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『大作戦日誌』20020901-20020930

20020901/000646
『ノクティルカの夜』
「夜光虫と泳いでみよう」

それが今回、真鍋島への旅に於ける個人的メインイベント。

発光生物は種々在り、図鑑で見たりしてはいたものの、
よもや自分が全身で体感出来る日が来ようとは!

そもそも、日常に於いて発光生物として思い起こすのは、
ホタルやホタルイカであり、夜光虫は無念ながら精神的盲点になっていた。

それが真鍋島で見る事が可能と聞き、即決。
社会人で良かった。

【夜光虫】(Noctiluca scintillans)
発光性の浮遊原生動物。渦鞭毛虫(うずべんもうちゅう)。
体長は1ミリにも満たない。大量発生により赤潮の原因となる。
力学的刺激や急激な温度変化に対して青白く発光する。
全国津々浦々に生息はしているものの、
海水温・塩分濃度によって発光現象が左右されるらしく、
何処でも必ず観察可能というものではない。
条件さえ良ければ、波打ち際が青白く発光している様子や、
船の波紋が発光する様子を観察できるという。

【海蛍】(Vargula hilgendorfii)
動物プランクトン。体長2〜3ミリ。別名は貝ミジンコ。
混同される事も多いが、夜光虫とは異なる生物。
発光物質であるルシフェリンを海中の酸素と反応させて青白く発光する。
そうして夜が島に降りて来て、20時半頃。
暗闇の砂利浜で海パン装着。水中眼鏡とシュノーケル装着。
暗闇の砂利を痛がりながら海へ。

三虎ユースホステルに面した浜には、浮き桟橋が在る。
それを目指して黒色の水中をゆく。

別グループが浜辺でしている花火の灯が、
水中へ染み込む様に入り込んでくる。

そうか、花火を水中から見る花火というものは、こうなのか。


20020902/000647
『天海双星我一点』

「ぶ、不気味っ!
 なんて不気味なんだ。 夜の海って・・・
 黒い うねりだけがうごめいていて 引きずり込まれそうだ!
!」

           つのだじろう『うしろの百太郎』の記憶より


そのような刷り込みにより、夜の海には色々と思うところ、在り。
また、現実の危険性を想像できない程に無邪気でもいられない歳。

宿からの灯りは在るものの、
黒色の水中に身を沈めるのは、やはり緊張する。

周辺光量が明るすぎても夜光虫が視認しにくいのは当然の事。
暗闇に在る海岸という立地条件が、期待と不安を膨らませる。

波打ち際は光ってはいない。
今夜の夜光虫は少ないようだ・・・

水温は、まだ暖かい。
引き潮。
浮き桟橋の具合から洞察して、もっと潮位が上がる時もあるのだろう。
背の届く所から、そっと前進を開始する。
夕刻の事前観察では、水深3メートル以上と見た。


・・・・・ざわり・・・・・

総毛立つとは、こういう事か。

恐怖では、ない。

水をかいた指先が光っている。

長年、海で泳ぐ時は水中眼鏡とシュノーケルが標準装備。
指先の空気泡が光る様子は見慣れている。

明らかに異なる
青白き輝きが、自分の手にまとわりついている。
海中を見ると、海上の光が届きにくい下方で、
自分の足先が、光の中に在る。

そうして、自分が動く度に、
青白き透明光は有機的に動き続けてゆく

水中の眼前で動かした手の上で、
砂金の如き輝きが舞い踊る。

理解以前の領域で、脳内に輝きが刻印されてゆく。

夢中という形容のままに、水中で回転し、潜り、泳ぐ。

痺れた脳内領域に、輝きの記憶を持つままに、
黒の深みから水面へと浮上する。

仰向けで浮かぶ海面には、満天の星が待ち受けている。

彼方の宇宙と海という宇宙。

その両方に輝きを見つけながら、狭間で浮かぶ至福。


20020903/000648
『猫の目大冒険』
近年に改装済の館内は綺麗な静けさが在る。

広い風呂から見える瀬戸内海。
フェリーの風呂から眺めた事は在ったが、島から見る日が来た。
先刻、潜った辺りは夜の中に見えない。

三虎ユースホステルの談話室。
書棚から『日本の木造校舎』写真集を借りて読む。

其処には見知らぬ筈の懐かしさが在る。
通っていた高校の旧校舎を思い出す。

廃校舎を再利用して宿にしてくれている所も多い昨今、
近いうちに必ずや泊まりに行こうと決意。

午前2時半。
流石にそろそろ眠ろうとするその前に、
今一度ひとり庭に出て星空と海を観る。

夜の潮の匂いがする。

ユースホステルに住む
が、歩いて来る。
海を観るのか夜を呼吸するのか単なる日常なのか。
ふらりと横になって毛繕い。誘惑の眼差し。
全身に性感マッサージを施してやる。喉が鳴るぜ。

夜光虫は楽しめたが、
海蛍は結局、よく視認できなかった。
一度だけ眼前を、夜光虫より大きい光点が流れてくれただけだ。
水中の流星にも思えたので、それはそれで良かったと思う。

慌ただしいようで実は悠々とできた1日。

波頭・校舎の硝子窓・蜜柑・虹光・・・
稲妻・船灯・橋灯・夕陽・海花火・夜光虫・星群・猫の瞳・・・

今日は輝くものを仰山みたなぁ。


20020904/000649
『ジェットマイク』
夜が明けて8月11日。
連絡船で真鍋島を後にし、本州に近い白石島に向かう。

近隣島々の中でも大きい島で、海水浴場も賑わっている。
長く広い砂浜に面して、多くの旅館も在る。

海水は、瀬戸内海らしい色で透明度は低い。
まぁ、これは幼少から瀬戸内海で泳いでいた身としては覚悟の上。

遊泳場近辺を徘徊するジェットバイクは、当然の如く存在。
すっかり定番の光景とはいえ、此処では危険な距離感。
地元警官にジェットバイクを注意するようにと吠える男性も出現。
「なんやったら、俺が街宣車もってきて怒鳴ったろか?!」
という台詞が印象的。

「あそこは泳ぐというよりナンパスポットですよぅ」
十数年前に岡山市内で女子高生だった人妻知人に、帰阪してから教えられる。
確かに、そういうシーンは多数目撃。

髪を染めた、その微妙な色味の違いは、
夏の太陽の中では意外と差異なく見えてしまう。

遠目で見て、誰もかれも同じ風体に見えてしまうのは、
多透がトシとったせいも確実に在るのだろうけれど・・・
個で在りとても個性たるのは難しいのだなぁと人ごとの様に思う。


20020905/000650
『クラゲから200光年』
時期的に、クラゲは出現。
平行浮遊しつつ、水中眼鏡で観察。
海水の暗さの中で、奇妙に輝いて見える。
漢字で“海月”と書くだけの事は在る。

たわむれていたせいで、いつの間にか何カ所か刺されていたが。
数ミリ単位で等間隔に並ぶ痕跡に、生命の精緻を肌で感じる。
刺胞おそるべし。

視点をずらすと、
海という宇宙の中に幾つもの海月が漂っている。

深く潜水して、海月の群れを見上げる不思議。
異星の海に生きる生物を思う。

日本近海で生息する海月は多種在るらしいが、
食用にできるのは4種類だとか聞いた覚えが在る。

囓りつきたくなるのを堪えて、浜に上がる。

太陽は自己主張していたが、昼月は解らなかった。



20020906/000651
『渚の弁天様』
白石島海水浴場は、瀬戸内海らしい不透明度。
それならばと、貸しボートに目を付ける。
船体は昔ながらの標準的ボート。グラスファイバー製。

目指すは500メートル沖に位置する
弁天島
周囲200メートル程の岩島なれど、
弁天様が祀られている。
その鳥居を目指し、我らオールを漕ぐ。

・・・・・遠いぃ。

白状すると、多透、ボートを漕ぐのは初めてである。
3人で搭乗の利点を活用し、2人で左右1本ずつを担当。
1人で2本担当よりも馬力は増加するものの、直進が困難。
しかも、リズムを狂わせているのは多透である。無念。
それでも、覚えたかったので、なんとか担当させてもらう。

揺れる!回る!蛇行する!
先月、ディズニーランドのジャングル巡りのカヌーも漕いだが、
十人程の集団だったし、若き職員が激烈に頑張ってくれていた。
実感と感謝と目の前の困難。

1本で制御する櫂(かい)は難易度が更に高いと聞く。
力学的に単純で解りやすい推進法でありながら、
実行するのはなんと困難で面白い事か!

十数分後、なんとか制御できるような気配になりつつ、接岸。

嗚呼! 我ら無人島の上陸者とならん!!

20020907/000652
『触れ松』
炎天下の無人島へ上陸し、御神体を取り囲む巨岩を堪能。

島を彩る木々は、クロマツだと思う。
海辺に来る度に思うのだが、
松という植物は斯様に痩せた土の上で風と潮にも耐えるのか。
ねじくれてゴツゴツした樹皮に触れてみる。
人類とはタイムスケールが違う生き物の一瞬。
我々が島に渡ったのも人生の一瞬。
あとは、それぞれ。ハイそれまでよ。

快晴の豪烈な陽射しの中、我ら出発点へと帰路につく。
水上の小舟では更に体感できるジェットバイクの波に揉まれる。
オールを漕ぐ掌が実に短時間で熱を持ってくるのが実感できる。
血豆をつくる訳にもいかないので、海水で濡らしながら漕ぐ身。

前日に学校の鉄棒を触った記憶から逆上がりの練習を連想したり。
なんとか、表皮が剥ける前のダメージで済む。

20020908/000653
『此処もまた島国』
船が来るまでの時間、島の家並みの中へ。
真鍋島ほどの凝縮感はないものの、
夏の昼下がり、誰も居ない路地の陽射しと陰影の中を歩く愉悦。
昭和中期のものと思われる映画館の跡に出会ったりもする。

島からの帰路は、若夫婦が経営&操船する小型フェリーで。

島への旅はいいなぁ。

冬の砂浜の美しさと静けさを味わいにも来てみたい。
また、行こう。


20020909/000654
『蟹道楽駅』
岡山に船で辿り着いて、笠岡駅へ。
来る時は見る余裕が無かったものを発見。
ホームの傍らにカブトガニの標本。

付近は昔からの生息地だったそうだが、
大規模干拓でかなりの環境改編が在ったようだ。

カブトガニは隣接地で保護されているらしい。
ここまで歴史の長い生物なのに未解明な種とか多いらしい。
金になる研究から進むのは歴史の常か。
カブトガニをウナギ漁に活用できるという発見は面白い。

身は少なさそうだが、なんとか食えないものか?

以前に観たドキュメンタリー内のインドネシアだったかの現地では、
網に絡まる邪魔者扱いされていたが。
あと、腹痛治療のマジナイとして、折った尻尾を束ねて腹に巻いたり。

とにかく、なんとか一度、食えないものか?

20020910/000655
『緊急発進セプテンバー』
種子島宇宙センターから、
H-IIAロケット3号機による衛星打ち上げ成功。

今回打ち上げられた、
データ中継技術衛星(DRTS)
次世代型無人宇宙実験システム(USERS宇宙機)
の重要性は勿論の事、今後の宇宙開発事業にも正否が大きく響くという事で、
わりとドキドキして見せていただく。

虚構には虚構の楽しみが在るが、
こと宇宙開発に関しては、知れば知るほどに現実が面白い。
多透のような薄い知識と情報量でもこうなのだから、
現場の方々の面白さはどれほどに膨大であろうか!

未来には未来の、宇宙への夢が待っているのだろう。
人類の歴史が遙か先まで続くのなら、
現在の宇宙開発も年表の1行かもしれない。
けれど現在の現実を楽しめるのならそれがなにより。

Webライブ中継の視聴も仕事の合間に狙っていたものの、
当然の如く回線が混んで繋がりにくい。
そうこうしているウチに仕事が忙しくなってしまい電脳に接近できず。

ライブ動画が無理ならばと、
数分おきに静止画が更新される“大型ロケット発射場”映像ページへ。
毎日チラチラと覗いているので見慣れた風景がモニターに。
ただ、いつもと明らかに異なるのはその白とオレンジの機体勇姿。

ふぅ・・・未だ打ち上げされてないのんか。
しかし、本日打ち上げ可能な“窓”が開いてる時間は僅か約30分。
もしや、今日は中止?延期?

ブラウザの更新ボタン、ポチっとな。

「ぅわ! ロケットがあらへん?!」

忽然と消失したロケット!
あいつかッ?! あの、ビルとか消すマジシャンの!! 奴かッ!!

直後、流しっぱなしのTVニュースに、
豪烈に打ち上がって天空に行くロケットの姿!

既に、天空。

やっと繋がったライブ映像には、
夜寸前の砂浜に打ち寄せる波の映像が・・・・


20020911/000656
『月の広さで』
8/3,4『しまなみ街道自転車走破』そして8/10,11『真鍋島訪島』と、
8月は2週連続で野外の“広さ”満喫。

8/18は、おとなしく梅田へ。
だぶさんがコミケで長谷川裕一先生の同人誌を買ってきてくれたので、
買い取らせていただいたり。

そしてその足で『梅田スカイビル』内劇場で上映の『月のひつじ』へ。
入場整理券を配ってくれたり色々と気配りの細やかな映画館。館内綺麗。

『月のひつじ』は、
アポロ11号の月面着陸を中継する事になった田舎町の物語。
オーストラリアの町はずれに建つパラボラアンテナの巨大。

嗚呼、あの大きな皿の上に座ってサンドイッチを食べたい。

物語には派手な特撮や爆破も無い。
斜に構えて観るような芸術性が在る訳でも無い。
こまっしゃくれた解説が要る訳でもない。
そういう観客を望む訳でも無い。
多透が80年代に今よりもっと子供だった時の様に、
「わかるやつにはわかる」とほくそ笑む事で得心する映画でもない。

解説を否定しているという事でもなくて、
人類初の快挙と同時に、世界の一角に在る日常を描く事で、
「動かなかった事を悔やむのは怖い事」という当たり前に綺麗な硝子玉を、
風が入って来る窓際に置いてゆくような映画。

感じ取る事が出来たからといって偉いという訳でもなく、
ただ当たり前にフレームの外の“広さ”を心地よく想像できた。
ただ漠然と画面や現実を見ているだけではなく、
積極的に“広さ”を体感している人なら理解していただけるだろうと思う。

ちいさいのに広くて気持ちの良い映画。


20020912/000657
『ロケットニュース』
『H-IIAロケット3号機による衛星打ち上げ成功』の報は、
『アメリカ同時多発テロから1年』の報の波に押されて。
“それではその他のニュースです”以降どころか、
ぜんぜん時間を充てていないニュース番組も多い。

それぞれは位相を異にする報道であるから、
同軸で比較してしまうのは無為とは、解る。

それならばと位相を揃えようとしても、
イスラム側からの報道量の、非情なまでの少なさを追認する事に。

悲劇の量を比較するのは愚行。
それは客観視不能な部分を持つからだ。

しかし、大規模な追悼式典も出来ないままに、
誤爆や自爆テロに怯え続けなければならない人々の姿が、
あまりにも報道されないのは怖い。

ベトナム時の“反省”を踏まえて、
報道制限を徹底して“見えない光景”を増やしているという論が、
嫌な感じで実感できる。

この1週間の報道特番群でも今更ながらに勉強させていただいて、
自身の“世界認識”がまだまだ幼いものである事を痛感する。

世界は目の前に無限遠で繋がっているのに、
自分の小さな世界に梗塞してしまうのは本当に怖い。

オタクフィールド等の虚構で遊ぶのは楽しいけれど、
それによって思考領域が梗塞してしまうのは辛く怖いというのが、
近年の実感。

世界の中に在る自分を認識しようともせずに、
自分を拡大するなど出来はしない。

省みる基点は幾つも在るが、例えばこの1年、
自分はどれだけ大人になれたことか?

「勉強せんなあかん」と改めて思う。

そして、そう思いながらも何か忘れているような気がする。

・・・9月11日・・・・・お母んの誕生日やった。



20020913/000658
『どいつとしたい』
『月のひつじ』を観た後は、
同じ梅田スカイビル内で催されている『人体の不思議展』へ。

面白い。

今までも開催される度に入場させていただいて、
記憶概算では今回の入場で延べ滞在時間は24時間を越えた。
それでも全く飽きがこない。

ドイツの解剖学者にして展示会創案者、
グンター・フォン・ハーゲンス博士と献体者の皆様に感謝。

ドイツでもかなりの反感は在ったそうだが、
海外・・・中でも日本での膨大な入場者数により改めて、
ドイツ国内での評価も更に向上したという話も興味深い。
偏見に至らない程度で、映画などからの個人的印象として、
ドイツにはエログロ文化の印象も在ったのだが、
教会文化も厳然と在るという視点の補強になった。

本物の死体から水分を取り除いて樹脂を注入し保存するプラスティネーション。
これを施された死体群の奇妙な美しさと存在感は筆舌に尽くしがたい。

実際、美しさを確実に感じている自分を認識する。
最初の頃は、恐怖や不快からの逃避とすり替えとしての感覚かと思ってもみた。
しかし、何度観ても“ただ当たり前の美しさ”は感じ続けてしまうのだ。

そして続けて観ていると、
その人がどんな人生を送ってこられたかも全く知らないのにも関わらず、
「あ、今回はあの人(の標本)は来てはらへんねんなぁ」とかまで思ってしまう。
気味悪さどころか、不思議な“顔なじみ感覚”まで生じているのだ。

実際、毎回の1番人気として大人数に囲まれているのは、
その時々でポスターになっている人(の標本)だという個人的印象も在る。
大阪風に言えば、「ぁ、あの人いてはったわ」という感じだろうか。

明るい照明と入場者で溢れる会場に陰湿さは全然無く、
高層階から見える窓外の光景とも相まって、実にあっけらかんとしている。

何やら嫌そぅな表情の人も実に稀に見かけるが、大概は若い男性だ。
「ササミみたい」「脾臓ってプリっとしてカワイィ」「なんか美味しそう」と、
冒涜でもなんでもなくシンプルな感想を軽やかに述べるのは年齢不問で女性。
流石、普段からキッチンで刃物をふるい、食肉を解体しているだけの事は在る。

最も身近に在る心身としての自分を見据える事からも逃げたままで、
虚構に頼るようなダメオタクにはなりたくないものだと改めて思う。

世の中の物事には“良いもの”と“悪いもの”が在る。
“良いもの”と“悪いもの”の両方に在る“良いところ”は、
思考を刺激し喚起させてくれるところだ。

世界のサマザマは、ただ刹那的に面白がるだけではなく、
自分に反射させて自己をアップデートしてこそ面白いのだと思う。

ありがとうございます、昔に生きていた人達。



20020914/000659
『ドーゼメン』
膨大な時間を費やした論議の果てにではなく、
アッサリと
チーム名が内定した。
内定と言っても、
きっとうやむやのうちに使われたり使われなかったりするであろう。

『ドーゼオーバーズ』DoseOvers

ドーゼとは“染色瓶”の意。
ドイツ語では“缶”の意。
英語でdozeだと“居眠り”の意。

それらの意味合いも含有して良いのではあるが、
ここは医学用語で
刺激量を意味するdoseを主意としたい。

つまり、日本語に直訳すると
“ヤリスギズ”である。

主要活動としては
“全国ふらふら旅”である。
そうはいうものの、普段から独り旅を自分勝手にしている者ばかり。
移動の共時性は在るチーム旅行といえども、
目的地では独自行動が充ち満ちる事であろう。

多透以外のメンバーはツワモノ揃い。
登山家・四国遍路徒歩完遂者・元プロレス部などなど経歴も芸歴も様々。
また、人生に於いても様々にヤリスギてしまった事を持つナイスガイズ

別にチーム名を決めないままに、今までも動いていたし、
既に今月頭にも白浜海水浴とか決行済なれど、
来月10月は岡山県北部の湯原温泉にキャンプへ。

和歌山県の秘湯 川湯温泉と同様に河原へ温泉が湧き出ているので、
24時間混浴無料露天風呂が楽しめるそうな。

メンバーは随時募集中

旅先にて自分の楽しみ方を見つけだせる人や、
有意義に“ぼーっ”と出来る才能を持つ人なら、
おもろい旅の企画がこれからも色々と出来ると思います。

 (画面はイメージです)

20020915/000660
『この夏はいずもこう』
遊びまくりの2002夏。
『しまなみ街道自転車走破』『真鍋島』『映画と人体標本』ときた週末に続き、
8/24・25の週末は
出雲へ。

初夏の脳内計画では『青春18きっぷ』利用の夜行快速で車内2泊。
されど・・・
確認してみると出雲方面への『ムーンライト八重垣』の本年度運行は8/17まで。
“出雲大社へっ!”という脳内加速度だけが風に吹かれてブーラブラ。

素直に諦めてしまうのも口惜しいので。色々と画策。
それにしても大阪から山陰への移動は時間がかかる。
鉄道利用だと中国地方縦断の新幹線は無いので、
岡山まで新幹線でその後特急利用でも6時間強。
18きっぷ利用だと9時間強必要で滞在可能時間が更に大変な事に。

ぇえぃ!バスやっ!!

阪急高速バス利用だと、往復割引も使用して約10000円。
片道約5時間45分ゴー!!

土曜午前中までの仕事を終えてから、13:50梅田発にギリギリ間に合い。
4列シートだったが、隣りは空席だったのでゆったり気分。

北大阪急行の鉄路と平行に走る車窓から、
10代の終わりの追憶が充満した駅を見る。
高速バスの高い窓から見る追憶は、即座に駆け抜けてゆく。

今回は重量を覚悟してiBook装備。
モニターと風景を見ながら、それぞれの時間の差異を思考。
小説を書けば、更に異軸の時間と同時に移動する事になる。

大山パーキングエリアに17:08到着。10分の休憩。
山々の広がりが伝わってくる。陽はまだ高い。

バスは雨の中を抜けてゆく。その入口と出口の両方を窓から見る。
久しぶりの経験。雨雲の大きさを、脳内で両手を広げて実感する。

大山は、曇り空の向こうにそびえている。
そのひときわの高さ大きさ。
山が信仰の対象となる理由を言葉以前の領域で認識してしまう。

高速道路の横に在る森に、
白いものを見る。
おそらくはサギだと思われる鳥が数十羽もとまっている。
濃い緑の中に、白い命が多く休んでいる光景は、ひとつの宇宙。

バスは太陽に向かっている。西だ。

18時過ぎにJR松江駅に少し早めの到着。

宍道湖(しんじこ)はデカい。

20020916/000661
『めずらしく雨の宿』
大阪(阪急梅田)13:50 JR松江駅 18:35 玉造(山陰道) 18:47
宍道(山陰道) 18:55 JR出雲市駅 19:20

事前に、おそるべき情報を入手していた。
“出雲大社周辺の店は16時ぐらいには閉まってしまう!”

地方都市の夜が早いのは知っているつもりだったが、
観光地でそこまで早いとは・・・

いずれにせよ丁度夕飯時に出雲市駅到着なので、ラーメン定食。駅前で。
駅前にはコンビニも在るので飲み物も確保しておく。

そうして夜の町と田畑の道をバスで半時間ほど。

宿の周辺には本当に開いている店が無い。
旅館の灯火が幾つか在るぐらいだ。
小雨まで降ってくる・・・

いつもながらの当てずっぽうで数分ほど歩いたが、
いまにも出雲大社に到着しそうだったので、
散歩中の地元おばさま3人組に尋ねると親切に案内してもらえる。幸運なり。

宿は、ユースホステルの『ゑびすや』さん。
時期によればドライアスリートで賑わうらしいが、
今回は女性数人&男性は多透ともうひとりのみ。

風呂は男女交代で順番に入る。
「今、女の子が入ってるのでちょっと待ってね」

ただ女の子であるというだけでドキドキできる歳でもなくなったのは辛いが、
延々と乗車して来た果ての風呂は心地よいぃ。

相部屋になった大学生は18きっぷで旅の途中。
人の縁とは不思議なのもので。
なんと、この夏、
多透と同じ日に『しまなみ街道自転車走破』を完遂していた事が判明!

やはり、しまなみ街道を自転車で攻めるのは愛媛側からが得策の模様。
彼は広島側から挑んで、坂道の向きにより、かなり辛い思いをしたそうだ。

旅先で旅人と話をするのは面白い。
自分の経てきた旅と、別の人生が別の時間で交叉しているという魅惑。
それを目の前の人からの言葉で聞き、感覚を更新してゆくのは実に面白い。
文字での疎通に埋没して見識を狭くしてしまう事を怖れる前に、
まずは生の言葉でのコミュニケーションを楽しみ続けてゆこうと再認。

二段ベッドは、なんだか長さが足りない気もするが、それもまた良し。
外は大雨になっている。ものすごい雨風の音が窓越しに伝わってくる。
思い返してみれば旅先で大雨に降られるのは珍しい。それもまた良し。

3:00・・・ 3:30 時間が流れてゆく。
灯りを消した部屋で音を消しながらiBookで小説を書く。

5:30になれば、玄関の鍵を開けてもらえる。
雨は既に止んでいるようだ。


20020917/000662
『ゆきゆきて神域』
1時間ほど仮眠し、5:30になった。
玄関が開鍵された気配。
女将さんが居られたので、御挨拶して外へ。

夜は明けている。
夜の雨で洗われた町や道が、朝の光に淡く光っている。

大人しい犬に会う。
土佐に土佐犬、秋田に秋田犬、ならばきっと出雲犬。
 
僅かに車が通りすぎる他は誰も居ない道を進む。
出雲大社までは一直線だ。
参拝の宿として、『ゑびすや』さんが程良い位置関係に在る事を再認。
長くも短くもなく、その道の先に在る入口が期待を伴って見える。

長い参道の入口に辿り着く。
遠くに、地元の人らしき早朝参拝の方が見えたが、
道の長さの中に在ると、独り歩く感覚は薄れない。

大晦日は、年越しの参拝者で大混雑となるそうだ。
少なくとも21時頃には並んでおかないと長大な参拝行列待ちとの事。
だが今は、朝の静寂の中に世界が在る。

松と杉の並木が凛と連なる。
視線を山へと向けると、朝霧が天と地の境界を淡くしている。

その光景を見た瞬間から、しばらくの間、右半身に淡い痺れを感じる。

元々、霊感などサッパリ無い身。
10年ほど前、熊野新宮速玉大社を参拝した時にも同様の事が在ったが。
論理的には前日の長時間座位乗車と寝不足による筋疲労が原因だろう。

されど、ここはひとつ、神様が、
『まぁ、なんぞつくりあげるといィズモ』と告げてくださっている事に。


20020918/000663
『ミギネジの法則』

信心の貧弱な身にも、それは解る。
一歩一歩と進むごとに、此処が神域だと染みてくる。

稜線の朝陽が展開する光の中、
静謐な大気の中、拝殿への道が、道そのものとして在る。
古代建築時遺構たる巨大柱の発掘穴が、
あっけらかんと開いているのも、なんだか実に道らしい気がする。

見上げれば、噂の巨大注連縄(しめなわ)が。
“もっと大きいと思ってた”が第一印象だが、
観察すればする程に、これ以上の大きさだと自重に耐えられないと納得。
縄目に賽銭を“投げ銭”して上手く突き刺されば運が向くという。

くれぐれもジャンプして賽銭を差し込もうとしないほうが良いのです。
・・・他の人の賽銭が落ちてきます。えぇ、その通りでした。
誰にも見られてなかったけれど、
拾い集めて平謝りしながら賽銭箱に返しました。はぃ。なにとぞ。

20020919/000664
『朝霧の空間連接』
朝のお勤め。
静かなる朝の中、神官が太鼓を鳴らす。

拝殿と本殿の周囲をぐるぐると回る。
森と生き物の匂いがする。

早朝参拝されている方々が幾人か。
日課にされているのだろうと解る程に慣れた足取りで。

朝の陽の中、空の色が刻々と変わってゆく。
朝霧が、色彩の流動を微細に動変化させる。

それらを観る事は初めてではないけれど、
澄んだ広さの中で見上げる神殿とその彼方の空に、
区切られているからこそ“外”へと広大に展開してゆく神域を認識する。

此処は神域の内であり外だ。

常の中でじようがじまいが、
識された間の中には住まうのだ。

荘厳の中で神の気配を認識し、
そうして日常の中へ帰還する為の機能領域として神域が在るのなら、
それはそれで良いのではなかろうか。



20020920/000665
『えんのじょうしゃ』
出雲大社は“縁結び”の神様んかいとして有名どころ。
その為、結婚の縁談祈願のイメージが在る。
されど、“人と人の縁”全般を対象とするというのが本来の在りよう。

自分は人と関わる仕事ゆえ、参拝も意義あろうというのが今回の旅意識。

実際、8月よりも参拝を経た9月のほうが収入大幅増加なのが面白い。
論理的には、気候が良くなった事が主因になるのだろうけれど。

誰もがしている程の努力は変わらず続けているつもり。
しかし、全てが自分の実力と直認識するのは諸刃の剣。
自律する為の認識と慢心の狭間をゆく振り子の自意識。

日常が神の意で操作されていると断言できる宗教観は無いのだけれど。
社会人のタシナミレベルの自己努力は認識しながらも、
全てを慢心に陥らせない為の緩衝装置。
そのような思考装置として寺社仏閣が在るのならば、
それはそれで良いのではないのか?

今までも漠然と考えてはいたのだけれど、
今回の旅では其れを今更ながらに実感認識できたのが面白い。


そうしてその日、出雲大社ほの参拝を終え、
バス停にて時刻表を見ると丁度2分前。
迷う事もなく日御碕(ひのみさき)への車中に。

誰も居ない朝のままに。
陽に冴える朱塗りの楼門、権現造り。
天照大神と素盞嗚命を祀る日御碕神社に詣で、
図々しくも御利益を願う。

無闇な程に意識が充実してきたので、
駆け上るように遊歩道を灯台へと向かう。
 

20020921/000666
『断崖ガイ』
観光パンフ等には、1周約1時間と書かれている事の多い日御碕遊歩道。
実際はもっと短時間で回れない事も無いのだけれど。
この解放された風景を駆け足では勿体ない。

日御碕神社の朱塗り楼門を網膜印象に残しながら、道を往く。

大小様々な岩礁が群居する中、頂に鳥居を持つ岩礁が在る。
経島(ふみしま)と呼ばれる其処は、
ウミネコの産卵・繁殖が行われる地である為、天然記念物に指定されている。
柱状節理の石英角斑岩が、ちょうど経巻を重ねたように見える故の名。
日御碕神社の霊域として古来何人も登るを許されぬ島。
上陸が許されているのは、神職とウミネコのみ。

ウミネコは既に彼方へと渡っており、空に舞う白色はカモメ。

朝靄の残る海面、断崖と松、青くなってゆく空、石垣の塀、
そびえ立つ眼前の白亜の塔。

それは明治36年4月1日に初点灯された日御碕灯台だ。
高さ約44m、海抜高約63mは日本一を誇る。
世界の灯台100選にも挙がり、石積みの灯台としては東洋一。

暗い岩盤色に立つ白色は凛としている。

螺旋階段を登っての景観も得たかったが、未だ7時半。
開館時間ではない。

白い石垣を回り、断崖に立つ。
眼下の奇岩の狭間には波頭が散り、
磯には釣り人達が長き竿を展開する。

膨大な熱量が海に冷やされて硬化した証が足元に周囲に在る。
柱状節理の精緻に感心しつつ、
造山運動と溶岩の古代を想像する。

地が固まってからの時代には、
出雲大社も、あの灯台より高くそびえていた。

海に視線を帰せば、巨大な空間が転がっている。
それが余りにも茫漠と在るので、自分と空との境界が朦朧となる。
事故や自殺が多いというのも、皮膚感覚で実感できた。

あまりに広いと平衡を失うという体感。
これが多透の近年に於ける旅の楽しみ。

ただ、口惜しい事に、
単に“広さ”の中に自分を置くだけでは得られない境地が在る。

虚構や既得情報で肥大固定されてしまったイメージを削ぎ落とし、
すっからかんな知覚で
“広さ”の中に自分を転がすのが醍醐味。


20020922/000667
『朝に立ちっぱなしの柱』
日御碕は、岩礁海岸である。
柱状節理をした石英角班岩の岩層から成る。
それが視界陸域のことごとくを占める。

節理は、海中にまで及んでいる部分が趣深い。
 
火山からの高温噴出物が冷え固まる際に、
温度の推移とともに体積が減少して割れ目が生じた事による、
“巨大なる空間の再配分”・・・
岩をも溶かす高温。その膨大な体積。
その存在が冷却される時、低温側と高温側の差異が規則的な割れ目を造る。
この規則的な割れ目を節理と呼ぶ。

五角形や六角形の幾何学的断面を持つ節理が柱状に並んだものを柱状節理と呼ぶ。
斜面を流れた溶岩は、自己の厚みと温度差で湾曲して複雑な
“柱の流れ”を造る。

朝の断崖には、まだ自分ひとりだけだ。
大の字に寝転がって、背中に地面を感じる。

巨大な海水に接触した
“巨大な熱”は、どれほどの熱雲を生じたのだろう。
どれほどの火山灰が高温のままに降り積もり、堆積したのだろう。
岩盤を形成する程の大いなる自重は、
その膨大な圧力で様々な成分をどれほど融かしたのだろう。
冷え固まるまでには、どれほどの長い時が必要だったのだろう。
風が削り、雨が削り、海が削り、
風化と浸食と崩落の果てに奇岩や断崖が外気に解放されるまでの時は?

風景を味わう意義のひとつに、自分の
想像力調律が可能という視点が在る。
論理機序を解放もしくは無視・拒否・無自覚のままでは
“空想”である。
それもまた意義を持つ場合も在るが、
情報と知識を
総動員した論理機序に基づいての“想像”こそ、
今の自分に意義が在り、愉快痛快。

これやから早朝フラフラはやめられん。


20020923/000668
『アームチェアから叩き出せ』
思い起こせば1年前。
1枚だけ残った『青春18きっぷ』を使う為、始発電車で城崎温泉へ。
その時、レンタサイクルで城崎駅から玄武洞まで走った。

玄武洞もまた柱状節理の名所。
ただひとり夏の終わりに蝉時雨と汗の中で見上げた、
断崖を埋め尽くす柱群。
その
“うねり”が持つ、豪烈な存在感。

日御碕は、玄武洞に比べて解放された景観を持つ。
玄武洞が、
押し迫る断崖ゆえに、自分と背後の空を意識させるのに対し、
日御碕は、
断崖の上に自分を置くゆえに、自分の上の空を認識する。

広き風景に優劣を断言するのは愚行。

それぞれに、それぞれの自己認識ができたら良いのだと思う。

玄武洞へ至る長い真っ直ぐな道で、
田園の平坦とカリッカリの陽射しの中、
視界すべての中で人影が“自分のみ”である事の認識。

巨大な空間球体内に独り立っているという痺れる如き高揚。

そうしてそれから
“広さ”を現実に体感する為の旅群を加速。

“広さ”は結局、自分の中に在るのだから、
自分を転がして拡張してゆくしかないという認識と面白さ。

これが在るのに、
出ずに居られようか

安楽椅子探偵には、当分なれそうにもない。


20020924/000669
『硝子船の乗客』
帰路高速バス予約時間の都合で、残存時間は中途半端だ。
日御碕でのんびりするか?出雲市駅周辺で徘徊するか?

「えぇぃ!乗ってしもたれ!」

日御碕バス停近くの港からは、遊覧グラスボートが周航している。
誰も居ない公園でアンパン食べてたら時間になったので、乗船ゴー!
・・・だが、
乗客は多透のみ。乗員は2名。
魚群の居るポイントに到達すると機関を停止して慣性航行。
貸し切り状態の
たった1名の為に、
船長じきじきに魚の説明を隣でしてくださる。
眼前に舞い踊るは青や緑の魚。
不勉強な為、見覚えの在るのはスズメダイぐらいか。カニも見えた。
贅沢感を通り越して、なんだかすみませんなキモチに・・・
ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・スミマセン。
でも、ありがとうございます。
雨上がりの朝にも関わらず、瀬戸内海では味わいにくい透明度。
泳ぐウツボが見えたのは嬉しかったです。
  
バス発券場兼土産物屋兼軽食店で、
女将さんか話を聞きながら、ひやしあめをいただく。350円。
そっか・・・
原料は麦芽水飴だったなぁと、久しぶりに再認しつつ味わう。

旅先で、地元の方々が、
当たり前に当たり前の生活をこなしておられるのを感じるのは嬉しい。
朝の散歩に出ておられる名も知らぬ方と挨拶を交わすだけで、
なんか元気をいただく。

出雲市駅へと続く沿岸道路は見飽きない。
綺麗な浜も在るので、いつか泳ぎに行きたいものだ。
レンタサイクルで駅から日御碕まで走るツワモノも居るらしいが、
勾配が続くので健脚向けと思われる。

途中、いわゆるひとつの廃棄された
“幽霊ホテル”が見えるので、
挑まれるのも良いかも悪いかも。

20020925/000670
『バス・オフ』
JR出雲市駅に戻り、高速バス窓口に。
キャンセル空きを確認。
これで1時間後に帰路につかねばならないかどうかが決まる。
前日の出発時にはキャンセル無しだったのだが、
この日になって2本後のバスに
空席在り
しかも、行きは4列シートだったのだが同料金で3列シート。

相変わらず行き当たりばったりの旅だが、
相変わらず運に助けられっぱなし。

いきなり4時間以上の旅先自由時間が手に入る。
動かなければ嘘だ。

出雲南方には
立久恵峡(たちくえきょう)という峡谷が在る。
其処へ行こう。行かいでか。
往復時間を差し引いても、90分以上は峡谷に滞在できる。

なにはともあれ峡谷行きのバスが出るまであと60分ほど。
駅周辺を、何時ものように当てもなく徘徊する事にする。
昨夜の豪雨が嘘のような晴天のもと、歩いて歩いて歩く。

空き店舗の目立つ長い長い商店街を抜けて広い道を歩く。
チリチリと皮膚を焼く日光の中、人影のとても少ない道。
大阪では数少なくなってきた昭和の風貌を持つ店が少し。
“完全閉店”の垂れ幕が掛かるサティの横を通り過ぎる。
幾つもの地方都市が抱える問題は此処にも在るのだろう。

身勝手な郷愁を押しつけてしまう事はもう、無くなった。

どんな町にも生活と痛みと喜びは当たり前に在るはずだ。
通り過ぎるぐらいで安逸に判断評価せずに感じて行こう。

・・・・・・・・感じるのはいいが、案の定、道に迷う。

広い空と太陽に教えられながら、真っ直ぐな道路を歩く。
だらんだらんな汗にまみれる。
眼前には見慣れた看板。古本屋チェーン店
『BOOKOFF』だっ!

しまなみ街道でも遭遇したが此の地まで来ても在るとは。縁か業か。
納涼と休息。
「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」の言葉は、
このチェーン店の定番挨拶だが、此処はひときわ元気がいい。
意図的にか、店頭スタッフが女性で統一されていて更に好感。
我ながら単純と思いつつも、
彼女らの言葉が棒読みで無い事が伝わってくるのだから。

つい、結構な重量の本を買い込んでしまう。
あと、会計時に“歩き旅”とバレる。
更に、駅までの道順を丁寧に教えてもらいったばかりか、
「がんばってくださいね!」まで言ってもらったりもする。

峡谷行きバスの発射時間が
迫り来る中、
重い本で増加した荷物を背負って15分ほど走る事になったが。
まぁ、それもまた良し。


20020926/000671
『谷の名は』
JR出雲市駅からバスで約30分。
バス停の表示が解りにくいが須佐行きに乗る。
表示島根県立自然公園
『立久恵峡』に到着。

神戸川(かんどがわ)に沿って奇岩・柱岩が1 km程続く渓谷。
ゆっくりと遊歩道伝いに散策。

“山陰の耶馬渓”
ガイドブックや観光パンフにおける、立久恵峡の定番の肩書きだ。
こういう肩書きを持つ地は結構在るが、どうにも居心地の悪さを感じる。

此処は、此処だ。
此処に在る何処かではない。此処そのものだ。
自分は、此処に在る何処かに旅してきたのではない。
此処に来たのだ。


借り物の肩書きは、結果的に過小評価に繋がる。
人間がその迷路に陥れば、
借り物を通してしか自己認識が出来なくなる。

名乗るなら自分を名乗るべきだ。

立久恵峡には立久恵峡の美しさが在り、それはとても味わえた。
だからどうにも借り物の肩書きが勿体ないと思いながら歩いたのだが、
いちばんの楽しみにしていた
“五百羅漢”の由来説明看板に、
“耶馬渓を模して”と書かれている事を目撃。

ぎゃっふ〜ん。

20020927/000672
『山に放る』
それでも美しさは、感じる側が発見する空間に満ちている。
 
「不老橋」「浮嵐橋」「酔潺橋」
峡谷に掛かる3つの吊り橋を順に渡り、川沿いの遊歩道をゆく。
周遊コースは約2.5km。時は未だ在る。

日常に於いて“名も知らぬ橋”や“気付かない橋”を渡っては居る。
けれど、存在を確実に認識して渡る橋は不思議に心地よい。

午後の暑い木漏れ日の中、自分より他に人影は無い。
風光明媚な地に独り在る奇妙と高揚。
  
道は整備されているが、岩壁が押し迫る場所も多く、
“先の見えない面白さ”の中を行く事が出来る。
やはり、山道はコレがなくては!


松の老木、河原への細い草道、蝉時雨・・・
貴重な植物群も多いらしいが、不勉強な為に不明。
されど、“森”という空間が抱く膨大な生命群を感じる。
この知覚と感覚が山歩きの楽しさを鼓舞するのだろう。
 
微生物と虫と植物が氾濫する地を、同様に命を抱いた川が流れてゆく。
寝不足と汗まみれにも関わらず、足が止まらない。

此処で紅葉や桜に染まる風景も良さそうだが、
降り積む雪の中で彩度を変化させた山水画の如き風景も見てみたい。

この先、自分をどれだけそういうところに放り込めるものか?

20020928/000673
『木立を抜ける蜻蛉』
  
杉の木立を見ると背筋が伸びる。
深ければ深い程に良い。
奥に抜ける空が見えない程の木々がつくる平行世界を、
光の群帯となって降る木漏れ日のつくる平衡の美しさ。
 
山の中というのは以外と音に満ちている。
にも関わらず、意識の水底に音が浸り沈黙の表層を楽しめる。

五百羅漢は、やはり趣深いものだった。
全周囲に在る静寂の中で、
そのひとつひとつに人間の手と心が関わっている現実を思う。
 
静謐なる道をすすむ。
苔むした石段を登る。
誰も居ない橋を渡る。
眼下に釣り人を見る。
 
滝を見る。
歩みを進めると、空気の変化を体感する。
清流の冷気が領域をつくっている。
不思議な程に領域を鮮明に感じたので、前後して探る。
木漏れ日のひとつを線分と突き止める。

真っ黒な体。
大きな翅は黒にも見えるが、近づくと深い藍色だと気付く。
蝶に見えるが歴とした蜻蛉。チョウトンボだ。

周回飛行するトンボを待つ間、岩に座る。

20020929/000674
『いずもの帰り道』
景観に合うように、ガードレールが茶色に塗られている。

峡谷に掛かる3つの橋。
その真ん中の橋近くの旅館では、露天風呂入浴のみを受け付けてくれる。
川の流れを見ながら残り時間を湯船で楽しむ。

こんなところですっころがってる時間もいいな。

それにはそれに至るまでに当たり前に動いている日常も要るのだけれど。
 
帰り、大山の近くで高速道路の上から、牧場の牛が見えた。

20020930/000675
『わくから和歌山』
今年2003年の夏は移動遊びの連続。
その夏のシメに、8月31日(土)〜9月1日(日)は紀伊田辺に宿泊。
『青春18きっぷ』の残りを使う目的もあったので鉄路で和歌山へ。

JR阪和線は以前に通勤で使っていた事もあるが久方ぶり。
そしてそのころよりも遙かに遠くへとゆく。

御坊や和歌山での乗り継ぎダイヤに留意しないと阪和線は手強い。
快速は使えたものの、
乗り継ぎの都合で途中の御坊駅でぼーっとしたり。
御坊から近い日ノ御碕で十数年前にしたキャンプを思い出したり。

大阪から僅かな時間で山と峡谷と海が見える路線は面白い。
海岸線を走る時間は多くはないものの、
遠くへと抜けてゆく空間が車窓に巡り現れて来る。

子供の頃は列車の窓から外を見るのが楽しかった。

通勤で列車を使っていた頃は、
窓から見えるその町を歩く時間の無さがもどかしかった。
窓には枠が必ず在るし、“広さ”と自分の間にも枠が在る。
世の中のことが少しばかり解ってきて、
自分という者が、
所詮は覗き穴から世界を感じている生き物だと知った頃から、
“今そこに在る窓の外”に出たくて歩きたくて仕方がなかった。

窓から世界は見渡せない。
歩いていても世界の全ては見渡せないが、動かず腐るよりマシだ。

同じ路線の列車で運ばれていても、
旅の中では“窓の外”への期待も意義も違ってくる。


20020031/000676
『扇の町』
JR紀伊田辺駅に降り立ったのは16時半頃。
夏の終わりの陽は未だ。

南方熊楠の生誕地という印象しかなかった。

初めての町なのに、
奇妙な既視感が在る。
駅から広がる商店街と町並み。
それらが
“昭和”の基本配置であるからか。

近年は自動車交通網発達の為、郊外へ大規模店が展開し、
駅を中心とした商業地区配置が崩れてきているそうだ。

しかし此の地では、駅から真っ直ぐに伸びる商店街が健在。
その真っ直ぐな道路を歩きながら、進行方向に空の広さを見る。

今回は
『扇ヶ浜ユースホステル』に宿泊させてもらう。
駅から徒歩で約10分という立地条件なので、迷わず到着。
有り難い事に無料でママチャリを貸していただけるので、
早速チャリンコ徘徊を開始。

海へ。

扇ヶ浜では、田辺湾に沈む美しい夕陽が見られるとの事。
今回は季節の関係で、遠くの稜線に夕陽を見る事となった。

かつては白砂青松だった砂浜も侵食が進み、砂利が多くなっていると聞く。
しかし、今も変わらず松林と穏やかな波は在る。
田辺市としても整備事業に取り組んでいるらしく、
護岸工事を施した公園が半ば出来上がっている。

一足飛びに空が拡大した。
堤防で釣りをしている親子が見える。

刻々と空の色が変化してゆく。
微細な連続ではあるが、決して止まらない。
未整地な地面を自転車で横切り、広い階段を設置された波打ち際に。
ペダルひと漕ぎごとに時間が緩やかになってゆく気がする。

サドルの調節をする際、自分の不注意で親指の背を怪我する。
5ミリほど皮がめくれただけなので、どうという事はない。
じわじわと血が染み出てくる傷口を海水に浸してみる。
階段護岸を設置した事で波打ち際の深みは増している。水中は見えない。


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