関東学生卓球連盟の10年間(S62〜H8)

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昭和62年(1987年)
昭和63年(1988年)
平成元年(1989年)
平成2年(1990年)
平成3年(1991年)
平成4年(1992年)
平成5年(1993年)
平成6年(1994年)
平成7年(1995年)
平成8年(1996年)

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昭和62年度(1987年)

 この年、関東学連は創立60周年を迎え、これを記念して9月に記念行事を開催し、秋季より1・2部リーグ戦の代々木第2体育館での同時開催を実施している。
 2〜3月にインド・ニューデリーにおいて行われた第39回世界選手権には、現役学生より松下浩二・渋谷浩(共に明大)、星野美香(青学大)の3名が出場した(この他に松下雄二(明大)が補欠として選抜されている)。また、この大会期間中に行われた国際卓連(ITTF)総会において、本連盟OBである荻村伊智朗氏(日大出身)が国際卓連会長に就任する、という快挙を成し遂げた。競技面においては、ややかげりが見られるものの、運営面においては名実共に、関東学連が世界をリードする英才を輩出したこととなる。
 競技面では、男子は明大と専大、女子は青学大と専大の勢力争いの年であった。春秋のリーグ戦で、各々1回ずつの優勝を飾り、インカレの決勝もこの4チームで争われた(優勝は専大と青学大)。
 この年、最も活躍したのは青学大4年の星野であった。既に自他共に認める日本のエースの立場にあったとは言え、関東学生選手権において、単複共4連覇という史上初の偉業を成し遂げ、リーグ戦でも、この年は10戦全勝。通算でも、橘川に1回負けただけの34勝1敗(2部での5勝を加えると39勝)という抜群の成績。東日本学生の単複を制した後、全日学においても単複を制し、単4連覇(史上初)、複は4回中3回の優勝で、通算7タイトル。関正子と並ぶ史上1位タイの優勝を飾った。東西優勝校対抗戦も4連覇を果たしている。さらに、勢いに乗った星野は、全日本選手権においても史上初の単5連覇を達成している(複は2位)。
 森(大正大)は、リーグ戦通算33勝(7敗)。関東学生は単で3年連続準優勝、複で準優勝2回、と常に上位に進出する実力を持ちながら、同期の星野の陰に隠れてしまい、ついに大学時代のタイトルは1年時の東日本・複1つのみにとどまった。悲劇のシルバーコレクターと言えるかもしれない。
 男子ダブルスは渋谷・松下(浩)組(明大)が東日本学生(2連覇)・全日学を制し、その勢いを持続して全日本選手権でも初優勝(カットペアーの戦後初優勝)。後に同一ペアーでの全日本最多優勝記録(5回)を達成するが、この年がそのスタートであった。近年、「世界に通用する日本のダブルス」の代名詞ともなっているこのペアーは、10年前のこの頃からこんなに強かった。
 その他のトピックスとしては、ハンガリー・女子との親善試合と日中交歓大会を実施している。

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昭和63年度(1988年)

 5月に新潟にて第9回アジア選手権が行われたが、北朝鮮選手団の途中帰国があり(これら一連の流れの中で、結局、北朝鮮はソウル五輪もボイコット)、政治的な国際情勢と絡んで、残念な結末を迎えた。
 9〜10月に、韓国・ソウルにおいて行われた第24回夏季オリンピック大会より、晴れて卓球が正式種目として認められ、初登場となったが、残念ながら現役学生からの日本代表選手は誕生しなかった。また、日本選手は惜しくもメダルを逃した。
 この年も、前年に引き続き、男子は明大と専大、女子は青学大と専大の勢力争いであり、インカレ決勝も去年と同じこの4チームで争われた。なお、秋季リーグ戦において、専大が男女アベック優勝を飾っているが、これ以後、平成に入ってから今日までの8年間、アベック優勝は記録されていない。
 男子は主将・岩崎を中心とした専大が強く、学生の全団体戦を総ナメにした。関東学生(2回目)・東日本学生の覇者でもある岩崎はリーグ戦通算36勝(4敗)という新記録を達成した。
 女子は星野が抜けた穴を、下長を中心に、高橋、岡村、遠藤らからなる豊富な陣容で埋めた青学大が強かった。団体では、春リーグ・インカレ(2連覇)・東西優勝校対抗戦(5連覇)を制し、個人戦では、下長が関東学生の単複を制覇。これにより、青学大はチームとして関東学生単複5連覇を成し遂げた。なお、富士短大の富永は、この年、リーグ戦・単で10戦全勝、通算でも星野に1敗したのみの19勝(1敗)であった。これは短大史上新記録であるが、4年制に換算すれば38勝2敗にあたる大記録である。
 この年、全日学において史上初めて男女とも外国人留学生選手がシングルスに優勝した(しかも、女子は留学生同士による決勝戦)。以後、今日に至るまで「関東の選手」「日本人選手」が全日学シングルスで優勝することは困難になってきている。その中でダブルスでは日本人選手が健闘。男子ダブルスでの渋谷・松下(浩)組(明大)の2連覇が光っている。
 その他、対チェコスロバキア友好試合、対中国台北友好試合、日中交歓大会といった多数の国際交流試合を実施した年であった。
 運営面では、日大OBの斉藤進氏が理事長に就任し、以後、今日に至るまで多大なる尽力をされている。

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平成元年度(1989年)

 3〜4月に西ドイツ(現ドイツ)・ドルトムントにおいて行われた第40回世界選手権には、本連盟より渋谷浩・松下浩二・松下雄二(以上、明大)、伊藤誠(早大)、富永克子(富士短大→日本生命)の5名が出場した。この世界選手権は男子種目を欧州勢が制覇し、中国の優勝は女子関連の3種目のみにとどまった。オリンピック効果で多数の国が卓球の強化に力を注ぎ出した効果の現れた「時代の転換点の大会」であった。なお、男子複で、渋谷・松下(浩)組がベスト8入りの健闘を見せた。
 元号も改まったこの年、男子は明大、女子は青学大が活躍した。
 男子・明大は学生の団体タイトルを総ナメ。エースの渋谷は念願の関東学生チャンピオンに輝き、リーグ戦でも単複20戦全勝で、去年、岩崎が達成した単・通算36勝に並ぶタイ記録を達成した。松下雄二も通算35勝で史上3位の記録。松下浩二は秋以降の約半年間、スウェーデンに卓球留学し、全日学は不参加であったが、全日本選手権では渋谷と組んだダブルスで2度目の優勝を果たし、実力を見せた。松下浩二は後に日本初のプロ選手として活躍するが、それを支えるパイオニアスピリットが見られる。明大のこの3人は4年間でリーグ戦・単複通算124勝17敗という驚異的な数字を残している。同一チームから同時に3人もの特別賞受賞者が出るのも非常に珍しいことである。
 女子は青学大が強く、団体戦では春秋のリーグ戦を連覇、東西優勝校対抗戦でも6連覇を果たしたものの、インカレでは富士短大に準決勝で敗れた。結果論だが、もしこの年、青学大がインカレに優勝していれば、昭和62年から平成5年まで、「インカレ7連覇」の偉業も十分有り得た。個人では高橋が関東学生・単を制し、青学大として6連覇。全日本では、単で室重が、複で高橋(パートナー・星野(三井銀行))が、それぞれ準優勝している。なお、この年、入学した専大の小貫はダブルスにおいて新人戦・関東学生・リーグ戦(10戦全勝)と、関東では1度も負けなかった。
 この年、全日学において楊玉華(東北福祉大)が単4連覇の偉業を達成。一時は、強すぎることから外国人登録の問題が発生する程の活躍ぶりであった。渋谷・松下兄弟(共に明大)、伊藤(早大)、大平・野中(専大)などの大物選手が同学年にひしめき合っていたが、彼らはついに学生・単のタイトルを取ることはできなかった。
 その他として、この年、関東学連の連盟旗とシンボルマークが制定された。
 また、6月(春リーグ1部最終日)には日中交歓大会を主管し、8月には1週間にわたる香港遠征強化合宿を実施している。
 運営面では、日学連が理事長制を採用し、初代理事長に慶大OBの武山嘉成氏が就任し、以後、今日に至るまで多大なる尽力をされている。

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平成2年度(1990年)

 この年は、翌春に千葉・幕張での第41回世界選手権を控え、プレイベントが多数、関東地域内で行われた。具体的には、ザ・卓球、第1回ワールド・オールスター・サーキット、第1回ワールドチームカップ、プレ世界選手権・卓球ウイーク(東京体育館新装記念)、ワールドカップ、ジャパンオープンなどであった。関東学連も年間を通じてこれらの行事に協力し、役員は運営に忙殺された。しかし、これらのチャレンジを通じて、この前後数年に渡って研究された卓球活性化の模索(カラー化(ブルーテーブル・オレンジボール、カラーマット、カラーフェンスなど)、ボールパーソン、サービスジャッジ、低いフェンス、高いタオル入れなど)に触れる事は、新鮮な驚きであり、良い刺激であった。
 また、学連内においても、日学連において「今年度限りで東日本学生・西日本学生・東西優勝校対抗戦の3大会を中止する」事が、関東学連においては「今年度よりリーグ戦・女子3部以下の試合方式を変更(5単2複→4単1複)する」事が、それぞれ決定し、まさに革命的な年であった。
 競技面では、明大の渋谷・松下兄弟らが卒業し、男子の勢力地図は激変して戦国時代を迎えた。春(リーグ)早大、夏(インカレ)専大、秋(リーグ)中大と優勝校も大会毎に変わった。その中で、有望新人3人(平・糀谷・小笠原)が加わった早大は特に強力で、シングルスでは関東学生(平)を18年ぶりに獲得、ダブルスでは新人戦(平・糀谷組)、関東学生(阿部・小笠原組)、東日本学生(平・糀谷組)、全日学(鷲見・大矢組)と、全大会を異なる3ペアーが獲得する、という偉業を成し遂げた。ここからもわかる層の厚さで、団体でも最後の東西優勝校対抗戦において17年ぶり12回目の最多優勝を飾った。
 また、この年、埼工大に強豪・周宏が入学し、これまで主に他学連で話題とされていた外国人留学生問題が、この後、いよいよ関東でもクローズアップされることになる。
 女子は相変わらず青学大が強く、インカレと秋リーグを制覇。高橋・室重組で東日本学生と全日学のダブルスを連覇している。関東学生選手権・単と東西優勝校対抗戦においては、共に7年連続優勝の偉業を達成した。もし、東西優勝校対抗戦が継続されていれば、さらに連勝記録を延ばした可能性は非常に高い。
 この、最後の東西優勝校対抗戦は全日学と併せて関東学連主管で新装なった東京体育館において、日学連史上初のカラー化大会として、オレンジボール・ブルーテーブル使用で行われたが、全日学・単で優勝を飾ったのは王(龍大)と高尾(中大)だった。なお、高尾は、昭和63年から平成7年までの8年間の間で唯一の女子単・日本人チャンピオンである(この前後に、昭和62年の星野、平成8年の岡崎がおり、この10年間で、日本人チャンピオンはこの3人のみ)。
 その他、中国指導者講習会、対香港対抗戦、プレ世界選手権・卓球ウイーク時の対イングランド・対ルーマニア対抗戦、ワルドナー講習会などの国際事業もあり、本当に多忙を極めた1年であった。

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平成3年度(1991年)

 この年、4〜5月に千葉・幕張において行われた第41回世界選手権には、現役学生より田中卓也(埼玉工大)、森本洋治(日大)、河合雅世(青学大)、大野知子(早大)、道広友子・青池優美(共に富士短大)の6名が出場した。この6名は全員、この年に入学した選手であり、これだけ多くの新入生が世界代表に選ばれるということは史上初であった。なお、この本大会は南北朝鮮統一チーム・コリアの結成と活躍が話題となった。関東学連は以前より親交の深いチェコスロバキア世界代表チームの大会前後のホスピタリティーを担当し、対抗戦を行うなどした(そのためか、史上最低の成績に終わった日本勢を尻目に、チェコスロバキア勢は大活躍であった)。
 この年より、東日本学生・西日本学生・東西優勝校対抗戦の3大会が中止され、「団体はインカレ、個人戦は全日学」という日学連大会の絞り込みが行われた。これに関連し、関東学連でも春秋王座決定戦の中止や各大会出場資格の一部改正(昭和52年以来、15年ぶりに3年生以上に新人戦出場を認め、会長杯の出場資格も緩和する、など)が行われた。また、前年の女子3部以下に続き、この年より男子4部以下においてもリーグ戦の試合方式が変更(6単1複→4単1複)となり、さらに、リーグ戦参加校の減少に伴い、この年の秋季より女子のリーグ戦が5部までの編成となった(従来の6部校を5部へ編入)。
 競技面では、新制度1年目のインカレ(インカレ史上初のカラー化大会として、オレンジボール・ブルーテーブルを使用。平塚にて関東主管で行われた)において男子のベスト8を関東勢が独占する、という快挙を成し遂げた。その中でも、リーグ戦で4部から3部に昇部したばかりの埼工大が、周・田中を軸にインカレでベスト8入りし、注目を集めた。
 男子は前年度からの2年間、春秋のリーグ戦・インカレを合わせて6大会で5校が優勝、連続優勝なし、という混戦時代。この年は、春(リーグ戦)大正大、夏(インカレ)中大、秋(リーグ戦)明大、の3校が優勝を飾った。特にこの年の春季リーグ戦では3勝2敗で5チームが並び、勝率計算の結果、順位が決定する、という前代未聞の混戦状況であった。秋季には一転して明大が圧勝したが、この中で1年生の中田の活躍が目立っていた。同等程度の実力の同級生が揃う中で1人だけ世界選手権代表に選ばれなかったうっぷんを晴らすかのように関東学生を制し、リーグ戦は年間で単8勝1敗、複(徳村・中田組)10戦全勝、という活躍ぶりであった。
 混戦の男子を横目に、女子においては木村監督の就任30周年にあたるこの年、青学大が春秋リーグ戦(3連覇)とインカレ(2連覇)の全団体戦を制覇し、黄金時代を築いていた。が、しかし、その一方で7年連続で確保していた関東学生・単のタイトルを失うなど、来るべき女子の混戦時代の予兆も見られる。その、関東学生・単のタイトルを青学大から奪った大野(早大)は、全日本・混合複でも渡辺武弘(協和発酵)とペアーを組み、2連覇を達成している。また、道広(富士短大)は、新人戦・関東学生・全日学の3大会でダブルスタイトルを全て獲得する、という活躍ぶりを見せた。
 関東学生のシングルス決勝が男女とも1年生同士で争われるなど、全体として1年生の活躍が目立つ反面、上級生のふがいなさも指摘され、「大学で成長する選手が少ない」と問題になった時期でもあった。
 その他、関東学連は日学連の第7回日韓学生対抗戦の主管を担当するなどの活動も行った。

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平成4年度(1992年)

 この年、7〜8月にスペイン・バルセロナルにおいて第25回夏季オリンピックが行われたが、前回に続き、現役学生からの日本代表選手は誕生しなかった。
 これまで、関東学連は毎年、必ず何らかの日学連主催全国大会を主管してきたが、東日本学生などの中止に伴い、3年に1度、主管のない年が発生することとなった。この平成4年は、その第1回目の年であった。その分、この年より不定期に強化練習会が行われていくことになる。
 この年、最大の特徴は外国人留学生選手の大活躍。新人戦・単複で中国出身のチャン莉(淑徳短大)と韓国出身の李泰照(日体大)による留学生同士の決勝で優勝が争われたことに始まり、関東学生では周宏(埼工大)が単複を、 チャン莉が単を取る。周とチャンは、全日学史上初の「男女単決勝進出の4人がいずれも外国人留学生」という状況の中で、ついに全日学の単も制した。関東勢が9年ぶりに全日学の男女単複4種目を独占したものの、複雑な想いを抱く関係者も少なくなかった。なお、こういった背景もあり、この年よりインカレにおいて外国人留学生選手は単複を兼ねて出場できなくなった。リーグ戦では、秋季より同様の規制が採用されている(但し、対象は男子1〜3部、女子1・2部のみ。男子4部以下、女子3部以下は、従来通り、外国人留学生選手の単複重複出場を認めている)。
 団体戦は、男子は徳村・永野・中田を軸とした明大が春秋のリーグ戦を制したが、インカレでは、決勝で中大に、惜しくも2-3で破れ、タイトル総ナメとはならなかった。中大はインカレ2連覇を達成。なお、関東勢は2年連続でインカレのベスト8を独占している。
 女子は青学大黄金時代から混戦時代への過渡期と言える。青学大は春リーグで誰もが予想もしなかった最下位・2部転落を味わう。インカレを制し(3連覇)、「2部校のインカレ制覇」と話題にもなったが、実力が1部トップであるのは万人の認めるところであり、秋リーグ以後、順当に1部復帰を果たした。青学大は、リーグ戦優勝を9年ぶりに逃し、全個人タイトルも10年ぶりに逃した。しかし、昭和59・秋から平成3・秋までの15季中、12回の優勝は、史上まれに見るハイペースであり、永く讃えられるであろう。女子のリーグ戦は、春・専大、秋・富士短大が制覇した。なお、外国人留学生選手が単複を兼ねられた春季リーグにおいては、李泰照の単複に渡る活躍(単複ともに4勝1敗)で日体大が「初優勝か」と思わせる旋風を巻き起こしたことが印象深い。
 個人的には小貫(専大)が女子ダブルスで関東学生と全日学を制し(小貫・大亀組)、全日本では川嶋(専大)と組んで混合ダブルス準優勝、とペアものに特に強さを発揮した。この全日本・混合複の決勝で小貫を破った大野(早大)は、史上タイ記録となる混合複3連覇(パートナー・渡辺武弘(協和発酵))を達成している。

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平成5年度(1993年)

 この年、新年早々、1月に笹川杯第1回地球ユース選手権が関東学連主管で行われた。続く2月にはヨーロッパ遠征として、分裂直後のチェコとスロバキア、さらにドイツへの遠征を行ない、スロバキアオープンへの参加も果たしている。
 5月にスウェーデン・イエテボリにおいて行われた第42回世界選手権には、本連盟より増田秀文(専大)、田崎俊雄(明大)の2名が出場した。
 この年、男子は、春(リーグ)専大、夏(インカレ)明大、秋(リーグ)中大と優勝校が分かれ、混戦の様子がうかがえる。
 女子も男子同様、春・大正大、夏・青学大、秋・専大、と優勝校が分かれたが、この内、河合・横田を軸とした青学大のインカレ4連覇は偉業であったと言える。
 個人では世界選手権代表にも選ばれた増田が活躍。リーグ戦でも、この年、9勝1敗で春季優勝の立て役者であったが、個人戦では、関東学生・単を制し、ついには故障しながらも全日学・単をも制した。日本人選手が全日学・男子単を制したのは8年ぶりの快挙であった。これ以後、全日学・男子単は外国人留学生選手と日本人選手が拮抗しつつ、日本人選手が連続制覇しているが、その先鞭をつけた意義は大きかった。
 また、全日本において糀谷(早大)が決勝に進出、「久々の学生チャンピオン誕生か」と思わせたが、惜しくも松下浩二(日産自動車)に敗れ、準優勝に留まった。
 なお、この年、最上級生であった周宏(埼工大)・D莉(淑徳短大)の中国人留学生コンビは、リーグ戦でそれぞれ34戦全勝・20戦全勝を飾った。その実力と、下部でのプレーが多かったことを考えれば当然とも言える結果ではあるが、ゲームもほとんど落とさず、全く負けなかったことは賞賛に値する。また、大場(中大)が勝ち星を30の大台に乗せている。
 その他では、この年よりリーグ戦においてオレンジボールが採用されるようになった。卓球界全体の流れからは数年遅れであったが、関東学連でもカラー化の第一歩が踏み出された。台はグリーンのままであったが、ユニフォームに白が認められ、リーグ戦全体が華やかになった。ただ、この年の秋季リーグでは最後の2日間の会場が中央大学体育館であり、その点が若干のマイナスであった。
 また、この年より登録年齢制限(毎年4月1日現在、28歳未満の者に登録資格を限定する)が設けられ、一方、外国籍選手の登録規定が緩和された。これらは、いずれも日学連の決定に準じたものであり、年齢制限に関しては、ユニバーシアードの規定などを参考にしている。
 運営面では、この年、関東学連創立66年目にして初めて女性の幹事長(小田晶子・東女体大)が誕生した。

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平成6年度(1994年)

 この年からブルーの台が使用され、促進ルール(5分経過時の得点合計が10点未満の場合の促進ルール採用)やベンチ入り人数(選手は10名まで)の変更があったリーグ戦では、男子・専大、女子・青学大が、共に春秋連覇を成し遂げた(この年の秋季リーグ戦は代々木第2体育館改修のため東京武道館にて行われている)。専大は増田・立藤・村上、青学大は河合・横田・河村・高橋といった選手を軸に実力を発揮したが、両校共、インカレでは敗れた。
 インカレ男子は愛知工大が優勝。男子では16年ぶりに関東以外から優勝校が誕生した。数年前まで関東勢の上位独占が続いてきた学生卓球界の勢力地図も、男女を問わず、このあたりから大きく変わってきたようである。なお、この年、愛知工大のエース・今枝が全日学と全日本の単を獲得。学生の全日本制覇は昭和59年の斉藤清以来、10年ぶりのことであった。また、全日本・男子複では中田・田崎組(明大)が優勝し、学生が単複を独占した。
 インカレ女子は5連覇を狙った青学大だったが、中大に敗れ、大記録達成はならなかった。中大は5年連続準優勝の末に6年目の正直で優勝を手にした。
 また、この年、9月にベルギーのシャルロアにて行われた第10回世界大学選手権において日本が男子団体初優勝を飾る、という快挙を成し遂げた。この優勝メンバー5人(中田・田崎(共に明大)、皆川・仲村(共に大正大)、森本(日大))は、全員、関東学連の選手であった。
 個人では中田(明大)がリーグ戦通算で史上5位にあたる33勝(6敗)を達成した。しかも、ともすると実力差のある対戦が発生しがちな学生リーグ戦において37回も前半(内、25回トップ)に出場し、ほとんど相手校のエース格と対戦、これらを連破しチームを勢いに乗せ続けた。ファイト溢れるプレー振りとも併せ、数字以上に記録にも記憶にも残る選手である。
 このように、この年辺りから学生卓球界は一時の低迷を脱し、国内・国外共に上昇の機運が見られるようになってきた。
 その他のこの年の卓球界のビッグニュースとしては、次の2つが挙げられる。
 1つ目は、10月に広島において行われた第12回アジア競技大会において小山ちれが女子単に優勝したこと。日本勢が世界・アジアレベルのビッグ大会でタイトルを取ったのは1982年の第9回アジア競技大会・男子複(小野・阿部組)以来、12年ぶりのことであった。
 2つ目は訃報。12月に国際卓連(ITTF)現職会長であった荻村氏(日大OB)が急逝。本連盟が生んだ世界に誇る卓球人の突然の死は、以後、国内・国際の卓球界に大きな波紋を広げることになった。

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平成7年度(1995年)

 1月に行われた第3回地球ユース選手権・男子団体において日本が初優勝を達成した。優勝当時は高校生であった主力メンバーもいたが、彼らも4月以降は大学生として関東学連に加盟している。
 5月に中国・天津において行われた第43回世界選手権には、本連盟より、田崎俊雄・遊澤亮(共に明大)の2名が出場した(この他にリザーブとして、野平直孝、大柿柴保(共に専大)が選抜されている)。なおこの大会で地元中国が大活躍。欧州勢から男子種目のタイトルも取り戻し、結局、史上2度目の7種目完全制覇を達成した。
 この年は、大正大と専大が春秋のリーグ戦で男女を入れ替えて優勝(大正大は、春の男子と秋の女子。専大は、春の女子と秋の男子)。インカレ男子は、選手層の厚さよりも頂点の高さを誇る明大が2年ぶりに制した。インカレ女子は、ベスト4に関東から専大1校しか残らず、結局、14年ぶりに近畿大が優勝。女子で関東以外から優勝チームが出たことも、同じく14年ぶりであった。
 団体では大会毎に優勝校が変わる混戦であったが、個人戦では特筆される強さの選手も出た。
 男子では、明大のエース・田崎が強く、秋季リーグ戦では仲村(大正大)の連勝を 17で止める勝ち星を含む5戦全勝(なお、リーグ戦連勝記録は斉藤清(明大)の23連勝)。さらに、全日学においては単複を制した。これは明大の先輩にあたる斉藤清以来(昭和58年以来)12年ぶりのこと。また、インカレとも併せて「学生界の3冠王」、となったのは、同じく斉藤清以来(昭和57年以来)13年ぶりのことであった。田崎は、これまで大学以前も含めて、シングルスの全国タイトルがなく、実力は認められながらも「無冠の帝王」の扱いを受けていたが、これで一躍、名実共に学生界の頂点に立った。この勢いを持続し、全日学直後に行われた五輪・国内予選でも堂々の1位通過を果たし、全日本でも3位入賞と、誰もが認める日本のトップ選手となった(なお、五輪・国内予選の2位は、田崎のダブルスパートナーでもある遊澤)。
 女子では、元中国代表、世界選手権・単ベスト8・複3位の実績を持つ李ジュン(淑徳短大)が他を寄せつけない圧倒的な強さを発揮し、関東学生と全日学の単を制した。李は登録年齢制限(28歳)の関係で、この年のみの登録であった。
 女子ダブルスでは、大柿・益田(専大)が関東学生と全日学を制した。また、大柿は全日本もパートナーを河野文江(武田薬品湘南)に替えて制し、この年の国内全ての女子ダブルスタイトルを獲得した(全日本の混合複でも、野平(専大)とのペアーで決勝に進出したが、鬼頭・西飯組(愛工大)に敗れた)。
 その他、11月には男女の強化練習会、ツンストレム(元スウェーデンナショナルチーム男子監督)講習会と対GCC海外交流試合が、12月にはフィンランド遠征(フィンランドオープン参加)が行われた。
 運営面では、日本学生卓球連盟会長が清水斉氏から後藤淳氏に変更となった。清水氏は、17年の永きに渡り、日学連会長の重責を担った。また、本連盟の佐藤行信会長が、荻村氏死去後の日卓協内の変革の影響もあり、(財)日本卓球協会副会長を兼任することとなった。

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平成8年度(1996年)

 この年、7〜8月にアメリカ・アトランタにおいて第26回夏季オリンピックが行われ、卓球競技の五輪正式種目採用3大会目にして初めて、現役学生から田崎俊雄・遊澤亮(共に明大)の2名が日本代表として出場した。この両選手は、同じ明大出身で五輪代表2回の実績を誇る渋谷浩・松下浩二両選手らと並び、この10年間の関東学連を代表する数名に数えられる選手と言える。
 この年、男子は明大が活躍、女子は大正大を軸に展開した。
 男子・明大は主将・田崎の大活躍(団体の単で全勝)などで春秋のリーグ戦とインカレの団体3大会を総ナメ。関東学生・全日学の単(遊澤)、全日学・複(田崎・遊澤組)も制した。全日学のベスト4に3人が入り、決勝が同士討ち、という状況が、そのレベルの高さを現している。
 田崎は、2年連続でインカレの敢闘賞を受賞し、リーグ戦でもこの10年間で唯一の2季連続の殊勲賞を受賞。リーグ戦では通算32勝(3敗)、全日本・男子複では先輩の中田(サンリツ)と組み、2年ぶり2度目の優勝を達成する、という活躍ぶりだった。しかし、その田崎も、関東学生選手権には縁がなく、4年間で単複合計・銀2・銅3のメダルを獲得、常に上位に進出しながら、ついに1度も優勝はできなかった。全日学では単決勝を取れば2年連続の2冠王(インカレを含め、2年連続3冠王)であったが、惜しくも2-0から逆転されている。その田崎に代わり、遊澤が学生界の3冠王となっている。明大は2年連続での3冠王輩出となった。
 女子・大正大はリーグ戦こそ、春・秋とも、準優勝に甘んじたものの、関東学生では単ベスト4を独占、複も同士討ちで優勝を争い、インカレでは初優勝を飾った。女子のリーグ戦は、春が青学大、秋が中大の優勝であった。
 なお、全日学では女子は関西勢が大活躍し、単複を制覇したが、単は近大の同士討ちを制し、岡崎が優勝。日本人としては平成2年の高尾以来、6年ぶりの優勝を飾った。高尾・岡崎、共に奇しくも同じ東京体育館を会場とする全日学での優勝だった。
 9月に、オーストラリア・ジロングで行われた第11回世界大学選手権では日本勢が大活躍。男女団体でアベック優勝(男子は2連覇、女子は初)を果たし、さらに個人戦においても男子複(田崎・遊澤組)、混合複(田崎・岡崎組)を制し、4冠を獲得した。混合複は日本勢の同士討ち、田崎は男子単決勝で惜しくも2-3で敗れ、4冠王は逃したものの、限りなくそれに近い、堂々の3冠王であった。この日本選手団の過半数は関東学連の選手であった。
 その他の行事としては、中国との交流戦、男女の強化練習会も行われている。
 トピックスとしては、リーグ戦の入場行進が中止されたこと、創立65周年を迎えた日学連が、その歴史を前史も含めてまとめた「日本学生卓球史」を発刊したこと、などが挙げられる。

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総 括 ・・・・ 男子・「明大・専大の両雄を軸に展開」、
           女子・「青学大全盛期から混戦期に」

 各大会・各種目別優勝回数一覧表を基に、この10年間を総括してみると、男子は「明大・専大の両雄を軸に展開」し、女子は「青学大全盛期から混戦期に」と言うことが言える。
 男子の明大と専大は共に団体で全体の3分の1以上ずつの優勝を誇る。この10年間の内でも、特に序盤の数年は「インカレ決勝でもリーグ戦最終日の直接対決でも、最後に優勝を争うのはこの2校」というのがお決まりのパターンだった。
 個人ではやはり渋谷・松下(浩)・田崎・遊澤の五輪選手を輩出した明大がダントツ。リーグ戦特別賞受賞者も最多の6人を輩出しており、その内、4人が30勝以上をあげる、という頂点の高さを誇っている。新人戦優勝がないものの、田崎、遊澤両選手は、入学直後の世界選手権に出場のため、当然、優勝候補筆頭であった新人戦に不出場、という事情があっての結果である。五輪・世界選手権をはじめ、各種国際大会への日本代表を見ても、全日本の上位を見ても、明大勢(OBを含む)が主軸を占めており、その強さがわかる。
 伝統校・専大は、明大に比較すると頂点の高さよりも選手層の厚さが持ち味。全大会全種目で優勝者を出しているのは、男子では専大だけである。
 その他では、大正大、中央大、早大が中堅の位置をキープしている。
 この10年間で躍進してきたのが埼玉工大。外国人留学生勢を主軸にリーグ戦5部から、わずか2年で2部へ昇部し、個人タイトルも明大・専大に続き、大正大と並ぶ8個と健闘している。
 一方、伝統あるかつての強豪・日本大が、10年間で新人戦のタイトル3つのみと、低迷しているのは寂しい。
 女子は青学大の強さが群を抜く。インカレ・リーグ戦では、共に過半数の優勝を青学大1校で占めている。特に、女子史上タイ記録のインカレ4連覇の偉業は賞賛される。この他にも大会が中止されなければさらに連覇を続けた可能性が高い東西優勝校対抗戦7連覇などの大記録も達成した。個人戦でも男子・専大同様、全大会全種目で優勝者を出しているが、これは女子では青学大のみである。星野選手以来続く関東学生単7連覇(単複同時5連覇を含む)の記録も光るが、一転して平成3年以降の6年間は関東学生のタイトルなし。女子の混戦期が始まることとなる。青学大に取って代わるように、平成4年度以降は外国人留学生選手が女子単5連覇中である。
 青学大に続く活躍をしたのが専大。序盤の数年は、男子の明大・専大決戦同様、女子の青学大・専大決戦が大会毎に繰り広げられていた。だが、インカレや全日学・関東学生のシングルスといった華のある種目での優勝がないのは寂しい(インカレは昭和53年優勝以後、18年間、全日学・単は何と昭和34年の松崎キミ代以来、37年間、優勝から離れている)。
 男子同様、大正大、中央大が中堅の位置をキープしているが、特筆されるのは富士短大の頑張り。選手の新陳代謝の激しい短大でありながら、団体戦・個人戦ともに4年制大学と互角に渡り合い中堅をキープ。特別賞受賞者が5人と青学大と並ぶトップタイでもあり、インカレでは男女を通じて史上初の30年連続ベスト8以上を記録した。
 この5年間で躍進してきたのが淑徳短大。外国人留学生勢を主軸に、青学大・専大に続く8個の個人タイトルを獲得しているスタイルは男子の埼玉工大とオーバーラップする。
 対外的には、残念ながら関東学連女子の戦力低下は認めざるを得ない。五輪代表選手は現役はゼロ。OGは星野のみ。世界選手権などの主要国際大会の日本代表や、全日本などの上位進出選手の主軸は高校から直接実業団入りした選手や外国から帰化した選手が占めている。男子に比べ、選手寿命が短いとされていることや、男子ほど学歴を必要としないことから、今後とも「選手生活を大事に思うなら大学で回り道をせずに直接実業団へ」と考える選手が増加する可能性も高いと思われる。学連側のサポート体制が整備・充実が望まれる。

各大会・各種目別優勝回数一覧表

(S62〜H8分のみ)

男 子インカレ東西優勝校リーグ戦団体戦合計全日学東日学関東学生新人戦個人戦合計
明 治 大4281424 142  13
専 修 大317111221223215
中 央 大2 24     1124
大 正 大  22 1  11328
早稲田大  112 1 212 17
埼玉工大    02   222 8
日 本 大   0      123
日本体育大   0       11
他学連1 --1522 --------9
合 計10420341010441010101068

女 子インカレ東西優勝校リーグ戦団体戦合計全日学東日学関東学生新人戦個人戦合計
青山学院大 6 41020 1 3 1 3 4 2 2 218
専 修 大   5 5  3  1  5 1 212
大 正 大 1  2 3     1 1 2 1 5
中 央 大 1  2 3 1 2      1 4
富士短期大 1  1 2  1    1 2 1 5
淑徳短期大    0 2    2  2 2 8
日 本 大    0   1   1   2
日本体育大    0     2    2
筑 波 大    0       1 1 2
早稲田大     0     1    1
他学連 1 -- 1 6 1 2 -------- 9
合 計10 420341010 4 41010101068

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