を再認識。

“あたまじま”ではなく“かしらじま”なので、“あたま山”ではない。
落語の様に、脳天から桜や島やボウリングピンを生やした男の伝説も無い様だ。

それでも、たぬき山に独り立つと、島の脳天に生えた自分を夢想する。


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