『大作戦日誌』20020301-20020331
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『カオナシくん』20020301/000460
2月21日、『千と千尋の神隠し』ベルリン映画祭金熊賞受賞の報。
以下は、難儀な旧友、ゴッコちゃん(仮名)との、
文通とはいえない程に殺伐としたメール交換の狭間で、
『千と千尋の神隠し』に関連した部分を抜粋したものです。携帯電話経由のメールも含む為、読みにくい部分は改行を付加。
他は検閲削除部分を除いて原文ママです。その為、
部分的に映画内容に関してネタバレな言及がありますので、
予備知識なしで映画を楽しみたい方は御注意ください。
『自分がアニメ誌買うような歳じゃなくなってるせいか、
権威が付いた事のへの共感も反発も感じないんよ。
不感症かぃのぅ?』「あんたはね、話に迷路が出てきたら良い話っていう性癖なだけ。
つまるところあんたは迷路とかの絵や構造が見たいだけとちゃうか?」『ぅっわぁ。すんごい認めたくないのに認めたい自分が居るよ』
「それ。話の軸が少し変わるけど、
そういう認める認めたくないっていう部分、
千と千尋の感想の肝になる時がある思う。
職場のオタクーズにはあの映画評判良くないんよ。なんでか?
あたしはね、
カオナシがオタクの嫌な部分示しすぎてて居心地悪いから
と思う。そう考えたら、なんか頭の中でスルーできる所が。」『まぁ、
“カオナシはみんなの中に居ます”と監督自身が語ってはるし』「なんかそれ以前の話。
うまく言えないけど、カオナシって、
橋の上(社会)で人の流れについてけない。
自分から声をかけることができない。
女慣れしてないから、
ちょっと親切にしてもらっただけで恋だと錯覚する。(ここ重要!)
虚勢をはってしか他人に接することができない。
虚勢のネタの黄金も結局はにせもの。
逆ギレ。暴力。
(他者を飲んで)他人の言葉を借りてしか話ができない。
自分に自信が無いから物でしか気をひこうとできない。
正面から正論でこられると対応できない。
自分の言葉で話せないから黙ってるばっかり。
そういう自分がぜんぜん自覚できてない。
自覚することからも嫌がってる。逃げてる。
結局権威には従順。
外に出ると自信がないから臆病でおとなしく他人についていくだけ。
創意工夫のいらない単純作業を与えてもらったらできる。
結局話の主役になれなくて忘れられる。なんかそういうの、ネガティブなオタク像そのものやん。
自分に自信の無い奴ほどビクビクしてるやん。
それにそういう自分から目をそらすのも得意。そうしないと怖いから。
でも皮膚感覚でそういうのを匂わされるのも生理的に嫌だから、
そういう比喩のある話は認めたくなくて、
阿呆みたいに萌え萌え言えるアニメのほうがよくて。
でもそういうふうな人間が実在してるのも知ってるけど、
オタクだけに限ったものじゃないのも知ってるけど、
自分の中にあるそういう部分から目をそらして、
オタク像にターゲットをしぼってる自分もなんかいごこち悪いねん。」『そりゃ、結局、おまいさんが健康な証拠やん。
自信が無い時ほど、ちっちゃいマスでしか考えないのが普通やもん。
上への視点を忘れたフリとか本当に忘れて、
自分より格下と自分が思ってる同列者への卑下のなすりあいの輪を、
ちっちゃくグズグズ回ってるだけな事にも気付いてない。
だから、そういう風に多層的に見れるのは健全と思う。
俺は自分がそういう落とし穴にハマってたと思うし、
それで人生すんごい無駄にしてきたなぁと思うし、
今現在も抜け出せてない部分が確実に在ると思うからよぉ解る』「そうゆうふうに返すあんたがいちばん嫌い。」
以下、殺伐とするので検閲削除。『WHF神戸11参加申請』20020302/000461
『鋼鉄の狩人』
ノンスケール 肩高約10cm 部品数21 2500円
レジンキャスト組み立てキット 販売予定数5個
『レトロ宇宙服娘』スグミ・ツゴイネル(仮名)
ノンスケール 約10cm 部品数1 2000円
レジンキャスト製未塗装一体成形 販売予定数5個『運動場の真ん中へ行こうと彼女は』200203003/000462
【1月3日】(9)
先日、厳冬の中で送電線の管理・補修をする、
電力会社の方々のドキュメンタリーをTVで観た。積丹岬の在る町、入舸は、やはり雪だった。
誰も居ないバス通りが、見えない遠くまでずっと続いている。自分が抜け降りたバスが行ってしまうと、
雪の町にただひとり取り残されたようだ。
昼下がりだが、それがよく解らないぐらいに曇り空。このまままっすぐに行ければ、
崩落事故でトンネルが埋まってしまった神居岬方面。
しかし、バスの運行が冬期で制限されているので、
そこまで行くと帰り着けなくなる怖れがあり、計画から外した。十代の頃、どうにも、電線の在る風景が嫌な時期があった。
空が分断され、喰われているようで、息苦しかった。それは青臭い自己暗示だったのかも知れない。
そう思う事で、そう思える自分が欲しかったのかも知れない。当時の彼女と、誰も居ない冬のプールに忍び込んだのもその頃だ。
地下街に潜るのも息苦しくて、広い所を何時も欲していたし、
欲している自分になりたかったのかも知れない。いつの間にか、電線は気にならなくなった。
行動範囲が広がったぶん、
空だけの風景に会いやすくなったからだろう。
それに、自分自身に対して、そういう自己設定を課さなくても、
ただ単純に自分を旅先で動かせるようになったからかも知れない。今では、
旅でもしなければ、生涯たどり着く事もなかったような遠くや、
住んでいる人の顔も解らないような静かな町で、
電線を見ると、「ぁあ、そうか」と素直に受け止められる。“そこに人が営みをしている証”として、
電線を見る事が出来るようになったのだと思う。電線は、人が張るものだからだ。
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『上京新時代』200203004/000463
夜行バスで大阪から上京を画策した時、
選択肢のひとつに『近鉄バス』が在る。
http://www.kintetsu-bus.co.jp/八王子に行く『トレンディ号』(片道8,250円)・・・
横浜へ行く『ブルーライト号』(片道8,230円)・・・
そして、新宿へ行く『ツィンクル号』(片道8,610円)・・・だが、ここにきて、新たなる機体が出現する事となった。
その名も『カジュアルツィンクル号』!!
なんと、片道4,800円という破格値だ。『ツィンクル号』が2階建てバスであるのに対して、
『カジュアルツィンクル号』は普通の観光バスタイプ。
そこに価格差の謎が秘められているのに違いない。双方とも車内トイレは在るものの、
『カジュアルツィンクル号』には、
飲み物・おしぼりサービスは無し。武装も無し。『ツィンクル号』が独立シートが3列に並んでいるのに対し、
『カジュアルツィンクル号』は2人掛けシートとの事。
ここに機体の秘密が隠されていると専門家は分析する。居住性に格差は在るものの、
乗用車や列車で眠れる程度のサバイビリティが在れば、
これっぽっちも問題ないであろう。
大丈夫、キミはタフ・ボーイ。隣りにスモウレスラーが来られるとタジタジだが、
もしかしたら、
たまたま隣り合わせた美女スパイとロマンシングアクションだ。恋の花咲く事もある。(かもしれない)
『シャコタンジャロの雪』200203005/000464
【1月3日】(10)
白に染まった町では、方向感覚が狂う。
人家の在る場所でさえこうなのだから、
多透のような素人が雪原に取り残されれば命に関わるだろう。町は、十数軒ほどの家々が集まった集落だ。
駐在所が見える。5分ほど、沈黙の町を歩くと、ただひとりだけの人影が見えた。
自宅前の雪かきをしていた老婦人だ。
『こんにちは、実は、積丹岬に行きたいんですが、
・・・何処から登ればいいですか?』
「え? 今から岬へ行くんな?!」ウニの旬でも海水浴シーズンでも無し。
とにかく、この時期に岬へ向かう観光客は珍しいらしい。親切に、順路を教えていただく。
とにかく、町の横にそびえる
目測で百数十メートル程の山に登らなければならぬらしい。登り口を間違えていたら難儀な事になっていただろう。
http://mapbrowse.gsi.go.jp/cgi-bin/nph-mm.cgi?mesh=6540031&res=0
登りだす前に、ふと振り向くと、
老婦人が、最後の雪山を用水路に流したところだった。
実になめらかな動作で、当たり前の仕事をこなしている。
こればかりは毎日動かさないと、下層の雪が凍ってしまい、
その硬さで動かせなくなってしまうそうだ。
道は広い。道は白い。
、吸い込んだ酸素が、口腔内に鉄錆の感覚をぶちまける。
凍ってしまう前に、動けるだけ動こう。
また、吹雪がくれば、どうしようもない。間違いなく、スキー場に出来そうな山肌を登る。
途中、季節によっては開くのであろう売店が在ったが、
まっっったく人の気配が無い。いい感じだ。
人波の中を歩く事は苦にならなくなってきたけれど、
ただひとりの半径が広くなってゆく感覚は何処かが高揚する。
誰の足跡も無い雪道は、膝までの深さが当たり前だ。
風に吹かれて雪が薄くなっている道の真ん中は、
凍結した路面で歩行不能だ。
連続した状況判断で、登り易い雪の深みを判断してゆくしかない。雲の動きが早い気がする。
曇り空の合間に、鮮烈な青空が覗いては隠れる。
雲で遠近感が狂うが、上空はるかで、かなり風が吹いている気配。『パラパラマンの雪山』200203006/000465
【1月3日】(11)
速く遠くを動く雲は、
パラパラ漫画のように白と青を点滅的に見せる。
まばたきをすると、自分でつくった黒も混ざる。
単純で、自生して自然消滅する短編映画の様だ。
映像文化の中で育ち、暮らしていると、
良くも悪くも妄想のフレームを手に入れている自分に気付く。たとえば、こうして、
誰も居ない雪の斜面をただひとり登る時。
20メートル後方から見た自分や、
20メートル上空から見た自分を、脳内に投射する事が出来る。勿論、何もせずに、何処にも出かけずとも、
既製品の映像イメージを盗用して自分を投影する事は出来る。だが、それは、
少し意識を外しただけで簡単に終えられる代償行為だ。多透のような人間は、簡便であればあるほど、
その怠惰の中に埋没してしまう。
だから、こうして、足の沈むような深い雪道を歩いて、
初めて実感できる事が多い。普通に歩くという行為だけでも、
周囲の現実を認識し、リアルタイムに更新し、
リスクを認識し取捨選択し回避して前進する行為の連続であるという、
ただ単純な事実を実感する。
表層を否定するだけでオトナだと思えていた頃ならば、
こういう思考点に居る自分さえも笑い飛ばしただろう。
情報として知ってはいても、
実際に手足を失った方々と出会った事もなかった頃は、
誰も居ない広さの中に自分を歩かせる事も無いままで、
人混みに息が詰まるとうつむく事が自分の色だと酔っていた。
妄想だけで満たされるのなら、それはそれで仕合わせなのかも知れない。
けれど、
自覚するという事を覚えてしまい、
そして大勢の、物理的・精神的に動こうとしても動けない人達と出会い、
そしてその事情も現実も知ってしまっている今、
動かない自分を羨ましいなどとは、もう思わない。
トンネルが、見えてきた。『必勝!ゾンビハンター』200203007/000466
たとえば、先日書いた“今はもう会えない友人”の話でも、そう。十代なら、
そういう“失った”境遇を得た自分に酔うことも出来ただろう。
そういう“かわいそうな自分”や、
そういう“それを乗り越えてる自分”的なものを、
自己憐憫とひけらかしで公示する事も出来ただろう。喜びも悲しみも、相対的で客観的な部分を厳然と持っている。
多透のように未成熟な精神ほど、悲劇にさえも酔ってしまう。結果、
何もつくりだせないばかりか、周囲にさえ迷惑を掛け、
失うばかりの日々が来るのを回避する精神力を、
そして生きるエネルギーそのものをも摩滅させてゆく事になる。人と会う仕事をしていると、よく勉強させてもらえるのだが、
悲劇も、悲劇的なものも、悲劇だと思い込まれているものも、
世界にも、平和であるこの国にも、厳然と存在しているのだ。
生きている事の、ただ単純な幸運。
それを認識できる幸運もまた所持している以上、
ちいさな枠で、自分が悲劇と思い込める程度の状況に酔うのは、
愚かな停滞でしかない。有名な観念で、“死人は無敵”という様なものが在る。
現実の欠点は更新される事なく、
理想像だけが純化されてゆくという考え方だ。それは、解る。
けれど、それで停滞しているだけならば、死人に対して無礼であろう。
死人に勝つ方法など、幾らでも在るのだ。『ヨモツヒラサカイフヤサカ』200203008/000467
【1月3日】(12)
積丹岬への道を登ってゆく者は、道の上でトンネルに出会う。
山肌に、唐突に開いた感のある“それ”は、在る。
照明も無く、ゆるやかに曲がっている。
通路の先は暗くて出口も見えない。
凍り付いた通路が、その白だけで鈍く明るい。
それを通り抜ける事で、
切り立った頂点を越えずとも、
凍り付いた通路を、歩いてゆければ、
“向こう側”へ辿り着く事が出来る。
トンネルの事は、事前に知識として知っていた。
しかし、入口から出口が見えているような、
その程度のものだという先入観が、恥ずかしながら在った。
通路の高さは、3メートル程度。幅は2メートル少し。
トンネルの全長は、30メートルほどは在るだろうか?
それでも感覚的には100メートル以上は在るようにも思えた。
先の解らない道というものは、実に面白い。
信貴山に在る地下回廊など、宗教的な意味で暗がりを歩く事例が在る。
それは、胎内回帰や仮想の死や仮想の再生に繋がるのだろう。
また、人格改造セミナーや疑似宗教等でも、
失意や暗黒を故意に強制し、その先のフォローで多幸感を強調し、
権威付けや隷属や性格矯正を得ている事例が在るのも、興味深い。
初めての地に旅をし、
初めての雪原を歩き、
初めての斜面を登り、
初めての通路を知り、
出口の見えない暗い道を歩く。
旅の空気の中で、その状況は、
あまりにも象徴的で多弁に思えた。
そして、象徴的に思いたくもあったのだろう。
これは、自分の旅なのだ。『アニーよペンをとれ』200203009/000468
【1月3日】(13)
積丹半島には二つの有名な岬がある。積丹岬と神威岬だ。
神威岬の語源たるアイヌ語“カムイ”が、
“神”であるのは昨今において有名だが、
この神は“荒ぶる神”を指し、
本来は“魔”と訳すべき意味合いをもつものだそうだ。
妖怪漫画『うしおととら』にも出てきた、
旭川近郊のカムイコタンも同義の語源を持つ。
これらの地は古来から交通の難所であり、
自然に対する畏怖を込めた命名であった事は想像に難くない。積丹の語源は、以前に書いた通り、
“サク・コタン”つまりは“夏の部落”という意味を持つそうだ。
そして、積丹岬自体のアイヌ語呼称は“シリパ”・・・
これは“岬”そのものを指し、“海へと突き出る山の頭”の意だ。
このように地形そのものを呼称としている事実には、
アニミズムを大きく感じる。アイヌ語がアニミズムを基調としている事を、
情報として知ってはいた。アニミズムとは、精霊崇拝・霊魂信仰などとも訳される。
万物に霊魂(アニマ)や精霊などの霊的なものが遍在し、
自然現象をはじめとする諸現象はその作用によるという世界観だ。
宗教の原初的形態とされ、
日本では“八百万(やおよろず)の神々”という呼称も在るように、
現在においても希釈されながらも根付いていると感じる。
多透は、詳しくもないし信仰しているというほどでもないのに、
なにやら大好きだ。先の見えないトンネルを歩きながら、思い出した。
子供の頃、道端で立ち小便する際に唱えていた言葉。
「ミミズの神様ごめんなさい」広く厳しい風景の中に自分を置いていると、
アニミズムというものが淡泊な情報ではなく、
異質な現実感をもって肌に来る。
冷気に触れている顔面だけでなく、
防寒着に包まれて寒さを感じない部位にも来る、
奇妙な痺れ感。手前味噌だが、小説に、
そのような基調を持つキャラクターを出演させるにあたって、
今回の行動経験は少しばかりのプラスになる・・・かも知れない。それにしても、皮膚感覚になにやらピリピリときていた。
氷点下の風に吹かれているのだから、当然なのだろうが。上手く言えないが、“居る”というよりも、
ただ当たり前に“存在する”という感じだ。靈的なものも、自分という血肉の塊も、手つかずの自然も、
ただ、あっけらかんと存在している感覚が、
実に面白かった。
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『知らない向こう側』200203010/000469
【1月3日】(14)
トンネルを抜けると、
空が在った。
先の写真の山頂付近まで、
百数十メートルを登った場所。
其処に在るトンネルなのだから、
当然と言えば当然だが。
よくもまぁ、こんな場所に、
通路を考え、作り上げたものだ。
急激な斜面が眼前に在り、
そのせいで、
唐突に、
空と海が視界を支配した。
少しばかりの平地は在るが、
断崖に出てきたという実感だ。
急角度に、
眼下の海岸へと道が続く。
先刻、登ってきた道よりも、
明らかに勾配がきつい。
全てが足跡も無い雪で覆われて、
その、
沈み込んでしまうだろう道は、
落下するかの如き角度で、
待っていた。
風と潮の音が連綿と在りつづけるのに、
毒々しい程の静寂が在った。
登りに、思ったより時間を取られた。
次のバスが来るまで90分ほど。
考えれば、昼飯も食べてない。
どうするか?
此処を降りて海に触り、また登ってくるか?
もう少しを登って岬の突端にゆくか?
それとも此処で引き返すか?
誰の命令も無い。
休むも進むも決めるは自分。『未確認渚確認行』200203011/000470
【1月3日】(15)
されど、深く悩むことも忘れて、海への道を降りる。
案の定、雪が深い。もっと、地面が見えている斜面なら、
“コケる前に跳んで進む”という手段も在る。
一般的運動能力を持っていれば、意外と出来るものだ。
富士山の荒涼とした山頂付近で行われる社会人駅伝では、
この技巧の進化形で競う姿を見る事が出来る。だが、雪国素人の悲しさ、初見では深度が推測できない。
転落防止柵にしがみつくような情けない格好で、前進。
柵に近づく程に深みが待っていたりするから暗示的だ。されど、急角度を遅々と進むのにもすぐに飽きて。
結局は強制的に踊らされるような格好で滑降三昧。
深い青が、だんだんと近づいて来る。この島武意海岸は、
“日本の渚・百選”にも選ばれた景観地だと聞いてはいた。
後から知ったのだが、季節によっては、
この急角度な小道の周囲が、お花畑状態だという。
どちらにせよ、この世の風景らしくない。
白と青が点滅するように入れ替わる空を背景に、
膨大な数の海鳥が舞っている。
それなのに、風と波の消音効果で、
ひとかけらの鳴き声も聞こえないのだ。
大袈裟な言い回しではあるが、その日その時、
冷気と緊張と高揚のせいか、その風景が持つチカラのせいか、
自分が、
何処でも無い場所に降りてゆくように思えてならなかった。『ヨッシーはつむじ風』200203012/000471
【1月3日】(16)
海への道を降りてゆくと、
荒々しい海岸線には、近く遠くに巨岩が見える。
観光情報に書かれていた伝説は、みな、陰鬱なものばかりだ。
『悲運の公達、源義経は北へと逃れた。
その義経を強く慕うアイヌ首長の娘チャレンカ。
苦難の旅の果て、乙女がやっと辿り着いた神威岬であったが、
義経は既に平取へと旅立った後であった。
思慕と追憶の痛みに耐えかねたチャレンカは
「倭人の船、婦女を乗せてここを過ぐればすなわち覆沈せん」と、
呪詛の言葉を残し海に身を投じてしまった。
その体はやがて岩と化し“神威岩”となった。
以来、女性を乗せた船が通ると必ず転覆し、陸海交通の難所となった。
そうして、神威岬は女人禁制となったのである・・・』『頼朝に追われ蝦夷地に渡り入舸にたどりついた源義経一行。
この地で、義経が恋におちたのはシララというアイヌ首長の娘。
しかし、
時代と共に生きる若き公達たる義経は己の野望を抑えきれず、
満月の夜船を出す。
その姿を見たシララは海に向かう岩を渡り、積丹岬にて狂い泣き、
そこに立ちつくし・・・ついには岩と同化するように化身してしまう。
その、立ちつくす巨岩が“女郎子岩”、別名シララ岩である・・・』・・・・・って、
義経っ!!
歴史の一級資料『吾妻鏡』に記載されている定説としての義経の最期は、
1189年に奥州は平泉の衣川で藤原泰衡の軍勢に攻められ自刃。
されど、この時死んだのは義経の影武者、杉田太郎行信であり、
実はッ!義経は生存しており、
実はッ!立ち往生しなかった弁慶ら腹心の家来を連れて、
密かに東北を北上、蝦夷地へ逃れ・・・
やがて大陸に渡ってジンギスカンになったという説も有名。徳川光圀(黄門さま)編纂の『大日本史』では、
「世に伝う 義経衣川の館に死せず 逃れて蝦夷に至る」と、
記されているとか。高木彬光の『成吉思汗の秘密』が出版されたのは昭和35年。
当時、東北北部と北海道で義経観光がブームとなったそうだが。
そんな最近にこじつけられたにしては、
東北から北海道にかけて、
義経や弁慶に まつわる岩・石・洞窟・山・神社・屋敷・・・
色恋話・女をフッた話・・・など等が、
あちこちに既に存在しまくりだそうだ。
好きなのか・・・みんな!成吉思汗は「次に来る旅人のために泉を清く保て」と言ったそうだが、
もしも同一人物説が命中だとしたら、
女関係で“発つ鳥 後を濁しまくり”というのは如何なものか?『白色幻影鳥』200203013/000472
【1月3日】(17)
降り立った海岸の名は、島武意(シマムイ)海岸。
島武意は、アイヌ語の“シュマモイ”が語源とされる。
これは“石の入江”という意味で、
その名に違わず無数の石が乱在する入江だ。初夏にはエゾスカシユリが咲き乱れるそうだが、
到達時は、雪と波頭の白と、石と波間の黒で彩られていた。
上手く伝えられる文才が無いのが実にもどかしい。
“道央の秘境”と呼ばれる場所は幾つか在るらしいが、
伊達に名を連ねている訳ではない事実が脳と皮膚に響いた。海水の透明度が元々高いせいなのか、
色彩の無い鮮やかさの中に、時々、
奇妙に毒々しいまでの青い海色が幻視の如く垣間見える。
色相のずれた万華鏡の中に放り込まれた様な気がした。
北海道に着いてから資料を読んで知ったのだが、
神居岬方面には、“西の河原”という霊場が在るそうだ。
近隣までの自動車道と海岸までの歩道が開通した数年前まで、
徒歩で4時間も道無き地を歩かねば辿り着けなかった場所らしい。
今でも難破船・お堂・石積みが並ぶ空間だそうだ。その名は、地蔵菩薩の仏教説話を思い起こすが、
本来、“岩石に覆い尽くされた荒涼地帯”という意も在る。今、こうして立ちつくしている場は、
明らかに“其処”と連なる地である事が実感できた。思えば、昨年の正月休みも、母の郷里の山に登り、
半径1キロ周囲に誰も居ない状況を感じた。
しかし、今回は、誰かに会おうとしても、
再び、障壁のような急斜面の雪道を上り下りなければならない。
厳然と障壁隔離された空間に独りなのだ。白と青が点滅するように入れ替わる空を背景に、
膨大な数の海鳥が舞っている。
それなのに、風と波の消音効果で、
ひとかけらの鳴き声も聞こえないのだ。
沈黙と冷気と隔離効果の為か、
強烈なまでの異界感に射抜かれた。なるほど、これが“境界”なのかも知れない。
無数の鳥たちが、強風に乗り、強風に吹かれて舞っている。
その時、実に当たり前で単純な事実に気付いて笑った。
そうだ、もしも、ここで行き倒れたのなら、
狩られるのは自分なのだ。旅の記憶で真に在り、そして旅人にとって真実なのは、
時と共に薄れ霧散してゆく記憶そのものなのかも知れない。
そう思い、あまり旅先で写真を撮らなくなってきたのだが、
今回は思い直して、青森で使い切り写真機を買っていた。『ジョウド・ロウ』200203014/000473
【1月3日】(18)
雪に浸された石達の上に立ち、水平線を見る。
地図を知っているのに、“果てしなさ”を覚える。
ウミネコやカモメとは明らかに印象の異なる、
濃紺の鳥が居るのが見えた。
後で調べてみたが、シノリガモかも知れないと思う。
断崖には洞窟が多く在り、蝙蝠の生息する穴も在るという。
季節が合えば、
岩礁に、トドやアザラシの大群を観察できるらしい。
かなり楽しみにして行ったのだが、少し時期が早かった様だ。
迂闊にも、双眼鏡を忘れたのが悔やまれる。
基本は肉眼視といえども、世界はレンズで拡大される。
人生に魚眼レンズが在れば、しあわせだろうか?
見上げた真上を飛ぶ、大きな鳥が見える。
空の高く遠くで在りながら、両翼長は1メートル程にも思える。
あれが噂のオオワシかオジロワシだと直感する。
他の鳥達と、明らかに威厳が異なる。天空の覇者。
肩部・・・翼の前縁が白いのがオオワシだと知ってはいたが、
空の白に溶け込んで判別が出来ない。
あの者は、己が絶滅危惧種である事を苦悩するのだろうか?
あまりにも威風堂々と飛ぶ姿は、鮮烈であるが故に、
記憶の中で現実感が無い。
その風景の中で、目に見える動く命である鳥達ですら、
この世のものではない気配に満ちていた。
頬を、全身を抜けてゆく、風浪の強さ。
沖に、岸に、潮流がまともにぶつかる気配が在る。
素人でもその荒々しさを感じるぐらいだから、
船の難所とは真実だと実感する。
“西の河原”とは“西の端”と云う意味も併せ持つ。
つまり、これより先は無い・・・言い換えればこの世とあの世の境。
浄土 ・・・仏が住む欲望や苦しみのない世界・・・
釈迦の西方無勝世界、弥勒仏の兜率天、阿弥陀の西方極楽浄土・・・
穢土 ・・・汚れた国土・煩悩に満ちた世界・凡夫の住む現世・・・
または、糞の意・・・
自分は凡夫であるから、その明確な境界は解らない。
だが、斯様な風景の中に、人は境界を見るのだと、霧感する。
色彩かも知れない。
即時に変転し続ける雲と波の流動。
是非を問う者も居ない。
空海の境目が解らないぐらいに白と黒と青が溶け合う空間。
限定された色彩境界線の美しさの中で、
自己という認識境界すら希薄になっている自分に、
愕然とする。『思考氷河期』200203015/000474
【1月3日】(19)
地球温暖化により、
幼き日に科学読み物で知った“地球氷河期再来”は遠くなった。
しかし、雪舞う海岸に独り居ると、
その頃に夢想した“氷河期にただ独り幻想”が奇妙に近くなる。脳内思考の枝葉が加速的に霧散する。
どんどんと、ただの1本に近づいてゆく。
この大風景の中、あまりにも矮小な自分を俯瞰から見るようだ。
そしてそれは嫌悪でも恐怖でもなく、
不思議な安心感をもって思考が零に加速してゆく。個と全。
自分という世界と、周囲宇宙の世界。
ただ単純なる、世界の対峙。緊張し身構えするよりも前に、ただ当たり前に、
世界が周りに在り、内に在り、外に在り、自分が在るのが解る。その境界線が、溶けるような快楽が在る。
この、風景。
此処に、居つづけたい。
しかし居てはいけない。
自分で動かないと、凍ってしまう。『サトリ大戦』200203016/000475
【1月3日】(20)見知らぬ北の大地に旅し、
雪の町を歩き、
吹雪の中を走るバスに乗り、
雪山を登り、
山上を貫く地下通路を抜け、
雪の急斜面をくだり、
誰も居ない荒涼の海岸に立つ・・・フフフ・・・
こりゃぁ、ここまでくると、あれですなぁ!
こぉ、
天啓とか悟りとか、
如何にも“来そう”な状況ですなぁ!こぉ、お気楽旅行記とはいえ、
ここでそういうのんが“来る”ほうが、
なんか“物語的”にもマトマリが良いとゆうものです。このステキなロケーションが、きっとボクにチカラをくれるヨ!
大丈夫です。もうなにもしんぱいすることはありません。来ますぞぅ!
お釈迦様も悟りを開いたのは35歳だったそうだしっ!
【評】すごい人を知っているからといって、
あなたがすごいとはかぎりません。
サテ、
それはそうと、今、何時?
安物の懐中時計を引きずり出しマス。ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!
時間という、厳然たる事実。
“次のバス”まで、あと、わずか15分・・・
『吹雪の予言者!ブリザドダムス』200203017/000476
【1月3日】(21)ちょっと、迷った。
15分後に来るバスを逃せば、次は90分後・・・だったと思う。
曖昧な自己記憶を信頼し、もぅ少し此処で妄想しておくか?
曖昧な自己記憶を超越し、全速で山越えしちゃいますか?どうするか?
山上まで戻り、
そこから尾根沿いの遊歩道で岬の先端まで行くか?
勿論、遊歩道は、雪の無い季節用だが。防寒着のお陰で、寒さは大丈夫だ。そう思い込む事にする。
100円ショップで買っておいた安物温度計は零下6度。
風速が1m/s 上がると体感温度が1度下がるらしい。素人の体感なのであてにはならないが、
観葉植物の鉢植え等がひっくり返るのが風速10mらしいので、
そのぐらいの突風は時折吹いていたように思う。
流石に、風に吹かれると顔面が痛い。
しかし、悪寒は無いので、
少量ならば、雪を食べられない事もない。
ただ、面白い事に、
この気温になると、
使い捨てカイロがまったく機能していない。
よく揉んで、内部の鉄粉と酸素は接触している筈なのに。
低温で化学反応が鈍重になっているのか? 不思議。・・・ハッ!
よくよく考えれば、
此処に来るバスに乗っていた時のような吹雪に遭っていない!
よくよく考えれば、
素人のクセに、今回、まだ1度も雪上で転倒していない!・・・もしや、今日の俺はツイているのでは・・・?!
【評】天候は貴方の運と因果関係を持ちません。
あと、短期情報だけで早計すると色々と。海は、変わらず荒々しい永劫運動を繰り返していた。
鳥は、変わらず神々しい空を舞い続けていた。まぁ、なにはともあれ、登りはじめてみる。
「に゛ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!!」
突・風・襲・来!『狂い咲き数の子ロード』200203018/000477
【1月3日】(22)
急斜面は、登るよりも下るほうが楽だ。
測定方法によって、
重力定数は0.1パーセントぐらい異なるらしいが、
高重力の氷河惑星に転移させられているような感覚だ。雪山登山家の体力が尋常なものでない事が濃厚に推測できてきた。
登りの途中で吹雪かれると、なおさらだ。
吹き飛ばされたり、足を踏み外すほどではないので、
遅々と進む。それでも、枠曲した道と入り江の地形効果なのか、
ふわりと風が柔らかくなったり、遠くに青空が見えたりする。
その青空が、実に現実感が無く、遠い絵のようだ。
異界というものは、
曖昧な認識が作用すれば、すぐ近くに来るものかも知れない。
そしてそれが面白いものだから始末に悪い。ネガティヴイメージとしてのオタクがよく揶揄される例に在る。
各方面にアンテナを向けているようでも、実は、
希釈・改変された2次3次情報以降に目を向けているに過ぎず、
俯瞰できているつもりの世界が抜け殻である事に無自覚。多透のような愚鈍は、結局、
不格好に体感していかねば世界を自覚できないのだろう。冷えた酸素がクチの中で錆の味を全部にするのにも慣れた頃、
やっとトンネル地点まで登りきった。
残り時間、8分。ぉや、意外と良いタイムで登れたものだ。
このまま全速でトンネルをくぐり抜け、転がるように山を下れば、
ステキなタイミングで間に合うのではないのんか?!
やはり、雪中行軍に素人である自分を痛感した以上、
無謀と冒険の境界線を認識し、ここは撤退が得策か?
いゃ、しかし、せっかく此処まで来たのだから、
可能な限り“この果て”で徘徊するほうがカッチョ良いのんでは?よし、まずは、
この暗き通路を抜けて“向こう側”へゆこう。余市駅の売店オバサマの話によると・・・
明治時代、隔離された海岸からニシン漁の成果を運び出す為に、
最初のトンネルが掘られたとの事。そうか・・・カズノコか・・・
その当時からの収益を推測すれば、
斯様に交通難な場に人家群が在るのも納得できる。
ぉお、出口の光が輝いている。
逆に、海側の出口は、もぅ、見えない。
空の鳥、海の魚、海路を通うものも、もはや“向こう側”だ。
“この世の果て”と呼ばれる場所は、世界に数多く在る。
自分は、その無数の中のひとつに辿り着き、
自身の時間に・・・刻印できたのか?
ならば、この暗き通路の向こう側には・・・
帰り着き、そして生きてゆかねばならない現世が・・・『純白シーツをくぐるように』200203019/000478
「無念の涙を飲んで ひきかえす私が
ふと振り返ったとき
山が笑っていた」
ファントム・フランクリン・ハーロック 『スタンレーの魔女』より
比喩ではなく、具体的にひっくり返りながら、
ぃや、むしろ、滑落と表現したほうが的確なソレで。
私は、どうにか、ふもとまで辿り着いたのだった。
自業自得の自転車操業で手に入れた生きている実感を胸に、
幻影のような遠い青空を、ふと振り返ったとき、
膝が笑っていた。『鋼鉄の狩人』200203020/000479
【物語】緑色の未来・・・
肉体と精神を凍結された少年が、長き眠りから目覚めた時、
“世界”は巨大樹木群に覆われていた!国家・文明は崩壊し再構成された世界で、
少年は新たなる人生を生き抜かねばならなくなる。“疑似生体有機脚”(サイバス・クローラー)・・・
それは、樹上生活そして戦闘に適応する為に発達した機体群。硬質樹木を構造材にしたサイバス群は、
“森賊”に使われる時、暴力の象徴ともなった。だが、巨大密林を疾駆し、
戦闘行為そのものを“破壊”する、稀少金属製サイバスが1機。
この、“何者にも支配されざるサイバス”を、
人は“鋼鉄の狩人”と呼んだ・・・今・・・
“少年”と“狩人”の運命が交錯し、冒険が駆動する。
『鋼鉄の狩人』単行本データ
【著者】長谷川裕一
【発行】大都社
【発行日】1998年5月8日 初版発行
【定価】本体価格880円+税
【ISBNコード】ISBN4-88653-437-6
【収録作品】
『鋼鉄の狩人』
Vol.1 「緑のヨナ」
(初出 : 朝日ソノラマ版『鋼鉄の狩人』
(絶版)時に描き下ろし)
Vol.2「 リオラを運ぶ」
(初出 : 1987年バトルマシーンMARK6)
Vol.3「 カースラの炎」
(初出 : 1987年バトルマシーンMARK7 )
『侵略妖精』
前編(初出 : コミックファイター1987年9月号)
後編(初出 : コミックファイター1987年10月号)『鋼鉄のワンホゥ』200203021/000480
さて、
いよいよ直前(これ書いてるのは22日)に迫ってくれた、
3/24『WHF神戸11』っ!!でも、相変わらず突貫状態です。
寸前になって、シリコン型を作り直したり、
作り直さずにおられぬ状況になったりして、
もぅ、脳内学園は大騒ぎです。はぃ。『レトロ宇宙服娘』の方は、
冗談抜きで切羽詰まってたりします。
もちっと磨き直します。今晩、再型取りです。
はぃ、自業自得です。『鋼鉄の狩人』に関しましては、
申請分の5個は間に合う予定です。
あと、3個ぶんの複製が待っていますが。
版権元(C)長谷川裕一さまの御厚意で、
サンプル提出はせずとも良いのが本気で大感謝です。
一段落したら、出版社宛てにて贈答できればと思っております。
『WHF有明』(4/28)も参加の野望なのですが、
版権申請の日付を誤認記憶していた為、
『鋼鉄の狩人』は有明には出せません。
まぁ、買っていただけるかどうか解らぬ出来ですので、
今回限りとなるかもです。はぅ。ただ、情けない事に、
作例画像のアップは日曜までには間に合いません。
当日、作例見本は間に合う筈なのですが、
現在、自宅からはサイト更新できない状態ですので。無念。
そんな、あいかわらずのカッチョ悪い状況ですが、
見に来ていただけましたら本当に嬉しいです。
せめて、ひと目・・・っ!!
ブース番号は『キ02』です。
お気軽にお立ち寄りくださいませっ!!『完売御礼っ!』200203022/000481
『WHF神戸11』において、
販売許可をいただいた
キット5個が無事完売
となりました。
感涙であります。
肩高 約10cm
総パーツ数 27個
固定用アルミ線
改造用タコ糸
一部予備パーツ 等を別封入
(C)長谷川裕一
ちなみに、予告カットは、〆切を微妙に過ぎていたとの事で、
当日のガイドブック印刷に間に合わなかった為、
目次にすら載っていませんでした。
これはまぁ、誰のせいでもなく、
ギリギリだった多透が悪いんですが。
ココを見て来てくださった方々を迷わせてしまったかと、
慚愧の思いです。
今後は、もっと余裕と精進をもって、
“お買い得感”を込められるように突き進みたいと思います。
多謝っ!!『星見るあの娘』200203023/000482
で、
白状しますと、予告させていただいていた、
『レトロ宇宙服娘』は間に合いませんでした。
痛恨。前夜に、計算上ではギリギリ間に合うと見込み、
型取りしなおししていたのですが、あせりすぎて、
シリコンが硬化しない前に型を開けてしまいました。不幸中のサイワイ・・・といいましょうか、
転んだ時に拾えたものとしまして、色々と学習は出来ましたので、
失敗したブツを削り込んでスカルピーで表面を再造形中。
なんとか『WHF有明』には持っていけそうです。(言い換えれば、これができないと有明に持って行くものが無い!)
レトロ宇宙服は(自分の中で)大流行中なので、
つくってておもろいです。模型誌で言われるようなガレージキットスピリッツとかは、
よく解らないし、誌面を牽引せんが為の言霊だとも思うのだけれど。
自分が好きでつくりたかったカタチ欲しかったカタチが
“複製”されて並んでるのを見るだけで、
「なんかエスエフみたいやんけ!」と楽しい年頃。『君と抱き合わせ』200203024/000483
模型イベントをなんとか切り抜けたと思ったら、
本業のほうが急速多忙。
・・・って、
自営業なので忙しいに越したことはなく、それはそれで良しなんですが。「頑張らねば、有明に持って行くものが無いっ!」
のは間違いないので、作業続行。夜更かし万歳!『WHF』公式ページではまだ更新されていないものの、
神戸でのカタログには“予定”として、
次回神戸開催は7月14日との記載、が。ぉやや、
7月14日ですと、またもや仕事関係の行事と同日。
今年の『WHF大阪』は5月5日の黄金週間まっただ中で、
既に船旅を予約済・・・
これは、去年のように年後半のイベントには参加しずらいかも。
こりゃ、ほんまに、有明に向けて踏ん張らねば。流石にスカルピーを3箱ぶんもボツにしていたら、
1ヶ月で出来る作業量が見えてくるぐらいの学習は出来る訳で。にも関わらず、
『女の子フィギュア+ミニサイズ宇宙船』セットとかを夢想してみたり。『虹色半熟卵』200203025/000484
虹を見た。
『WHF神戸11』の後、
友人達との花見に向かう為の列車で。丁度、夕立のような雨が上がり、
空の半球が青空と雲空だった。高架の上を走る列車だったからか、
いくつもの町の上を行き渡る巨大なアーチが見えた。あれほどに巨大な虹を見るのは久しぶりだった。
虹は、
太陽と正対する空間点を中心に42度の方向に出来るそうだが、
スケールが大きかったせいか、
列車に乗っている十数分間にわたって見つめ続けることができた。ぁあ、あの遠くの空間に満ちている水滴と太陽光が、
屈折と反射と分光の膨大な集積連続をしているのだと思うと、
その単純な現象が楽しくて堪らぬ。元物理教師の知人であるブツリさん(仮名)が、
「微細なプラスチック球を黒い紙に均一に貼り付けて、
“人工虹”をつくる実験をした」と、
言っておられた事を思い出す。プラスチック球が水滴の役割を果たす訳だ。
理科実験では斯様にスケールを変換して再現する実験が多く在るが、
対象が“虹”という“触れられぬもの”であるが故に、
その実験に至る発想は痛快な郷愁を伴う。CDを傾ければ、手近に“虹色”を見る事が出来る現在・・・でも。
ゆるやかに弧を描く列車の鉄路から、
そんな事を考えながら、巨大な弧を、見た。初めて、自作キットを完売させていただいたという高揚も在った。
自分の至らなさが解っているし、
“天の祝福”などと夢想できるボーイズライフでもない。綺麗な虹は、珍しく7色の分光が認められ、紫までも見えた。
ただ、大きすぎるせいか、背景の雲色のせいか、
すべては淡く遠くに在り、
まるで半熟の虹のようだと思った。俺だって、熟年にはまだ早い。
消えてしまう虹ではなく、生涯つきあってゆく自分という弧。
どの部分を熱変させて堅く強くしてゆくかは自分次第だ。・・・でも、
その後、セックスドクター(あだ名)主催の花見は、
「なんか雨上がりで寒いから」というジジむさい理由により、
次週に延期となり、マクドでダベるだけの集いに・・・『等高線の旅行者』200203026/000485
【1月3日】(23)
と、それはそうと、
吹雪の坂道から転げ落ちて来た多透がどうしていたかとゆう、と。振り向いた山は白いままで、
遠くから降る雪色で淡くなった家々は、現実感を希釈されている。
集落を貫いてゆく誰も居ない道路は舗装色の黒を少し見せていた。もはや、“山向こう”になった静寂の海岸から遠く離れて、
「ぁあ、此処は“下界”なのか」と不遜にも思ったりもしてしまう。それもこれも、人影が風景に無いせいか。
・・・静か。『地図にない町』はフィリップ・K・ディックの名作だが、
作品以前に、その語感に惹かれる人は多いのだと思う。他の誰でもない自分自身が迷い込む、
“此処に在るのに誰も知らない”町。その感覚は、自らの“侵入”を前提とする為、
その白日夢は皮膚感覚を伴う違和と高揚を内包する。たとえば、此処に住み、あるいは個々の扉を叩き、
生活する人々の言葉や温もりに触れてゆけば、
其処に世界は実在し、世界に隠された秘密も垣間見えるのだろう。だが、今こうして見える、人影の無い雪町は、
ただ・・・“からっぽ”だ。中学生の頃に萩原朔太郎の『猫町』を、
小学生の頃に童話『世界にパーレただひとり』を、
それぞれ読んだ時にも覚えた渇望。日常法則の幾分かを保ったままの異世界。
変わらぬ静寂の中で、
肉体は空腹の野良猫のように憔悴しているのに、
脳内は空腹の野良猫のように周囲の風景を捕食している。“地図にない町”とは、
自分の知らない町のみを指すだけではなく、それ以前に、
自分の行った事の無い町は、結局、自分の地図に載っていないのだ。自分自身の足で歩き、脳内地図に速記する事で、
周囲に在る“地図にない町”を更新消失させる。その、更新され認識されてゆくが故に、
刻々と“地図にない町”でなくなりゆくが故に、
初めて“地図にない町”を認識と同時に喪失してゆくのだ。そうして、
安物の懐中時計をポケットから取り出して見れば、
何時の間にか竜頭が引き出されてしまっており、
時間を示す筈の針は止まってしまっていた。『バス&停ノール』200203027/000486
【1月3日】(24)
いつもの日常なら、
腕時計が無くても周囲の時計でなんとかなる。それほど役に立つ訳ではないのだが、
自分の生体時計を訓練しておきたいと小学生のように思ったりも。雪の町を、ぐるりと見回しても、
外に向けられた時計は見あたらず。
自分の懐中時計は止まっている。バスは、もぅ行ってしまったのか未だなのか?
旅の心得として、こんな時に焦ってもどうにもならぬ。
時間が無駄になると思うから焦るのだ。
ならば、時間を楽しめれば、焦る必要などない。
倉庫のような停留所に入り、しばしの休息。
田舎町に旅すると、
このような停留所によく出会う。
きっと何十年も前に規格が決まったのだろう。
多くは開放型だが、
冬の寒さを持つ地域だと、こんな感じ。
木製の、がたつきのある引き戸を開ける。
冷気のせいか、ほこりっぽさは無い。
北陸の何処かで、同じような停留所で、
同じように引き戸を開けた記憶が在る。
地名が、あいかわらず思い出せない。
木のベンチに座る。
ペットボトルの茶を飲みながら、海岸の事を小さいメモ帳に書く。
バスは、まだ来ない。『航時待合所』200203028/000487
【1月3日】(25)
タタミを三畳も敷けない程度の空間。
メートル法を採用すると2メートル四方ぐらいか。
自宅の自称“書斎”(実質“納戸”)を、
彷彿とさせる限定空間だ。片隅には、古びたホウキとチリトリが立てかけてある。
きっとずっと数十年前から変わらぬ光景。
きっと、知らぬうちに数十年前に時空転移させられて、
こっそり現在に帰されても気付くのは困難だろう。木枠の硝子窓が、寒風にガタガタと鳴る。
昔、
同棲していた古い文化住宅の窓枠も木枠だった事を思い出す。
此処は、狭くて静かだ。
先刻までの広大な空間との対比に、寂しさと安堵が入り交じる。
不可知に繋がる広大よりも、
確実に認識できる限定空間のほうが、安心できるという理屈は解る。
だのに、こうして疲労困憊しながらも“広さ”を求める、
その意識何処かの微少領域が気に掛かる。こうして腰掛けている背後には、山とトンネルと海の広大が在る。
旅をしなくとも、
生まれ生きて暮らす中で、
人は脳内に広大な風景を、皆、何処かで抱いているのかも知れない。原始の記憶に頼らなくても、
もはや身の回りに映像は溢れ、飽和してゆく。
現実の“広さ”を、疲れてまで見にゆかなくても良いのかも知れない。それを望むかどうか、実際に見にゆくかどうか、
それは、生まれ生きて暮らす中で、個人差が出来てくるのだろう。狭い窓から見える世界で納得できるのなら、シアワセかも知れない。
狭くした世界で、狭くした常識と狭くした規範で生きてゆけるなら。まぁ、客商売をしていると、いろいろと勉強させてもらえるし、
なにより誰かと自分に対して無礼は出来ないので、
まだまだ“広さ”の中で自分を観てゆかんといかんのだと思う。
あいかわらず、現在時間も解らないまま、
待合所から見える外は、
風が在るものの、なにやら雪はスローモーションに見えた。『肉迫する白無垢』200203029/000488
【1月3日】(26)
前から来る風は、時に心地よい。子供の頃は、近所の神社で、風を目に当てるのが好きだった。
お稲荷さんのまつられた小さな丘の向こうあたりから来る風が、
背丈よりも高く伸びた雑草の狭間を抜けて来る風の道があった。
其処に立って夕焼けなどを見ていると、
風が目を洗ってくれて“ひぃやり”と心地よかったのだ。
北海道の雪降る町でも、風は前から来た。
古びた待合所の硝子窓を騒々しく揺らして。丁度、その刹那に視線が間に合ったので、
白色の空気の大きなカタマリが、
道のずっとずっと向こうから、
やって来るのが見えた。北の地では、雪が前から来ると、
北の地で生まれた人に聞いてはいた。
青森の浅虫温泉でも、
これに近いものは経験したが。雨の最初の一滴のように、
そのカタマリの接近に、ときめいた。
凍った道の上、その地を這いながら、進む白。
獲物を狙い低空を飛ぶ鳥のように、ただ迅速に。地吹雪とは、こういうものであったのか。
先刻、岬に至る坂道で経験したものとは、別の感慨が在る。
其処に、町という対比物が在るせいか。
それが瞬時に、吹き荒れる白に染められるせいか。わくわくしてきたので、待合所を飛び出して、道へ。
白い風に、殴られたような気がした。
“ひぃやり”どころではない。 剥き出しの顔面が全部痛い。
自分の手も、見失いそうな白い風。
『幽霊待避所』200203030/000489
【1月3日】(27)
道の遠くから、バスがやって来た。
地吹雪の白さの中から来たので、まるでバスの幽霊のようだった。
白の中に輪郭が見え、そしてそれが現実味を増してゆく。
モニターの中ではお馴染みの効果だから、
日常の中ではなんとなくその瞬間も消費してしまう。
けれど、旅の中では多透のような鈍感な身にも記憶に刻印される。
芸術家ならば、この一瞬も永遠に出来るのだろう。地吹雪の白の中を泳ぐように、バスに乗り込む。
暖房に満たされた温度差に、目蓋がぴくりとする。
此処は、暖かい避難所だ。
走り出した車窓から、振り向いて見ると、
先刻まで居たバス待合所が、
白の中に融けるところだった。
遠く白くなってゆく、その小屋は、
雪からの待避所でありながら、
まるで待避所の幽霊のようでもあった。
少し思いを馳せてみれば、
世の中に“駅幽霊”や“待合所幽霊”の怪談は数多く在る。小屋のように囲まれた空間で、何かを“待つ”という意識が、
別の何かにまで思いを馳せてしまうのかも知れない。それはともかく、
健全な青少年たるもの、一度ぐらいは、
“ひとり旅、
名も知らぬ田舎の待合所で野宿・・・美女幽霊とロマーンス”
・・・とかとか夢想してしまうのもいたしかたないと思う。しかし!
その夢想を実行してしまうのは如何なものかと思う。
ぃや、むしろ、やめておいたほぅが良い。戸の無い3面なオープンスペースな所も多いので、
冬は寒さで生命に関わるだろう。
とにかく・・・
夏は、蚊の大軍団との激闘でロマンスどころでは無い。ぇえ、そうです。昔、やってしまいました。若気のいたりで。
夕闇と夕焼けの狭間で、
なにやら人影のようなものを見たような気がした。
『すわ! ロマンスカムオンですかっ!?』と、
色めき立ったが・・・正体見たり。
見事なぐらいの蚊柱が立っていた。ぇえ、そうです。たいへんでした。
されど、
無駄と解っていても、
このような幻想は確実に今も伝染を続けているようだ。同級生の元レスキュー隊員が、ちょっぴり夢見つつ、
北海道バイク旅行で道東を野宿連発していた時、
台風くずれの暴風雨に遭遇。「嗚呼、美女が雨宿りに来ないものか!」と悶々としつつ、
野ざらしのバス待合所で夜通し雨風をしのいだそうだが。朝、雨上がりの道に出てみると、
増水した川に牛が浮いていたそうだ。『春高楼の花の弦』200203031/000490
この日は、花見に行った。
まずは、野郎ばかり5人。
メール交換はしていたものの、
十年ほど顔を合わせてなかったのも2人いたので、
ちょいとした同窓会だ。
JR甲子園口から武庫川沿いを歩いたり地面で飲み食いしたり。
対岸の桜は多く、人も多い。
こちら側は、土手沿いの桜並木に座り込むと、
静かな球体空間の中に居るように落ち着いてしまう。
花は自分に関係なく咲いていてくれているが、
それをどぅ自分の花にするかは自分しだいだ。
久しぶりにワインなぞ飲んでみたり。
地面に触れるのは心地よい。
元気が、土から登り伝わってくるようだ。
とりあえず、三十路野郎が酔ってたかって、
ねぶるように花の香りを嗅いでみたり大会。
14時頃に、通り雨が来る。
雨があがると、45歳夫婦が合流。
多透にとっては初顔合わせの人。
ヒッピームーブメントも、フォークゲリラも、その他いろいろも、
時代の中で味わってこられた方らしく、なかなかの偉丈夫。
さすがにサイケなファッションではなかったが、
ちゃんとフォークギターは担いできてくれた。
あと、ケンタッキーのチキンもくれた。
いぃ人だ。とてもいぃ人だ。
奥様も、
元ナースかつシャーマンという人なので、話がおもろい。
タンバリンと太鼓もあったので、もぉ、
60・70年代フォークの合唱連発。
なんか、
当時の“若者たち”という風情で駆け抜けた今年の花見。
満開の桜は、奇妙な静寂と高揚を周辺空間に撒き散らす。
どうあっても、人生は進んでゆく。
秘すれば花とは限らない。
死んで花実が咲くものか。
土に寝転がって空を見ると、海に近い青空に、
カモメの群れが巨大な球体を飛びながら描いていたり。
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