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『大作戦日誌』20010107-20010731 |
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『よるのゆび』20010701/000217
『まんが広場』難波店。
高島屋横なので場所はすんごい分かり易い。
店内も結構広く、席数も充分。
2階構造で喫煙・禁煙フロアが分かれてるのは好感。
厨房もちゃんと空間確保しているらしく、
メニューも結構豊富。
深夜でも対応調理してくれる。
場所柄と週末で深夜でも客の出入りは結構あった。
ただ、店内照明が暗めなのが残念。
各席ごとに机の照明があるものの、
暗い部屋でTVを観るのと同じで、
視界内に照度差が在ると目ぇはドンドコ疲れるザマス。
本は無難な品揃え。
有名どころは比較的あるものの、
掘り出し物的めぐりあいが少ない風味。
今日は読もうと思っていた『ぼくんち』が無いなど、
「なんで無いのん?」な部分は結構感じたが、
これは何処の漫画喫茶でも作品を替えて感じるトコロ。
結局は“縁”のものだろう。
それでも、無難な品揃えだと、
いくら蔵書が多くても“他でもいっしょ感”が染みて、
再来可能性が少なくなる。
恋みたい。
いろいろと読破しながら、いつものように連想をメモ。
乱筆と暗号化で、
隣席のだぶさんには自動書記と見られたかも知れない。
それもまた良し。
午前2時頃ともなると、
椅子をリクライニングさせて眠り突入する方々が続出。
フリードリンクのオカワリ等で店内を歩くと、
柔らか暗い店内の中で幾人もが座ったまま夢世界イン。
他人の寝顔が並ぶ風景は激烈に味わい深く面白い。
こっそりスケッチしてみたり。
座席は長い机を衝立で区切られており、
向かい側に座る人の顔は見えない。
多透の前に在る板の向こう側では、
20代前半の女の子が何かを読んでいたのだけれど。
机の下、床板との間に在る3センチほどの隙間から、
裸足の指先が時折ゆれるように動くのが垣間見える。
夜、眠れない時になど、
自分の足先をシルエットで見ると、
奇妙にグロテスクに思える一瞬があるが。
名も知らない他者といえども、
女性の指先というものは、
まるで異星の生き物のようにエロティカルだ。
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『純喫茶マッハ』20010702/000218
漫画喫茶でネット環境やゲーム機を置いている店は多い。
だが、その多くは席の性格上、席の確保が難しい。
今回は、あまり換気が良くない喫煙フロアに在る事もあり、
ネット書き込みによる実況中継は断念せざるを得なかった。
漫画喫茶における作戦行動を効率よく遂行する為には、
読破対象となる作品の選択・発見の即時性・速度が重要だ。
不必要に迷い、逡巡しているだけでは時間は失われる。
人生の全てに効率を求める必要はないのかもしれないが、
自己姿勢を認識し邁進する瞬間の連続にこそ、夏の色は在る。
某大手メーカーの工業デザインを束ねておられた方との会話。
「なるほど、では、
どのような行動や瞬間に部下の才気を感じられますか?」
『うーん。・・・速度、ですね。
数字は勿論の事、状況も含めた計算能力。
自分の能力と知識を冷静に把握して、行動し、
完成予測時間を正確に提示し、ちゃんとそれをやり遂げる。
まぁ、プロとしては当たり前の事なんですが。
俗に“頭がいい”と言われて、それを言われ続けてる人間は、
その全工程が異様に速いですね。 異常と言ってもいい。
勿論、それを身につけるまでの学歴社会で、
性格のバランスを崩してしまってるのは沢山いますよ(笑)
でも、会社としては、その“速度”こそ武器になるんです』
漫画喫茶において、
自らの“今”が欲していると思われる作品を検索し、発見する。
今回の店のように、特徴の無い品揃えの場合、速度は重要だ。
無為に時を過ごした為に、
真に自己栄養となる作品に時が届かないという状況は避けたい。
本を手に取る前に迷わなければ、
本を味わう時間は増えてゆく筈。
それでも、実際は、迷う。
大きな書架の林立する細い通路を検索しながら、焦りながら、
“なにか甘い果実はないか?”と、グルグル歩く野良犬の愚。
そして、その迷いを愉しむ、自分の中の誰か。
『極東学園天国』全4巻 日本橋ヨヲコ
『水の中の月』全1巻 土田世紀
『月球』全1巻 土田世紀
『ルート77』全1巻 土田世紀
『アステカイザー』全1巻 石川賢
『TOKIO TRIBE』全1巻 井上三太
『怪傑ライオン丸』全2巻 一峰大二・うしおそうじ
『ZERO』全2巻 松本大洋
『青い春』全1巻 松本大洋
『木島日記』既刊2巻 大塚英志・森美夏
『風雲ライオン丸』全1巻 一峰大二・うしおそうじ
『ERET イーリート』全1巻 長沢克泰
『マスク 形成外科医小瀬オペレーションファイル』全1巻
市野治美・千葉きよかず
『編集王』全16巻 土田世紀
35冊
約28時間
喰らった筈の栄養は、自分の行動で試さなければならない。
眠るのが異様にもったいない。
歩く! 買う! 帰る! 風呂! 食う!
書く! 描く! 練る! 盛る! 削る!
焼く! 匂う! 削除! 再戦! 掃除!
無睡眠40時間突破。
・・・・・ヤな人生だ。
やっぱし人間、布団がイチバン。
おひさまのにおいのやつ。
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『東京パンチ』20010703/000219
『TOKIO TRIBE』全1巻 井上三太
“すべては48時間のうちに起こる”・・・
つまり48時間に起こる物語なのだが、
実はこぅいう短期間・短時間の物語は大好きだ。
密度と加速度の中で、
振り返ってみれば僅かな間の出来事だったというような。
人生の、そんな一瞬が好きだ。
この作品は、この絵柄このリズムでなければならないと、
そう思えるほどに個性が心地よい。
更に記号と加速が増殖して猥雑に混在しているであろう、
『2』も一気読みしたい所存。
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『ZERO』全2巻 松本大洋
『青い春』全1巻 松本大洋
井上三太とは兄弟だそうで、
そんな比較は無粋以外のナニモノでないと知りながらも、
松本大洋の実力は突出している。
立体・空間を把握し、それを描画するパワーが尋常ではない。
どうしてこのようなことができるのだろう?
この異様な作家は、
多透以上に松本大洋の実力を味わう能力を持ち、
多透以上に松本大洋と似た描線を目指す嗜好と、
それを獲得する為の実力と努力をし続けた者を、
きっと幾人も挫折させているのだと思う。
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『どろたぼう』20010704/000220
『水の中の月』全1巻 土田世紀
『月球』全1巻 土田世紀
『ルート77』全1巻 土田世紀
『編集王』一気読みに挑むか否かを微妙に逡巡しつつ、
助走の策謀も兼ねて読んでみる。
実はどの作品も部分的には雑誌掲載分で接触していたが、
全体を通して読んだ事はなかった。
そのようなものを補完しつつ全体を味わう目的に、
漫画喫茶はナカナカな有効だとも思う。
今回、意表を突くような再会作品在庫が少なかった事もあって、
補完&追想で加速してゆく事にした。
だぶさんも今回、似て異なる戦略であった模様。
土田世紀の世界に吹く風は、
確実に冬の冷気を持っているのだと思う。
それは作品が冷徹だという比喩ではなく、
東北の地に吹く寒風を体感して来た者だからこそ込められる、
その空気感覚だ。
田舎町の物語を紡ぐ時にありがちな、
土に触れた事も無いような牧歌的幻想ではない。
土をクチに含んでギャリギャリと噛んだ事のある者だからこそ、
描く事のできる何かを、凄いチカラで描いて込める。
現時点で公開させてもらっている、
『聖ギャルロボ学園』等の作品に対して、
「まだまだ格好つけすぎ。もっと深い所から持ってこい。
もっと泥臭い部分っていうか自分の泥を出せ」
との批評をいただいた事を追認する。
今回の徹夜漫画読破では、
なにやらそのあたりの“どろり”とした部分が、
ずりずりと解ってきたようにも思う。
思いたい。
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『砂丘まで猿マイル』20010705/000221
路地裏のコントラストが心地よい今日このごろ、
先日の日記における「35冊 約28時間」という表記が、
「35冊 約15時間」の間違いであった事に気づく真夏日。
持病の“突発性お風呂はいりたい病”が出るので、
さすがに24時間オーバーは辛い模様。
いゃ・・・一度ぐらいはトライしてみるの・・・いゃ、止そぉ。
されど、
地方都市にも24時間漫画喫茶が配備されていれば、
ひとり旅の枠組みも広がるというもの。
公約にするような候補は居ないものか?
それだけで当選してもらっても漠然とした不安があるが。
『怪傑ライオン丸』全2巻 一峰大二・うしおそうじ
『風雲ライオン丸』全1巻 一峰大二・うしおそうじ
2作品とも、
現在熱烈廃刊中の月刊誌『冒険王』に掲載されたもの。
TV番組のコミカライズ作品のステキさで知られる当雑誌を、
叔母に買ってもらって熟読するのは幼少時のナイス習慣。
多透にとって一峰大二先生は『スペクトルマン』よりも、
『ライオン丸』2作品で、その太く強い筆致も全肯定。
主人公・獅子丸の暑苦しい顔が瞬時にライオンづらになる、
付録“ライオン丸へんしんお面”でも遊んだ記憶が・・・
2作品ともに、奇妙で大胆な殺陣が少年をドキドキさせた。
“風雲”なんて、
破砕して落下させた巨岩の上に乗りながら敵を討つぞ。
バイオレンス描写も、ダイナミックプロには一歩ゆずるものの、
生理的に微妙なところに来るものがあった。
“怪傑”〜“風雲”と進むにつれて、その無国籍性は加速し、
“風雲”ではカラクリ満載の幌馬車が登場。
今回の復刻版で、
『冒険王』特集記事の“大図解”が再掲載されていたのには、
正直、胸が熱ぅなった。
荒野のその果ての巨大地下空洞に潜む、
煮えたぎる溶岩で形成された巨大顔面“マントルゴッド”・・・
こどもゴコロに“そんな荒野に立ってみたい”という、
なにやら“荒野願望”みたいな部分をチクチクされた追憶。
その、ひろくはてない場所。
むぅ・・・
『青春18きっぷ』も夏版が発売開始されたし、
週末利用で、
久しぶりに鳥取砂丘でも行って温泉はいって帰ってこよかなぁ。
でも、ざっと調べたトコでは鳥取に泊まれる漫画喫茶ないしなぁ。
暑いやろぉなぁ・・・
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『極東学園天国』20010706/000222
『極東学園天国』全4巻 日本橋ヨヲコ
ずっと以前、
『ノイズ・キャンセラー』という短編読み切りを見かけて以来、
ココロに引っかかっていた作家さんでもあったし。
香川県出身の作家さんだというのも、
大阪と香川の混血である多透にとって何か惹かれるもの、が。
『極東学園天国』は、
古本屋『BOOK OFF』でチラリと中を見てから、
一度読破しよう、あわよくば購入しようと策謀していたものの、
店頭在庫が妙に見あたらなかった事もあって、まずは読破決行。
美味。
“第2部完”でキレイにまとまっているものの、
以降の連載が打ち切りという切なさ。
も少し、このキャラクター達の物語を見たかったなぁ。
キャラクターの引っ張り方。
群像。構成。
好き嫌い意見が分かれるであろう描きっぷり。
ゴツゴツと未分化でザラザラと未消化な部分さえも、
物語を鼓舞する因子になっている気持ちよさ。
自分の青さとキャラクターの青さを確信承知した上での、
切り込み方。
こぉいうヤツを描きたいんだという自負。
“学園”というものから遠くまで来てしまった身にも、
心地よい距離感。
なにか、まっすぐなのだ。
カタチを真似たり、物語のイイワケから入って、
読者も作者も窮屈になってしまっている作品は多い。
勿論、それが魅力になっている作品もまた多い。
しかし、
作家と対話し、キャラクターと対話し、
そしてそこから自分自身の言葉を獲得したい身には、
この“まっすぐ”が心地よい。
さまざまな作品と対峙した時、
自分にとって良作であれ愚作であれ、
“やる気”をいただく事はできる筈だ。
そういうのんも“勉強”だと思う。
ええ勉強させてもらいましたわ。
早速、ネット通販で全巻購入してたり。
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『タナからバタ餅』20010707/000223
対米交渉を有利に進めんが為に、『A.I.』を観にゆく。
ネタバレは避けるが、泣けなんだ。
周辺各地でズリズリしている気配に、
「もしや俺は悪の遊星人に人格リモコンされてるのんでは?」と、
漠然とした不安が後ろの太宰はん。
いっそタイトルがグミョ〜ンとモーフィングして、
『ひみつ探偵JA』になってくれればいぃのにと思った。
農協の内情を赤裸々ソウルフルに描ききる、
ハートフルセクシーアクションロマン『J.A.』でも良いと思った。
国民性とか母性の有無とか郵便ポストの赤さのせいかも知れない。
でも綺麗な“絵”は仰山でてきた。
序盤を乗り切れば続々登場してくれるので、長くても大丈夫。
いろんな意味で勉強になった。
どぅもこぉいう文脈経緯で“勉強”とゆうと、
打算的ぃとかネガティヴに受け取ってしまう客観自分も居るのだけれど。
自分も何かをつくりたい身で在りたいし、実際につくる者でありたい。
自分を更新し展開し現出させるさせる事で“勉強”を活かしたい。
それが“勉強”なのやと思う。
ちゃんとカタチをつくる事で、“勉強”させてもらった作品に、
矮小自己満足イイワケでない敬意をも示せるのだと思いたい。
で。
それはさておき、
もしも日本版をつくってしまうのならば、是非、
えなりかずき主演を懇願したい。
水木しげる先生描くところの、
“こなきじじい”フェイスを体現する彼ならば必ず期待に応えてくれる。
ヤツはやるぜ。
がんばれ日本映画。
帰路。
近鉄電車&JRで帰るところを、ちょっとドキドキしてみたい年頃なので、
近鉄バス&JRで帰ってみる事にする。
ゆるやかに動き出すバスの車窓からの視線がスローモーションで動く。
映画ではよく使われる構成だが、大阪の町並みだと奇妙に静かだ。
この瞬間に“くいだおれ人形”は何処に在るのだろうかと思案する。
町角を曲がる瞬間、もしやすると自分は、
『スローターハウス5』に入り込んでいるのではないかとも思う。
バスを降りて電車を待つ。
カバンの中から文庫版の『モジャ公』全2巻を取り出す。
すごいよ藤子先生!!
泣けた。
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『ガクエンモノシャフト』20010708/000224
“まなびや”から遠ざかるにつれて夢想補完が現実記憶を浸食してゆく。
そして無意識下郷愁の段階では、現実記憶なるものはしばしば存在しない。
自分の記憶に負けている時は特にそうだ。
“ガクエンモノ”と分類される物語を構築しようと画策する場合、
意識するしないを問わず、自身の記憶と対峙しなければならない。
自己の立ち位置と記憶の現実と物語の主題と仮想の記憶と甘い痛み、
混在と分類と構築の疾走の果てに物語に転写してゆかねばならない。
記憶の中で追憶の中で夢想の中で自身の、
まもれなかった約束や陽射しの色の中の痛みと対峙しなけれはならない。
物語の主題が学園という構造と如何に関わっているのかは重要だ。
描きたいキャラクターを描く為に学園という構造を持ち出すのか?
学園モノを描きたいが為に学園ありきの構造をまず構築するのか?
いずれにせよ其処には、
そこには、
その脳内学園には、
“もはや自分は精神的に完成しているのだ”と夢想錯覚する自分や、
知識だけが肥大して自己化も実践もしていないまま得心する自分や、
衣食住を依存している事に無自覚なまま自立を錯覚夢想する自分や、
それゆえに純化された想いと憤りの中で右往左往しつづける自分が、
どれほどに否定したくとも棲んでいるのだ。
そしてたしかな現実として、
どれほど過去に碇を打ち込もうとも、追憶に固執しようとも、
この流れゆく現在に帰ってこなければならない自分が居るのだ。
記憶は更新されつづけているからだ。この今も!
・・・それに気づくのが遅すぎたのがどうかは解らない。
だからだろうか?
『ガリガリ君』は今どき60円という定価のリーズナブルさと、
その適度なボリュームにおいてアイスキャンデーの高位に在る。
だが、不思議な事に身近ではコーラ味の在庫が少なく思うのだ。
仕入れじたいが行われていない疑念の湧くコンビニさえもある。
無論、入手容易なソーダ味の素晴らしさを否定は決してしない。
だが、この現実に何かの潜伏可能性を思うのだ。追憶の秘密の。
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『青春さかまつげ』20010709/000225
多種多様に細分化枝葉化されつづけている、
その多くのメディアの中で。
いわゆる“学園もの”と呼ばれるジャンルは、
定番化し形骸化し普遍化しつづけながら転がりつづけている。
物語をつくる者には、
取りかかりやすく、それゆえに難しい。
あたりまえを描くだけでは面白くない。
あたりまえを描くのは困難かつ辛い事。
あたりまえを描く有意義と挑戦と痛み。
物語は、あたりまえからの振幅で左右される。
不良と分類されるキャラクターが定期試験に悩むも良し。
スタンド能力に目覚めてエジプトに旅立つのもまた良し。
番長連合を震撼させる大抗争の中を全国疾走するも良し。
週間チャンピオンにすら載らなひ程に濃い番長でも良し。
登場時だけ異様に巨大な初回限定身長が発生するも良し。
真の男に成る為に高校八年在住しガクラン八年組で良し。
【職業:学生】と在るだけで、衣食住の描写は省略可能。
物語によっては学業描写すら省略可能なのだ。
事実、
“関東番長連合”を率いる堀田総長は寺で番長群と協同生活。
安田一平はあれだけフラフラしていても学生さんと呼ばれる。
仮想世界の中では、省略が論理に優先するのだ。
だからこそ、今、
食わず嫌いを克服し、挑みかかる時がまさに来たのだとも思う。
『ガリガリ君』シトラスミント味に・・・
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『大きなタマネギの上で』20010710/000226
世界が肉ジャガで出来ているのではないと知った夏から、
もはやずっと遠くに来てしまっていると気づく朝。
斬岩剣と言えば、赤石剛次だった筈が、
いつの間にか青山素子のほうが高くなっている認知度の現代。
人間は、過去に自分を置いておいたほうが当座は楽だ。
『モジャ公』のオンボロ宇宙船は、
「スコポン スコポン」という擬音を発しながら飛ぶ。
なんという凄まじいイマジネーションであろうか!
吸い込む大気の暑さに刺激される追憶領域。
もどれもしないし、やりなおしもきかない。
仮想世界でないからこそ、破片が輝いてる。
ネットゲームが活発な昨今・・・
追憶を通した現実認識は、自分との通信対戦とも言えよう。
(【おことわり】各人のインターフェイスに互換性が少ない為
データ交換は難儀っていうかできません)
屋上に上がれなかった学校。
でも、いくつかの抜け道は知ってた。
そのひとつは、社会科教務室の奥に在って、
中庭に面するバルコニー状になった其処にゆけるのだった。
ぎぃギリと音の鳴る板張りの廊下。
先輩と遭遇。
「教務室の本棚、大移動させるらしいから。はい、徴兵っ」
食わず嫌いだったシャコエビはとっくに克服した多透であったが、
もうひとつの弱点である姉御好き嗜好には克てる筈もなかった。
作業終了。
報酬の麦茶をコップにそそぎ、バルコニーで休息。
生徒は普段立ち入る事のできない中庭の小さい林。
上から見ると、なんか密林。
「あんた、こないだ『ペルシダー』読んどったやろ?」
「小学校の時、ハマってたんで。ちょっと読みなおしですわぁ」
「高校レベルの理科知識あるクセに、地球空洞説?」
放送部も掛け持ちしていた先輩は、
芝居がかった抑揚と発声で、言った。
「ほんとはね。
すこしだけまだ信じてる。
もしかしたら地球はまだ・・・
“がらんどう”なんじゃないかって」
・・・・・ぁあっ! 過去のオレ!!
なんで、そこでもっと気の利いた台詞で迎撃せぬくわっ?!
なんか・・・なんか、武器はっ!武器はないのんかぁっ?!
(【おことわり】時空を超えての遠隔操作はできません)
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『美術室のカーテン』20010711/000227
ごんごんと殴り降るような陽射しの中でも、
出てみると風は吹いているものだ。
選択の都合で美術の授業を受けていなかった高校時代。
一度だけ、油絵を描いた事がある。
合作だった。
隣りの高校に通っていた同い年の彼女が告げる。
「次の課題、結構自由なんやけど、どぅ?
下描きとか、してみたい? してみたい?」
真夏に氷柱を貰うホッキョクグマの心境が解った。
美術部には友人達が居たし、多透も結構いりびたっていたので、
昼休みの美術室で鉛筆を握った。
自己贔屓の美化された記憶で形容しようにも・・・
“水の惑星 宗教画みたいな雲 恒星の光
水面から空中へ浮上する裸身の陰影を持つ男女群 空中の波頭”
・・・という、
いかにも高校生的範疇以下でのイマジネーション。
脳内の一部は、確かに、それしきの事でも酔っていたのだけれど、
残りの大半は、
自惚れが如何に薄く脆いものだったかという認識に焦っていた。
キャンバスのサイズは、縦100ミリを超えていた筈なので、
F50かF60ぐらいだったと思う。
白い四角が奇妙に大きく見えたのは驚きだったし、興奮もした。
自分の実力が足りない事実にすら昂揚できた。
彼女に渡す為の制限時間。
約束を守らないのは、相手と約束した瞬間の自分への侮辱だ。
風に吹かれてよろけながら、自転車で家まで持って帰り、
また次の朝には学校まで運び込んだ。
同じ道を今、自転車で走ると、
あの頃の自分とすれ違う気がしてカリカリする。
美術教師は新婚の人妻。
『ふぅうん。おもろいねぇ』
「や、焦ってんですけど」
『教師やってるとなぁ、若い子の焦ってんのがおもろいねん』
「やっぱし、そぉいうのん、見えるんですか?」
『ぶっちゃけた話、焦ってへん人間の絵なんてつまらん』
「楽しく描けたら、それにこした事ないんやないですか?」
『それはそれ。これはこれ。
・・・あんたの彼女は、気ぃ抜いた絵が欲しいのん?』
「やっぱし、そぉいうもんですか?」
『女やからねぇ。
・・・十年もつもんつくってもらわんと、なぁ』
「げぇ、十年ですかぁ? 俺の今までの人生の半分以上ですよ」
『本気で十年もつ気合いはなぁ、百年もつんや』
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『ゲルニカ』20010712/000228
『芸術は悲しみと苦しみから生まれる』 パブロ・ピカソ
スペイン北部のバスク地方。ビスケー湾に面した小さな町、ゲルニカ。
1937年
スペインは独裁者フランコの反乱軍と人民戦線との間で内戦状態にあった。
4月26日午後4時20分
フランコ派ドイツ空軍がゲルニカを猛爆。
爆撃・銃撃は銃撃は通りに人があふれる時間に開始され、
非戦闘員である市民を無差別に虐殺。
ゲルニカは壊滅した。
5月1日
パリ万博スペイン館の壁画を依頼されていたピカソは、
パリにて故郷スペインの悲報を知る。
ピカソは、高さ3m、幅8mの巨大なキャンバスに絵を叫んだ。
不眠不休の戦いの果てに、僅か20日間で完成を獲得した。
ピカソと男と女の関係にあった写真家のドラ・マールは、
その完成に至るまでの全てを撮影し続けた。
絵は、複雑かつ深淵な灰色が折り重なるモノクロームの世界だった。
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『夜クルモノ』20010713/000229
小学生だった多透は、その夜、
理由は忘れたが1人で留守番をしていた。
暇つぶしに百科事典を目的もなく開いた。
幾度か目にした、
何度も見た事のある写真。
『ゲルニカ』
不意に、木の葉が落ちるぐらい唐突に、解った。
今まで落描きのようにしか見えなかった描線が、
現実以上にリアルに肉迫してきた。
心の中に在る、言葉にならない肉塊を刺されたようだった。
一瞬で。
気がつけば、
自分が泣いていたのが解ったし、震えてもいた。
はいずるように便所に行って、吐いた。
絵を見て、そんな事になったのは、
その一度きりだった。
他の絵では、一度もそんな事はなかった。
同じ絵でも、二度とそんな事はなかった。
誰だって、こんな事が在ると、
自分の感受性が優れていたのだろうと自分を納得させ、
自分の自意識を安定させようとするのだろう。
けれど、もぅ、
自分が特別な子供だったなんて、青臭い事は思わない。
人は、知識と体験の相乗で感受性を高めてゆける。
仕事や趣味や習慣で、より能動的に高める事もできる。
けれど、
感受性が・・・
良いとか悪いとか優れているとか劣っているだとか以前に、
芸術は、たぶん、そんなふうに“来る”ものでもあるのだ。
たまたま、その一瞬に会えた。
そういう事だと思う。
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『ジャスミン団』20010714/000230
ある日の休み時間。
美術室に行くと、人影がなかった。
古びた校舎の一角に在るそこは、
床と無数の油絵で、いつだってオイル臭かった。
美術準備室は、
画集で満杯の書架に圧迫されて居心地よく圧迫されていた。
先生は、居た。
窓からは学校の正門が見えた。
「ちぃす」
軽く先生に挨拶をすると、画集を物色させてもらった。
『ふむ。香港の友達が送ってきてくれたから、
ジャスミンティーをいれてやろう』
大人の女の手で、茶をいれてくれた。
先生は妊娠していて、少し“ふくらみ”が解った。
“少なくとも俺は、この先、
この人とSEXする事はないんやな”
・・・そう、少年は思った。
「ぅわ。なんか、石鹸水みたいな味ですわ。不味くないけど」
『そぅいう事もあるよ、少年』
「そんなもんですかね」
『・・・んで、何探してんのん?』
「ピカソの『ゲルニカ』ですわ。なんか、久しぶりに見たくなって」
『ほぅ。どれが好き?』
「どれって、んな沢山在るんですか?」
『習作が結構残ってるからね。色々と女が記録してたし』
少年は、『ゲルニカ』が“来た”時の話をした。
誰かに話したのは、それが初めてだった。
先生は、微笑みだかなんだか解らない顔をして言った。
『そぉいう人間はね、いろんなものを見続けるしかないよ』
「ん・・・ぅ。“場数をこなせ”って事ですか?」
『知らん。自分で考えぇな』
「そ、それは・・・なんとも」
『あんたみたい人間は、ほっといても、
なんか自分の作品つくろうとするやろ?』
「おだてんといてください」
『十代は増長してええんよ。
二十代で周りが見えてない男はカスやけどなぁ』
「ぅっわぁ。旦那さん、たいへんやなぁ」
『誰かって誰かを刺激したいんよ。女と教師はそれが仕事。
刺激されてどーするかはそいつの責任やし』
「そゆのんが大人なんですか?」
『こんなもんなぁ、なんか創ろうとする人間やったら、
誰でも言えるで』
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『断章』20010715/000231
その後の事は、実はよく覚えていない。
多分、他の連中が来て、話は終わったのだろう。
追憶は、物語とは違う。
自分の決め台詞や得心でシーンを終えようとしても、
実際は“足りなかった自分”が見えるだけだ。
妄想を混ぜたら、自分が嫌になるだけだ。
細道を歩くように脚色を避けて書いてみたが、
本当はもっと、
たどたどしく未分化で未消化で未成熟で情けなかった。
文字にすると、それだけでひとつの演出になってしまう。
そのくせ、追憶を文字にしたがるのは、
郷愁の心地よさと、
それを持ったまま遠くへ行きたいという、
わがままな理由に因るのだとも思う。
それからの事は、実はよく覚えていない。
どうしても、文字にしたくなく・・・
自分の中だけにしまっておきたい一言以外は。
最後に会った時に、何を話したかも、覚えていない。
それから先生は、出産の為に休職された。
そして流産と静養の為に教職を辞された。
きっと、もぅ、会う事もないのに、
十年以上前の言葉を覚えている事に、
自分でも、少し驚いている。
先生・・・
なんか、あなたの言葉、
十年のこって・・・ますわ。
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『バシズム効果』20010716/000232
と。
唐突に回想モードに突入したのは、きっと、
『バシズム』読んだからか?
先日書いた『極東学園天国』の作者、日本ヨヲコさんの初短編集。
“かきたいことをちゃんとかいている”感じがとても気持ちいい。
ある意味、すんごい健全な精神を持つ漫画。
で、絵は、多透としましては妙にエロスを感じます。
ソウルの無いエロ漫画の5億倍はエロいです。
女性漫画家の絵って、エロス強いのが多いように思えます。
男が描くとファンタジーを混ぜてしまいがちな“ミクロの線分”を、
自分に内在するリアルを混ぜて描いてるような強さを感じてみたり。
既刊単行本は全部で7冊なので、だぶさんは買うように。
『プラスチック解体高校』全2巻は品薄との事ですが、
書店注文やネット通販でまだ手に入る模様。多透はそうしたです。
『極東学園天国』の舞台は、五色台学園。
香川県出身の作者らしく、
実は五色台という地名は香川に実在してまして。
多透ジジイハウスの近場なんですわ、そこは。
小学生の頃、親戚一同が盆なんかに集まると、
夜に開いてる店なんかろくに在りもしない田舎の事、
“涼み”に五色台まで行ったりしたものです。
車3台ぐらいに分乗して、ガーッて。
行ったからって、なんにもなくて。
山の上まで行くと国民宿舎とか在るんですが、
2つの無人島が並んで見える展望場(単に広場になってる道路)で、
自販機のジュース買って飲んで帰るだけ。
動きと体温の多いコドモには涼しくともなんともなくて、
ただ暗闇の道に出られる事のほうが楽しかった。
漫画読んでて、
「あぁ、あのへんから見上げると見えるんやろなぁ、ガッコ」とか、
思ってもみたり。
なんか、すぐ近所を舞台にされるよりも親近感感じてしまったり。
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『軟体ドミノ』20010717/000233
良き共振を持つ作品は創造を喚起し、鼓舞し、加速させる。
そうある事だけが名作の定義ではないのだろうけれど。
自分が“おもしろい”“つまらない”と思った時に、
壁のように並べられていたドミノの駒が倒れる様に、
思考が連鎖しながら加速展開してゆく実感は快楽だ。
そう思える事を特別とは思わない。
そんな事ぐらい、誰でも出来る筈。
問題は、その入口でグヂグヂしている時の自分。
上っ面の直感だけで良し悪しを安易に判断し、その理由を思考しない自分。
解ったフリをしていても、その直感も、所詮は借り物の言葉だったりする。
そんな未成熟な足踏みで、どれだけの時間を無駄にしてきたのかと思うと、
眉間の奥がギーッとする。
先日の“先生”との会話回想で、
「そういう相手がいたこと自体がうらやましい」と言われたけれど・・・
回想の中で、多透が、“単なる相づち”ぐらいしか返せてない事に御注意。
教師であれ同級生であれ下級生であれ同性であれ異性であれ、
単なる日常の背景キャラクターとしてではなく、
“人間対人間”として接してくれていた相手に、
どれだけの事を返し、伝え、そしてその時の相手に応えられる今が在るのか?
ギャルゲー『トゥルーラブストーリー』シリーズをすると、
そういう“足りていなかった自分”の回想が喚起されてデンジャラスだ。
自分を振り返れば振り返るほどに、
“成長できるチャンス”を棒に振っていたばかりか、
気づきもしてなかった自分に、宇宙猿人レベルで身震いするほど腹が立つ。
『学校で学んだ事の一切を忘れてしまった時に、
それでもなお残っているものこそが教育というものじゃよカッカッカ』
そなふうにアインシュタインさんは言ったそうだし、
他のいろんな方々も同様の事を記している。
この後悔が教育なら、それを受けている生徒としての自分は、
更にこの先、何を残せてゆくのだろうかとドッキリドキドキする。
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『ブツリさん』20010718/000234
わりとほぼ毎日、
“元”物理教師の方とお話する機会があったりします。
はっきし言って、ウチの親よりも会話時間長いです。
引退されてからは園芸と海釣りに情熱をかけておられます。
知識と伝達を日常に数十年を生きてこられた方だけあって、
その知識量と思考経路は非常に面白くためになります。
専門は物理でも、免許区分は“理科”となるそうで、
当然の如く、
理科全般の“経験に基づく知識”は半端ではありません。
先日も、花火の色から炎色反応の話になった時、
ロケット花火の飛翔よりもスラスラスラリと、
サマザマな金属の炎色反応が脳内から続々登場。
ストロンチウム(炎色反応は赤)のくだりから、
アレヨアレヨという間に研究室時代の放射性同位体の話へ。
・・・あぁ、そうか、
知識を楽しむというのはこぅいう事やったんか・・・と。
物理とか、卒業してから、ようやく面白さ解ってきたもんなぁ。
ほんと、
近場にカッコいい大人が大勢おられるのはとても幸福だと思います。
問題は、
そぅいう方々との対話で如何に自分を高めていけるかという点で。
学生の頃だと、自分が若輩者だと自覚し、それが相手にもバレてるぶん、
変に異性だとか年齢差だとかで無理に構えず相手に接する事ができたし。
そのほうが向こうも大人として応対してくださるのが解ってたので、
ある意味で楽だったし、
背伸びの楽しさもあって、その状況が嬉しかったりもしたんですが。
もはや大人と分類される年齢で、
自分でも看板背負ってる身としましては、
「なんか自分から伝えられるものはないのんか?」を模索したり、
トライ&エラーを繰り返すのが楽しかったりします。
で、も、
『トゥルーラブストーリー』シリーズには女教師エンドはなかったり。
ぬにょぅ〜。
あ、でもブツリさんは男です。
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『トゥルーの日』20010719/000235
ちなみに、
ギャルゲー『トゥルーラブストーリー』シリーズは・・・
“転校とか卒業とかを迎えるまでの間に、
女の子やらと交流をしてゆくゲーム”という、
イカニモなフォーマットなものです。
他に特にこれといってギャルゲー(どころかゲーム全般)が、
日常に組み込まれていない経験不足の身。
自分の体験したものだけで、
そのジャンル全体を論じて批評家ぶるのはカッコ悪いので、
ギャルゲーというものについてどぉこぅ言うのは控えますが。
まぁ、ギャルゲー界全般から見ても・・・
“地味”なゲームであるのは間違いないでショウ。
でも、その地味さ加減が・・・
妄想癖・追想癖の在る身には貝柱のように美味しいわけでして。
“地味”な絵柄とキャラ設定は、
“あの頃の誰か”に容易に変換できますし。
“地味”なイベントも、“あの頃のあの時”に容易に以下略。
1作目のリメイク版で、“来た”瞬間は・・・
オープニングで名曲『きみとぼくのうた』の流れる中、
ひとりのキャラクターが夕景の階段で佇んでいる絵。
見上げる廊下の壁窓が、
ステンドグラスみたいに上縁がU字になった窓枠で。
それは、“あの頃”に大好きだった校舎の片隅にそっくりで。
そぅ・・・そんなのは、解ってるんです。
何処にでもあって、
いわば誰の郷愁をも刺激する公約数みたいなもんだ、と。
それでも、
キャラは“幼なじみ”“美術部”の無敵コンボでガード不能だし。
あの頃のあの時、確かに自分と誰かが其処に居たのだ、と。
「ぁあ、こぉいう“追憶装置”も、あるんやなぁ」と。
追想空間から現実世界へ帰還した時、
「ぁあ、なんか、もぉ、つくりつづけていかんとっ!!」と、
思えるのは心地よいです。はい。
フィギュア原型、なんとか頑張って、
久しぶりに起動してみたいものです。
夏だし。
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『画道照身』20010720/000236
『日本人は結構、“写真みたいな”絵を好みますよね。
・・・画家の大勢が異口同音に言ってる事なんですが・・・
“本物そっくり”に描くのは、“あるレベルまで”なら、
どんな人間でも本気で練習したら出来るよぅになるんです。
本当に凄い人間は“その先”に行くんです。
その人だけの“何か”を描くから残るんです。
・・・僕は、入り口も見ないうちに止めてしまいましたけどね』
ブツリさん(仮名)の親父さんは日本画家だった。
戦前・戦中は勿論の事、
西洋画の大波が押し寄せてきた戦後・・・
多くの日本画家が西洋画に転向・挑戦する中においても、
自分の画道を揺るがさなかったそうだ。
『むずかしく考えることないのよ。
人、それぞれなにかを感じればいいの』
BY.佐倉“エスパー”魔美
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『牛の目先生』20010721/000237
『ゲルニカの牛ねぇ、人間の目ぇしてるでしょ?
漫画があふれてる今の感覚からしたら、
その凄さと心意気が解れへんかもしれんけどね』
『感じる人間だけが感じてたらいいのよ。
感じよぅとせえへん人間は一生そのままやから。
でも・・・自分だけが解ってるなんか思ってたらダメ。
天才の絵は大量の人間を、そう思わせてるから。既に』
それは、ほぉっておいても、
いつか知る事だったかも知れないし、
いまだに気づくなんて出来てなかった事かも知れない。
いろんな本にも書かれているし、
ネットにも情報はあふれてる。
それでも、
それだからこそ、
あの人の言葉で知る事が出来たのは、
幸福だったのだと思う。
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『ヘンテコシー』20010722/000238
高校当時の彼女との合作とはいえ、
油絵の初体験は実に気持ちのいいもので。
学校から駅へ向かう川添いの道で、彼女が言った。
『じゃ、なんか描いてくりー。描いちくりー』
渡りに船。
簡単な選択だよワトソン紙。
布のキャンバスではなく、パネルに自分で水張りしたのは、
実は何故だか覚えていない。
「何がええのん?」
『んとー・・・えとー・・・』
変な子。
女の子は、そういう時、
事前にシナリオを考えるもんだと思ってた。
『どーしょーもない海を描いちくりー』
「はょぁ?」
『綺麗なんでなくてええから、どーしょーもないやつ』
油絵の具ではなく、水彩絵の具でもなく、
模型用ラッカーで描いたのは、
ただ、持っていたから。
手入れもしてない、ささくれだった筆で。
どぽりと塗料を塗りたくる。
自惚れようにも基礎が無い。
夜明けの海と空と、
シルエットになる突堤の上を歩く人を描いた。
素人くさい事に、
塗料を溶剤で希釈するという概念がスッポリ抜けていた為、
油彩をデチューンしたかのようにイビツな起伏のある塗装になった。
どう贔屓目に見ても異常気象で。
あるはずのないカタチだらけで。
乱雑に盛り上がった塗料が、
ぼろぼろの地面みたいになっていた。
それはきっと個性なんてものではなくて。
自分が知り得ていないという現実さえも、
高揚の火薬にできた頃だから。
だから・・・
混色の法則も知らずに、使った事のなかった色を重ねて、
それが乾かないうちに次の色を擦りつけた。
だから、雲も空も波も海も、
あるはずのない色が無駄なぐらいに重なっていた。
単純なまでに、楽しかった。
それはたしかに、他の何処にも無いものだったけれど、
まるで2人の関係みたいに、
どぅ思い出してみても下手くそで、
とてもよく解らないものになった。
この夏のうちに、また絵を描こう。
そう思う。
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『空みたことか』20010723/000239
労働三法とストルィピン改革における土地整理と、
それに対する共同体農民の抵抗に関する文献百冊。
それらを調べたくなったわけでは決してないままに、
『千と千尋の神隠し』を日曜朝イチから観にゆく。
余裕をもって行った為、行列時間は短くて済んだものの、
至極短時間のうちに座席は満たされてゆく。
“完全入れ替え制”と明記されているにも関わらず、
上映開始30分以上前から立ち見の方々が溢れている。
「夢を見る事の出来る席数は限られているッ!!」
「この有限の現実に無自覚である訳にはゆかぬッ!!」
徹夜明けで漠然と慄然しながらも、そう思えるのは、
出遅れたにも関わらず最前列中央を確保できていたから。
余裕を持たなければ大局的な視点を保てない性癖は無念なれど、
映画が面白かったのでそれもまた良し。ハイハイ。ハイは1回。
劇場でアニメを観ると、
“背景”が視界一杯に“来る”のが面白い。
デジタル化が進化するアニメ制作の中で、
“やわらかさ”を保ち続ける手描き背景。
簡略化されたアニメキャラとバランスを保ちつつ、
そこには手描きゆえの膨大な情報が隠されている。
不勉強な為、色の名前や色構成の妙は分析しきれないが。
物語の重要な舞台となる迷宮的構造物を、
魅惑的な迷宮と感じさせてくれた要素に、
奥行きの在る流麗な色彩が関わるのは確かだとも思う。
CMYKを一瞬で判別可能な絶対色感を持つ方が、
色彩に集中してアニメを観ると、
“色に酔う”状態になったりするのだろうか?
アニメ背景における空の色は、
けっこう作品の個性が出ていて面白い。
『となりのトトロ』の空が、
“みゅわぁん”という感じだとすると、
『千と千尋の神隠し』における空の色は、
シアンのちりばめ風味が“きゃりぅん”という感じだッ!!
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『ミノタウロ巣』20010724/000240
“迷宮嗜好”を持つ方は、きっと多いのだと思います。
迷っているという悦楽。彷徨そのものの愉悦。
混迷ゆえの緊張。緊張持続の快楽。
1990年代に流行った巨大迷路施設にもよく行きましたし、
今も運営中の幾つかにも行くことでしょう。
『千と千尋の神隠し』は、
迷宮好きな自分に関しても楽しめる部分が多々在る映画でした。
夢の中で迷うように、迷宮そのものを縦横無尽に移動する視点。
迷宮を題材にしたビデオゲームとは異なる部分が刺激されます。
そして、道後温泉にも再び行きたくなります。
“迷宮とは脱出口を目指す彷徨そのものを指す”とも思います。
廃墟に惹かれるのは、
廃墟が既に迷宮そのものだからではないのでしょうか?
映画に惹かれるのは、
映画が時間をも封じ込めた迷宮だからではないのでしょうか?
物語に惹かれるのは、
物語が記載された迷宮そのものだからではないのでしょうか?
社会も、日常も、迷宮と定義できるのではないのでしょうか?
フィギュアの尻ラインに悩むのも迷宮ではないのでしょうか?
子宮から出たのではなく、迷宮に入場ではないのでしょうか?
たとえそこに牛人魔王が潜んでいようとも、
曲がり角と直線と分岐点の連続を楽しんでゆきたいなぁと思います。
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『アシナガン機関』20010725/000241
朝、いつのように機嫌よくチャリンコ通勤していると、
・・・最近、ハチの巣を見ていない事に突然気づくッ!!
見たいッ! ハチの巣がッ!! 猛烈にィィィッ!!!
こぅなったら、思い立ったがダイアン・マーチン吉日!
昼休み発進セヨ!
何処へ? 気にするな!そんなもん!
どぅせ俺達に地図なんて無い!
ハチの巣の地図なんて、なおさらだっ!!
・・・暑いっ! 熱いっ!!
この、皮膚のピリピリがタマりません。(ニュータイプ感覚?)
路地裏の軒先を攻めるッ!!
“キャキッ”っとしたコントラストの中を、ゆぅらりと、
幽霊の如きコーナリングで!
・・・無いッ!!
田畑の端を攻めて、農機具小屋の軒先を観察してもッ!!
スズメバチはチャキチャキ駆除されるから無理だとしても、
アシナガバチの脳天気な巣のカタチが見あたらないっ!!
昔、ジジイハウスの周囲には、やたらとアシナガバチが多くて、
ベンジョバチとも呼称されていたものだがっ!
あの警戒色が見たいっ!!
子供の頃は、近所の空き地の草むらにも、
巣がフラフラしてたものだがっ!
あの濃い茶の羽が見たいっ!!
ハッ!?
ハチは暑くなると、巣を冷房する為、
巣に水を掛けたり羽で風を送ったりするとも読んだ事がある!
単に暑いから、目立たず入り組んだトコに潜んでいるのか?
つ・ま・り、秘密基地化?!
ハッ!?
アシナガバチは食物連鎖においてひとつの頂点にいる為、
環境評価の指標とされていると古文書で読んだ事がある!
個体数が環境変化に影響される為、
本来の自然が残っているかによって見られる種類が変化する筈!
憎い宇宙人が侵略計画の初手として、環境改変くわっ!?
も、もしやっ!自覚しないままに、
“ハチの巣が存在しない世界”に時空転移しているのでは!?
路地裏の連続は、一種の迷宮と言える!
時が止まっているかの如き黄昏領域だ!
なんか超常的な事が起こっても、
「あぁ、さいですか」と言ってしまいそうな雰囲気が在るッ!
ハッ!!
そこまで考えて気づいたが、昼飯まだやったッ!!
帰って、食う。
めでたしめでたし。
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『夏迷宮ハレー』20010726/000242
ハレー彗星接近時の化粧品キャッチコピー、
“星化粧ハレー”から早くも十数年。
今年も近所の神社で夏祭りが巡ってくる。
子供の頃から遊び慣れた場所。
通勤で毎日その前を通る場所。
あいかわらず、夜の祭という時空間は特異だと思う。
室内照明に慣れきってしまっている心身でありながら、
見上げれば木々の暗闇が在る空間に何故か安堵する。
暗闇への畏怖と憧れ、光の中に居る安全の自覚。
幾度もの夏の中で、見慣れた光景。
人混みの中を縫いながら、
今年も、同じだけ歳をとった同級生達とすれ違う。
同じ町に住みながら、こんな時にしかすれ違わない。
この日に“偶然”帰ってきていたような顔も見かける。
軽い目配せ。
お互いの遠くから片手を挙げるだけの挨拶。
人生の一点で在りながら、それ以上の接近は無い。
それを寂しさだとも、お互いに思わない。
いつも思うのだが、こういった光景の下では、
混在した意識が何処かで・・・
“いつでも無い夏”を形成しているのではないか?
人混みの向こうに、
暗闇の中に在る御稲荷さんの丘に、
昔と変わらず佇んでいる大樹の陰に、
いつかの自分や、
いつかの誰かや、
もはや会える筈の無い友が、
時系列を超えた部分で重なり合いながら、
同時存在しているように感じるのだ。
御輿が宮入して来る。
人混みが波のように分かれ、
そして現れた道で、御輿が幾度も前進と後退を繰り返す。
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『月と蜂と砂』20010727/000243
「そういへば、最近見なひ」
「ハチは見かけるけど、巣は見ぃへんなぁ」
「もっと、地べたに近いトコにでも隠れてんのやろ」
「こないだ布団についとった」
いわゆるひとつの市町村が貸してくれる福祉農園で、
日々汗を流しておられる知人の御老公チームの御返答。
なんとゆうことだっ!!
おそらく、ハチはいつしかヒトを凌駕する知性を持ち、
深く静かに侵攻を開始したのではないか?
軒下に巣をつくる方針から、
実はワキの下に作戦変更したのではないか?
自分のワキの下を凝視する習慣のあまり無い男子は注意!
個体数だけを見るとヒトよりも昆虫が圧倒的に多い以上、
可及的速やかなキンカンの配備が求められるであろう。
もはや地球は大ピンチ。
不思議の謎を解かねばならぬ。
目の前に不思議が無いからといって不思議は淘汰されない。
科學は不思議を瓦解させる為にあらず、
不思議を描写する為にも存在するのだ。
不思議が見あたらないのなら、
不思議を探しにいかねばならぬ。
2001年、夏。
8月の3つの週末を使って、旅に出る事が決定。
海・街・砂の3段ロケッツ。
8/18(土)19(日)、“砂”編。
砂まみれ汗まみれで行軍したい酔狂な方、募集中。
とりあえず、ハチは関係ない。
委細、明日。
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『砂丘少年団』20010728/000244
何かを探しにいけるかどうかなんて解らない。
解ったからといって、誰も保証なんてしない。
探すのは個人であり、その人それぞれの内だ。
西暦2001年、夏。
去年よりも暑い夏に、
夏の中を歩きにゆく。
ぼくらは砂丘にゆく。
視界のぐるりを砂にしよう。
【にちじ】
8/18(土)午後14時頃〜19(日)終電帰宅可能時間まで。
雨天決行。豪雨でも決行。
【こうてい】
8/18(土)
午後14時頃、大阪駅出発。
『青春18きっぷ』使用でユラユラと電車で進行。
午後19〜21時頃、鳥取駅到着。
鳥取駅近辺散策・晩飯。
鳥取駅近接のビジネスホテル泊。各人1室。
朝まで自由行動。
8/19(日)
午前4〜6時頃、チェックアウト。
天候・体力・肉体の覚醒度などを考慮し、
砂丘まで徒歩行軍、もしくはタクシーにて移動。
※始バスを待っていては砂丘着が9時台になる模様。
※過去、多透は駅〜砂丘間を歩いたが、平地であり、
千代川に沿って歩けば迷わないので辛い行程ではない。
外縁に到着しだい、砂丘に突入。
砂丘走破!!
午後、『砂丘会館』にて昼食。
体力があれば、海水浴場に立ち寄る可能性もあり。
バスにて鳥取駅へ。
駅前に温泉が在るので、入浴。
『青春18きっぷ』使用の鉄道にて帰還。
【ひよう】
『青春18きっぷ』2日ぶん
= 4600円
ビジネスホテル宿泊費 = 5000円(税別)
その他 = 飲食費等
概算合計 = なんぼなんでも20000円以下で収まる筈
【よういするもの】
飲料水(重要!)
帽子(タオル巻きでも良いが、最近は100円均一店でも見かけるので、
この為だけに準備しておくもまた良し)
タオル(重要! 汗拭き・防熱に活躍するであろう)
強い意志。
おこづかい。
着替え。
文庫本1冊。(旅のアクセサリー&夜のお供に。冊数制限は無し)
胸の肉1ポンド(普段から装着済のもので良し)
新しい勇気2ピコグラム(不安なら増量しても良し)
甘酸っぱい思い出。(分量制限無し)
ナウいヤングメンな気持ち。(ひとそろい)
怪我・疾病時における自己責任による対処。
【あたまかず】
最低遂行人数 = 1名
されど現在、
既に1名が参加表明済。
【さくせん】
基本的に列車選択は
多透が一応の試案を作成するものの、臨機応変。
参加者各位、列車選択に改善提案があればドシドシヨロシク。
簡単な多透調査によれば、鳥取駅周辺部において、
オールナイト映画上映・朝まで漫画喫茶は“無い”模様。
午前2時3時までの酒飲み場はあるものの、
朝までファミレスの情報は無し。
24時まで営業が基本の『BOOK OFF』も鳥取駅南店は、22時迄。
まさに、“眠る町、鳥取”・・・
【かもん】
たとえば・・・
ルーチンワークの生活に、ちょいと変化を加えたい人。
趣味ブツでゴミ溜め状になった部屋と職場の往復が嫌になってきた人。
単に旅がしたい人。
フラれたばかりの人。
なんの悩みも無い人。
気になるアノ子にナカナカ声をかけられない人。
ちょっと疲れきってみたい人。
視界を砂だらけにしたい人。
誰も見えない場所で空に拳を突き上げてみたい人。
砂漠気分を満喫したい人。
ちょぴっと自分をいぢめたくなった人。
日本海に“でん”したい人。
無駄な行為にしか見えない様な行動を実行したい人。
砂丘でスキップしたい人。
ラクダに会いたい人。
同じクラスに居る好きな女の子の名前を叫びたい人。
かもん。
【やくそく】
“砂丘内部は単独で走破する!!”
これだけ。
人数や状況に応じて、時間差出発や方向別出発で対応。
砂丘自体は全長16キロ。
なれど、実質『鳥取砂丘』と呼称される千代川東側の部分は、
観光案内に“1時間コース”“2時間コース”と在る通り、
無駄なく歩くなら決して困難すぎる場所ではない。
しかし・・・
“夏”という条件下において、
公式発表によれば、午後1時頃に巡ってくるという、
砂丘表面最高温度は摂氏60度!!
今年の猛暑に於いて、輻射熱の増加は必至であり、
体感温度は更に加算された数字になる筈。
昼過ぎに、砂丘会館で集結するまで、
砂丘を彷徨するも良し、波打ち際を歩くも良し、
最短距離をゆくも良し、外からバスで回り込むも良し、
自己責任において、自由。
【よしゅう】
※鳥取市ホームページ
※鳥取大砂丘観光協会
【ぼしゅう】
たぶん、自己啓発の役になんて立たない。
ただ単純な高揚も、手に入らないかもしれない。
砂まみれで、汗まみれで、ただ疲れるだけかも知れない。
途中でリセットもできない。歩かないと帰れない。
砂丘の深くに入れば入るほど、自分の足でしか動けない。
テツガクなんて、誰も用意してくれない。
ただの、酔狂。
今、
なにも今、そんな事をしなくても、
きっとまたそんな機会は来るかも知れない。
なにも、こんな熱い夏に、しなくても。
でも、
今、してみたい人、募集。
御表明は掲示板かメールにて。
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『2週間先の夏』20010729/000245
この夏、造形関係のイベントは、日程の都合もあって、
まったく参加不能状態。
造形意欲昂揚の為にも、イベント場の雰囲気を体感し、
凄い作品を眼前で勉強させてもらいたいものの、無念。
だが、ここに来て、唐突に・・・
『コミケ』とゆぅ日本最大級の同人誌即売会に突入が決定。
耳の後の近辺の毛も震える心境であります。
同行してくださるのが、過去幾度も突入を果たした方なので、
当日までに予習復習をさせてもらえるのが暁光か。
そしてそれとは一見関係ない宇宙の片隅において、多透は、
『砂丘計画』において、
“砂丘内部は単独で走破する”との設定しました。
これに関し、元ワンダーフォーゲル部の方から、
「遭難予防のためにも単独行動は避けたほうが良いのでは?」
との御言葉が。
・・・・・たしかに。(^^;
これ、皮肉でもなんでもなく、
“正義”の御意見だと思います。
素人の甘っちょろいロマンチシズムでは計る事のできない、
“リアル”を体験した方ゆえの適切な御意見です。
たしかに、大自然をナメるわけにはゆきません。
自分で“大自然の使者”と名乗っていた仮面ライダーも、
いろいろと大自然には手痛い目に遭っております。
多透は、
過去幾度かの砂丘単独走破経験により・・・
※推奨ルート以外でも、正午に向けて観光客が増加する為、
単独負傷時にも発見・救援される可能性は在る。
※波打ち際を走破すれば、まず安全に縦断が可能。
・・・と、素人なりに感じましたが、油断は禁物です。
砂丘は決して砂の“平原”ではなく、起伏が多い場所です。
樹木など、足場や掴まる場になるものが無い砂丘陵は、
滑落すれば重力加速度によって制動が効きづらいです。
多透も、何度か転げ落ちた事があります。
幸い怪我はなくて済みましたが・・・
映画『バーティカル・リミット』は未見ですが、
砂丘においても、ダブルピッケルジャンプが必要な場所が、
まだまだ隠されているかも知れません。
しかし、今回も、
自己責任においての単独行は行うと思います。
勿論、
無謀を誇る事と勇気の間には厳然たる誤差が在ります。
砂丘陵からの滑落や熱中症には、
細心かつ万全の注意が必要と言えるでしょう。
されど、今回の計画におきましては、この多透、
“単独行にこそ意義を見る”心境であるのです。
日々の中で、街の道で、大人たる者がそうである様に、
旅に於いても・・・
自らを、
無謀と虚勢を避ける適格な“自分自身の引率者”と成し、
自己責任に基づいて歩を進める旅人に、
我らは成ろうでありませんくわっ!
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『ひとさへひとにとゞまらぬ』20010729/000245
本日分の暑中見舞いハガキ約700枚を印刷完了。
ほとんどマシィーン任せなので、
このぐらいで営業努力と思いあがっていては、
猛暑の中スーツ姿で外まわりされている方々に申し訳ない。
最近、
漫画喫茶での妄想メモや、フィギュア制作中の妄想メモ等、
わりと肉筆メモづいている気配はある。
されど、イザとゆう時に機械仕掛けに任せているようでは、
肉筆者としてマダマダ男坂を登り始める以前と言えよう。
そしてそれ以前に、
マダマダ語り部としてゴルジ体よりも小さい身を自覚した今。
昼飯時を利用して日本文学を拝読してみたり。
むぅ・・・
いろいろ読ませてもらったが、よぉ解らんのが多い。
勉強不足だ。
それに、正直、
当時鮮烈であったのであろう思想や構成も、
より装飾された近年の作品に接してきている身には、
いささか淡泊な部分も多い。
されど、それでもなお、鮮烈な語句を見つけてしまうのは、
それが先駆者による本気の爪痕であるからなのだろう。
オタクフィールドに居ると、多透の様な粗忽者は、ついつい、
したり顔で元ネタ探しとかをしてしまいがちだ。
しかし、何十年もの彼方で刻まれた箴言を目にすると、解る。
そんな行為が如何に自分の成長と比例していなかったのかが。
それにしても、
日本語は面白い。
宮沢賢治先生の詩の中では、
やはり『告別』が多透にとっては最高傑作だと思う。
過日、漫画喫茶で『編集王』一気読みさせてもらった時、
その一節が実に効果的に引用されていて驚愕した。
中学生の頃、その詩を何度読み返したかと思案する。
数年ぶりに文庫本を開いてみる。
ただの時間以上に、あの頃から遠くに来ていたようだ。
無念。
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『メイキュイーン』20010730/000246
東西新聞社主も想像だにしなかった領域、
それが個人の夜見る夢だ。
「夢も見ずに眠っていた」と言う事があるが、
脳波測定研究などにより、これは間違いとされている。
“見ていない”のではなく“忘れている”のだそうだ。
エドガー・アラン・ポー先生は、
『我々が見ているもの、
あるいは見ていると思う全てのものが、
夢の又夢であるに過ぎない』
と言った。
江戸川乱歩先生は、
『うつし世は夢 夜の夢こそ真』
と言った。
のび太は、
『うつつまくら』によってバーチャル・インし、
他軸世界を体感した。
ならば奇妙な夢ばかりを喜んで覚えている自分は何なのか?
夢の中に、迷宮状背景がよく出現するのは何故なのか?
夢判断にも諸説在るが、
多くは“苦悩”や“逡巡”の象徴と、
ヒネリも無く解釈される“迷宮”を、
「おもろかった」と思える夢に分類してしまうのは何故なのか?
そもそも、ニンゲンの記憶とは不鮮明な筈で、
夢の背景とは、気づかぬ者の中でも迷宮的に歪んでいるのでは?
あらかじめ不条理に歪んでいる夢を、
条理的に“判断”“診断”するのは不条理ではないのか?
不条理は、それ自体が不条理なんやから、
もぉ、それはそれでええやんか・・・
そんなこんなをジリジリと怠惰に思考しつつ、
暑さで朦朧としつつ、昼休みチャリンコ散歩決行中・・・
・・・あっさりと道に迷う。
山の位置で方角が解る為、危機感は無い。
たとえば、自分の肉体に出入りしている大気さえも、
以前に同じ道を通った時と同一では無い。
アスファルトの変性して削れた表面すらも。
世界という迷宮は絶えず更新してくれているのだ。
こんな嬉しい事はない。
迷える事こそ幸福なのだと自分を納得させつつ、
遠回りして帰る。
朝、起きた時のように、顔を洗う。
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『クラムボンジャッジ』20010731/000247
クラムボンが何故わらったのかを知らなくとも、
視界に在る様々な製品のルーツを知らなくとも、
生活は、出来る。
“厳密なオリジナルは有り得ない”と、
世間では、よく言われる。
たとえば、ヒトとしての言語や音域など、
あらかじめ用意された体感域での道具や方法。
それらを原初から全く異なる次元で創造せねば、
厳密なオリジナルとは言えないのだと。
たとえば、サイエンスフィクション。
新しく目にする斬新なアイデアも、
元を探索すれば、1940〜70年代に辿り着く事が大半だ。
熱病にも似た情熱で、空想科學が創造されていた時代。
たとえば、古典とも分類される文学作品群。
自分が幾年もの経験と思考の果てに辿り着いた言葉が、
遙か過去において、
自分より的確な語句で語られていた現実を発見する。
足元をすくわれたように、ヘコむ。
幼稚な自己安定機構が働き、
元ネタを探したりする事で、
「これもオリジナルではない」と、表面的安心を得る。
時には幼稚な思考解で、二次著作物を馬鹿にしたりもする。
ある意味であるはずのない“オリジナル”という幻想に、
振り回されている事にも無自覚なまま。
自分が、
膨大で多面的な蓄積と発展が進行する世界に暮らす現実。
自分の費やした時間は自分のオリジナルだという単純解。
創造の思考迷宮に入った時、
この凄さと幸福に気づく事なければ、
後ろ向きなだけの自己規制と抑制で、
疲れ果てるだけのように思う。
無自覚な楽しさは飽きやすい。
屁理屈言いの男子は特にそう。
その向こうに出て楽しみたい。
いずれにせよ、まごう事なき、事実がひとつある。
先に出たものがどうあれ、
ガリガリ君グレープフルーツ味、最高ナリ。
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